死神の如く
「天使、だな」
銀髪の男の笑い声が今にも聞こえてくる気がした。
男の姿が僕の視界から消える。
「うっ、がぁあああ!」
マントのように翻る黒い布。
あっけなく、取り巻きの一人が地面に埋まる。
「こ、この野郎!」
あまりの速さに唖然とするのも束の間、すぐにもう一人のほうの取り巻きが反応した。
長身の男に後ろから殴りかかる。
だが、男はそれが見えているかのようにかがんでかわす。
ザクっという地面を踏みしめる音。
取り巻きの顔が一瞬ひきつった。【確実に捉えた】と思っての攻撃をいともたやすくかわされれば、無理もない。
ザク。ザク。
ザク。ザク。
と。
まるで死に神の歩く足音のように。
その奇妙な風貌のせいでもあるのだろう。薄汚れた、身体全体を覆うコートのようなもの。さらに、表情も、顔も確認できない。
死に神が、本来の仕事をしに、キタ。
キョウフが。オソレが。動物的な本能が、逃げなければと叫ぶ。
「うううぅっ!」
気合いを入れる唸り声を発し、取り巻きは死に神に突進した。
がちりと、二つの輪郭が重なる。
一瞬。
双方同時に弾かれるように跳んだ。
取り巻きの表情は先ほどとは明らかに【変わって】いた。
まるで本物の死に神を、【神】をみるかのように、彼を見つめる。
「さあ。ーー消えろ」
フードを被った彼がそう告げると、取り巻きはまるで催眠術にでもかかってしまったかのように、フラフラとおぼつかない足取りで背中を向けーー消えた。
「何をしたァ!?」
震える手で、頭を抱える赤髪。
「まるで魔法、だね」
ぼんやりと向こうを見つめる彼女を、僕は見つめる。
座っている僕は、彼女を見るために下げていた顔を上げなければいけなかった。
空と太陽と、彼女がいる。
ずっと見つめていたかったけれど、何とも言えない罪っぽさを感じて、僕はすぐに視線をずらした。
青い空に薄い雲が、僕の今までしてきた後悔と同じくらい散らばっているのが見える。白く燃える太陽は、彼女の美しい輪郭をはっきりとさせた。黒い長髪が、白く輝く。
突然現れた長身の人物は、謎だらけだ。僕が初めに出会ったときから。
けれど。
わかることもあった。
魔法などでは、ない。
僕は確かに、きいたのだ。
ここ最近よくきく馴染みの深い声。彼は取り巻きと重なった時、何かを囁いたのだった。何かはわからない。だが重要なのは、【何もしなかった】わけではないということだ。
「ひっ、ひぃぃ!」
死に神の足音が自分に向いたことを悟った瞬間、赤髪は振り返ることなく走り去っていった。
残された僕と彼女は、ただ呆然と彼をみる。
「あなた、誰?」
やや警戒した声音で、彼女が語りかけた。
「こいつの……親友だ」
座り込んでいる僕の横にしゃがんで、腕を肩に回す。親友、という響きに僕はとてつもない違和感を感じた。
ーーなんだそれ。
何とも言えない嫌な味が口の中に広がり、唾液と混ざった。
「ふーん。名前は?」
興味のなさそうな口調で、でもしっかりと彼を盗み見る彼女。
「ギン、だ」
「え……?」
いつものぞんざいさはーーなかった。噛みしめるように。宝物のように。まるで久しぶりに口から吐き出すかのように、ゆっくりと、優しく、彼は呟いた。
「だから、ギン」
「何それ」
どうしてギン、なの。と、彼女は何が嬉しいのか、楽しそうに、僕に聞いてくる。
「僕に聞かないで……」
「髪の色が銀色だからじゃないか?」
僕のセリフにも聞こえたそれは、ギンが言ったものだった。
「自分の名前なのに疑問系なの? それに安直ね……」
「そうか? セイっていう奴の方がよっぽど変だと思うが」
意地悪な笑みを浮かべて、ギンが僕をみた。
「それってもしかして僕のこと?」
「ああ」
「何でだよ。僕にはちゃんとした名前が……」
「静?」
ヒカリの期待するような視線に、自信満々でギンが言い放つ。
「星だ」
彼女が僕をみて、心配そうな顔をした。
「そういえばまだお礼をいってなかった。ありがと、ギン君と……セイ?」
君は僕の名前を知っているだろ……。
「あたしに名前はないの?」
そういうと、彼女は僕の隣に静かに腰をおろす。
「名前くらい、あるでしょ」
僕が真顔でそういうと、左肩に軽い平手打ちをくらった。
「そうじゃなくて! コードネーム? みたいなの」
「スパイごっこじゃないんだから」
昔そんなことをやったなぁと思いながら僕が笑うと、ギンも同じようにちょっとだけ笑った……気がする。フードに隠れ、彼の表情が見えるはずもなかった。