錦戸真弓の誤算
「行方不明?」
ある日の昼休み。錦戸 真弓が友達2人と一緒に話していると、一週間前に起きたある事件の話が持ち上がった。
「うん。私の中学生の頃の友達……安達さんって言うんだけど、その子が通っている学校の女の子が帰りに忽然と姿を消しちゃったんだって」
「それ、ホント?」
「うん、警察の人も必死に探してるんだけど服とカバンがポツンと道路に落ちてたの以外手がかりないんだって」
「えーっ、怖いね……」
友達の1人が怯えたように言う。すると錦戸は真面目な顔でその話をした友達に話しかけた。
「ねぇ、それって目撃者とかいないの? なんか助けを求める声を聞いたとか」
「いや。それどころかその時間帯何をしていたのか聞き込みしても曖昧な答えしか返ってこないとか……って、真弓なんでそんなこと聞くの?」
「ん? ちょっとねー」
ーーー
「う……あっ、ふぅ、ここかー」
錦戸は事件の起きた場所の最寄り駅に降りると大きく伸びをした。
「それにしても……」
と言って、錦戸はちらりと駅前の交番を見た。そこでは1人の中年警官があくびをしながら何か書類を書いていた。
「誘拐事件が起きたってのに、増員はしてないわあくびをかいてるわって、緊張感0ね。こんなんじゃ『どうぞまた誘拐してください』って言ってるのと同じね」
そう小さく毒づくと、錦戸は駅前通りを歩いていった。
実は錦戸は、空手2段の腕前で、これまで痴漢しようと近づいて来たバカな男どもを何人も交番送りにしてきた実績があったため、自分なら捕まえられるのではないかと考えていたのだ。
駅前通りを抜け、国道を渡り、錦戸は誘拐事件が起きた住宅街へと繋がる路地を歩いていた。等間隔に連なる街灯の明かりがなぜかこの時は不気味に辺りを照らしているように見えた。
「……本当に誰もいないわね。まだ日が沈んですぐだっていうのに……」
国道を抜けてから数分しか経っていないが、その間にすれちがった人はいなかった。錦戸の心の中に一抹の不安がよぎった。
「いけないいけない! もしかしたら誘拐犯に出くわすかもしれないのに弱気になってたら……」
「そうですねぇ」
弱気になった感情を振り払おうとした時、突然後ろから声をかけられた。不意をつかれたため、錦戸はビクッと肩を震わせた。
「ヒャッ!」
「おやおや、可愛らしい悲鳴ですね」
再び聞こえた声に錦戸がすぐに振り返ると、そこには白衣を着た男が立っていた。
「……何ですか?」
「『何ですか』とはご挨拶だね? 君、僕のことを探しにきたんでしょ?」
そう男が言った瞬間、錦戸は男の正体が分かった。
(……誘拐犯、本当に来るなんて)
錦戸は心の中で小さく舌打ちしつつ構えた。しかし相手に先制を打たれてしまっているためすでに劣勢の状況に立たされていた。
「ほぉ、その構えは……空手ですか。それにかなりの腕前の持ち主のようですね」
そう言いつつも男は構えもせず、ブラブラと腕を揺らしていた。それでも錦戸は油断することができなかった。
(……こいつ、できる!)
男から圧迫感というか、威圧感が漂っていたのだ。錦戸は自分の甘っちょろい考えを後悔した。そう思った瞬間、男の姿はすでに目前に迫っていた。
(しまっ……!)
男は錦戸を後ろから羽交い締めにし、口を無理矢理こじ開けると、そこに透明な液体を飲み込ませた。
「……う、げほっ、げほっ」
錦戸が咳き込んでいると男は気軽そうに尋ねてきた。
「どうだった? 飲みやすいようにリンゴ果汁を入れてみたんだけど」
「ふざけん……なっ!」
錦戸は男を払いのけるとすぐに振り返り、体勢を整えた。すると男は距離を取りながら意外そうに言った。
「あれ、元気だね……失敗かな」
「失敗って何が!」
「いや、こっちの話だよ。……経口投与じゃ効果無しか」
「何をぺちゃくちゃと!」
イラついた錦戸は男にむかって駆け出して、回し蹴りを喰らわせようとした……が右脚を出したとき遠心力によって脚がスポンと根元から取れ、飛んでいった。
「……え?」
飛んでいった右脚は近くの電柱に直撃してその場に落ちた。錦戸は目の前で起きたことが理解できず、恐る恐る右脚があった所を触った。右脚があった場所には肉が覆い隠すようにせり出し始めていた。その肉がせり出してくる感覚に錦戸は悲鳴を上げた。
「い、嫌ぁぁぁぁ!」
そう叫んだ瞬間、必死に体を支えていた左脚もはずれ路上に転がった。
「うわっ!?」
支えを失った錦戸の上半身は重力にしたがって路上に叩きつけられた。
「ううっ……私の足が、なんで……」
「なんだ。ちゃんと効いてるんじゃん」
錦戸が路上に直撃した脚のあった部分を涙目でさすっていると、男は拍子抜けしたようにつぶやいた。
しかし錦戸の体の変化はそれだけにとどまらなかった。
股関節の辺りが急激に伸びていくとその変化に耐えきれなかった下着が引き裂かれた。そしてそれがまるで爬虫類の尾のようになると、腹の部分は白とも黄色ともいえない大きめの鱗が、背中の部分は黒と金色の鱗が街灯の光を怪しげに反射しながら網目状に満遍なく生えてきた。
錦戸も最初は生えてきた鱗をむしり取っていたが、それを超えるスピードで現れる鱗に絶望したのか、途中からは変貌していく自分の下半身をじっと見つめることしか出来なかった。
「君は蛇かー。完全に変化していないのは問題だけど、ラインナップは悪くないな」
男がしたり顔で話している横で錦戸は男をきっと睨みつけながら自分の下半身を折りたたんでいた。
「さて、早速僕の研究所に来てもらおうか」
その時、錦戸はバネのように男の体へ飛びついた。完全に油断していた男は錦戸の思わぬ反撃に目を丸くした。
「なっ!?」
「私の体を、元に戻せ〜〜!!」
錦戸は涙を流しながらギリギリと男の体を締め上げた。
「う、ぐっ……!」
あまりの力に男の意識は一瞬飛びかけたが、土俵際で踏みとどまると錦戸の腹の辺りを辛うじて動く右手でまさぐり出した。
「なんとか言いなさいよ〜〜!!」
錦戸が締める力を強めたその時、男の目が光った。そして鱗の1つをめくるとそこに現れた穴におもむろに指を突っ込んだ。すると錦戸の表情が変わった。
「な、何を……」
「蛇は出産の時も排泄の時も全部同じ穴から出すんだってねぇ。だからその穴は『総排出口』って呼ばれているんだって」
そう言いながら男は穴の中をまさぐり続ける。
「や、やめて……」
思いも寄らない反撃に錦戸の拘束は緩み始めた。
その瞬間を逃さず、男は自由になった腕で錦戸の頭を掴み、路上に勢いよく叩きつけた。
「いっ……」
小さなうめき声をあげると錦戸の動きが止まった。
「全く、なめた真似してくれちゃって……これはお仕置きが必要なようだね」
男は近くに転がっていた錦戸の左脚だったものを拾い上げると、靴を始めとした装飾品を脱がし、気絶して開いたままになっている錦戸の口に押し込んだ。左脚はスルスルと何の障害も無く錦戸の体内に入っていった。
「これで君の左脚は君の消化器官によって君の元に戻るよ……良かったねぇ」
そう言うと男は大声で笑い出した。しかしその声を不快、または不審に思い、外を見る住民はいなかった。