僕と彼女と赤髪
「これは一体……?」
僕たちは、屋根の上にいた。階段を上り、わざわざここまできたのだ。
目覚めたばかりの、白い透明な太陽がひょっこりと頭を出している。
陽光を浴びて一切の汚れを浄化したような空気を目一杯吸い込む。
それだけで自分の心も洗われるようだ。
と同時に、どこかの家で焼かれている香ばしいパンの匂いが胃を刺激した。
「はらへったな」
「そうじゃなくて! まあ、それもそうだけど……」
朝食を満足に終えられなかったことを思い出して、お腹が鳴った。
「この町はどうしちゃったの?」
まるで人外の何かに襲われてしまったのかと思った。
破壊の限りを尽くし、自分の存在を、恐怖を人々に刻み込む化け物が見えるようだった。
「言っただろ。地震だ」
木々がなぎ倒されていた。道が割れていた。炎の歩いた跡が、所々焼け焦げ、黒く炭化していた。女から逃げていたときは気づかなかったけれど、見晴らしのいい屋根の上にいる今。地震が引き起こした惨事は、よく見える。
違和感を、感じた。
ーーこれほど悲惨な状況なのに
「人は笑っている、な」
僕の考えを引き継ぐように、男が言う。
ふつうなら、人が死んで、大切な物を奪われて、生活がまともにできないほど破壊されているはずなのに。
「どうして……?」
どうして、人々は笑っているんだ? まるでここが極楽であるかのよう。
「誰も死んでないから」
「えっ……?」
あれほどの破壊で、人が一人も死んでいないと言うのか?
そんなバカな……。
何かがおかしい。何もかもがおかしい。
「きゃあー!!」
僕の思考を遮るように、悲鳴が響いた。
聞き覚えのある声に、僕は一瞬だけ戸惑う。
「さあ、どうする?」
試すように僕をみる男。まるで【七年前】と同じ状況。
あぁ、そうか。
【変わる】のか。ーーと、僕は思った。
僕が変わってしまった七年前。作為的な何かを感じずにはいられない、今。
無視することなどできるはずもなく、屋根づたいに声のする路地を覗き見る。
「大人しくしろ! お前を使ってあの男を……」
数人の男に、一人の女が囲まれているのが見える。
銀髪の男は空を見上げたまま、瞳も揺らさずに一点を見つめ続けていた。
動く気はないらしい。
「はぁ……」
僕は屋根の縁に手をかけた。
助ける義理など、ない。今回助けたところで、【七年前】僕が彼女を助けられなかったという事実は、変わらないままだ。また惨めにやられるだけかもしれない。
けれど、もうただ閉じこもっているのは嫌だった。
「止めないの?」
一応銀髪の男に訊いてみる。
「…………止まるのか?」
「…………」
ムカつくぐらい、僕のことをわかっていた。
「もしかしたら、彼女なら終わらせ……」
銀髪の声は風にかき消され、聞き取ることはできなかった。
屋根から低い屋根へと飛び降りる。そうして、地に足をつけた。
「誰だぁ、お前?」
赤髪の神経質そうな男が、僕をみて睨みを利かせる。
その顔に見覚えがあった。
やはりこれは、【七年前】の再現なのだ。何故今更なのか。きっと僕のみた夢が関係している。銀髪の男が、鍵になる。
「僕を、忘れたのか?」
気づけば僕は頭を覆うフードをとっていた。
「久しぶりだね」
何が僕を突き動かしたのか。
「変わってないんだな、君は」
などと思いつつも。
その理由が【こいつら】だと、解っていた。
「お、お前はァ……!」
赤髪は驚きに目を見開く。
と。
彼の顔に、憎悪が浮かんだ。見開いた目はすっと細められ、ーーーー意地の悪そうな笑顔を作る。
「あっ! やっと見つけた!!」
叫んだのは目の前にいる女だ。
まず最初に目をひいたのは、腰まである長い髪。
明るい黒。
明るい茶色や赤色があっても、明るい黒色などあるはずがない。あったとしてもそれは、灰色と呼ぶべきだろう。
けれど。
彼女の髪は、確かに明るい黒色だった。光のように眩しい、艶やかに輝く、黒色。
「あなたが逃げ出したせいで、あたしこんなところまで来ちゃったんだよ?!」
やや憤慨した様子で、僕に詰め寄る女。
「どうして今更……」
朝の襲撃者は、おそらく彼女だったのだろう。今の様子と、襲ってきたときの雰囲気があまりにも違うことに少し疑問を感じるが。また、何故七年経った今なのか。
僕が外に出たせいで。
または。
僕が外に出たことも、そのせいなのかもしれない。
何かが動き始める。
何かが動き始めた。
「ヒヒッ」
突然笑い出す赤髪。
どこか、赤髪の様子がおかしいことに気づいた。
「俺も、お前が目当てだったんだよォ!!」
半ば予想通りの行動に、だが僕は何もしなかった。ただ歯を食いしばって。そして地面に倒れた。硬い地面。散らばるリンゴの芯や、腐ったみかんが見える。僕も、このゴミと同じなのだろう。いつものように鬱屈な気持ちが、吐き気と一緒に喉元までこみ上げてきた。
「へへっ。お前ならそうすると思ってたぞォ」
僕は、【抵抗】ができない。
二人の取り巻きと共に、赤髪は慎重に距離を詰める。彼らに無理矢理立たせられると、再びお腹を殴られた。
「やめて……っ!」
僕をかばうように前に立つ女。
ーーーー【七年前】と同じだ。
このままでは、何もかもが同じで。
また、後悔してしまう。
でも僕は、【変わってない】。七年前と何一つ変わらず、ずっと閉じていた。【変わろう】としてこなかった。
そんな僕が。
「……何かできるわけ、ないんだ…………」
足がふらつき、まともに立てない。
膝をつき、ぼやけた視界の中で彼女の背中をみる。
「わたしが何でもする。だからお願い。彼をこれ以上傷つけないで」
赤髪が、ワラッタ。
「じゃあ、まず服を脱いでもらおうかァ」
……っ。胸が、針で刺されたかのように、鋭く痛んだ。
「……わかった」
女はややためらったあと、服の裾に手をかける。
まただ……。また僕は彼女を、恐怖させてしまった。
守りたいのに
守りたかったのに
ーーチリン
何かのはじかれる音が聞こえた。
すぐにそれが、コインの投げられた音だと気づく。
ドゴォォンという爆音と共に、上から降ってきた何者かが砂埃を巻き上げ着地した。
「げほっげほっ。今度は誰だァ!?」
「……天使か悪魔。どっちか選べ」
砂埃が収まり、徐徐にその人影の姿を視認できるようになる。
頭まですっぽりと覆い隠した、長身の人物。
「てめぇーも死にたいようだな?!」
「選べっつってんだよ。……俺が選ぶのは天使だ」
「はぁ? なにいってんだお前」
赤髪は気味の悪そうに長身の人物をみた。
「天使だったら、お前等全員、地獄に落としてやるよ。堕天使だ」
カッという音をたて、廻ることなくコインは止まった。
ーーーー銀翼の白い天使が微笑んだ。