対局
僕らは向かいあって座っていた。目の前の男は、卓上においてある市松模様のボードに駒を並べている。几帳面なのか、はたまた慣れているだけなのか。寸分違わず等間隔で置かれていった。彼の様子を眺めているうちに、ふと思いがよぎる。
……そういえば、この男の顔には見覚えがあった。以前から知っている、馴染みの深い顔だ。
……だが、誰かは思い出せない。
だから不気味さをより感じる。自分の曖昧な記憶が、怖い。
何故忘れてしまったのか。
忘れてしまいたいほどの何かだったのか。
誰かに忘れさせられたのか。
そもそも、忘れてなどいない。のかもしれない。
最初から、彼のことなど知らないのかもしれない。
自分が信じられなくなる。誰も、信じたくなくなる。
「手伝え」
短い言葉。おかげで、現実に戻ることができた。
僕も男のように駒を並べていった。大小様々、色々な形がある。
この地方では割と有名なゲームだ。頭脳と運、戦略的要素も多々あり、極めれば極めるほど奥が深いため、一部の熱狂的なファンの間では至高の娯楽として親しまれている。
一つとして同じ役割を持つ駒はなく、またキングをとれば勝ちというような明確な勝利方法があるわけでもない。シンプルとはほど遠い、新参には敷居の高いゲームだ。
基本的には一対一だが、一人でも楽しめるようになっており、僕は主にこれをして日々を過ごしていた。
何もすることのない毎日。たくさんの時間を持て余した僕がこの複雑なゲームにのめり込んだのは、必然だったのだろう。
幾度となく繰り返し。一人で、遊び続けた。
「負けた方が勝った方のいうことを何でも一つきく。それでどうだ?」
もしも負けたら何を言われるのだろうか。という考えが頭をよぎったのは、ほんの一瞬だった。
「いいの?」
僕は少し、遠慮がちにきいた。一応。警告のつもりであった。
「ああ」
含みのあった僕の言葉に、男が動じる様子はない。
「……僕が勝ったら」
どうして僕のことを殺した?
と、訊きたいと思った。だが無理なこともわかっていた。
第一、本当にこの男が僕を殺したのかもわからないのだ。
さきほどまでみていたものがただの夢なのか、それとも未来の出来事か。はたまた、過去に起こった出来事かもしれない。
唯一の手がかりは、夢でみた光に染められた夜。あのように光が地に降り注ぐところなど今までみたこともない。もう少し、探ってみるべきだろう。
「お前が先手だ」
彼にペースを握られないためにも、すぐに勝つ必要があった。だから男の提案にありがたく乗る。そのかわり、最初から本気でいこう。
無言で席につく。意識を集中させて、あらゆる戦略を練った。
「じゃあ、始めよう」
決着はあっさりとついた。
「…………っ」
僕の惨敗。このゲームで圧倒的に勝つには、両者の間で十倍以上の能力の差がないと駄目だ。具体的に言えば、素人と熟練の指し手との差と同じくらい。
それほどなのに、男は圧倒的に僕をねじ伏せた。
「俺の勝ちだな」
男はつまらなさそうに小さく笑った。まるで勝つことが当たり前だと言わんばかりに。
言葉がでない。僕が唯一できることなのに。この町で引きこもり、なにもしないで部屋に閉じこもり。唯一やっていたことなのに。
「そんな……」
「お前の願いは何だ?」
唐突に言う男。
何もせずに、ただ生きてきた。
クズのように、どこの歯車にもならず。人に干渉しないで生きてきた。
そんな僕の願い……?
「そろそろか……」
男の小さなつぶやきと同時に、足から小さな揺れが伝わってくる。揺れは徐々に大きくなり、立っていられないほどにまでなった。
「な、なんだこれっ」
激しすぎる揺れの中で、僕は床に後頭部を叩きつけられる。
「ぅあ……」
そのまま、意識を空の彼方へと飛ばした。