皆藤洋子の迷走
「あのー……先輩何してるんですか?」
ある日の放課後、1人の生徒が部室に残って熱心に編み物をしていた。その姿を見た後輩は不思議に思い、声をかけてみたが……
「ごめん、今は、話しかけないで……」
と、あっさりかわされてしまった。どうしても気になる後輩は、偶然その場を通りかかった別の先輩に事情を聞いた。するとその先輩は面白おかしそうに言った。
「ああ、あれ? 今度の畑中先輩の誕生日に手編みのマフラーを贈りたいんだって」
それを聞いた後輩は目を見開いた。
「え……今って7月ですよね!? 確か畑中先輩の誕生日って12月だった気が……!」
すると先輩はいやいやいや、と手を振って言った。
「あの子の性格を考えたら、この時期に取りかからないと無理よ。不器用な上に集中力が続かないんだから」
その言葉に後輩は妙に納得した。すると部室から「うがーーーっ!」という声がすると同時にぐちゃぐちゃに編まれた毛糸が宙を舞った。その様子を見て、先輩はため息交じりにつぶやいた。
「……この分だと前日は徹夜になりそうね」
「……まだ5ヶ月もあるのに、ですか?」
ーーー
翌日。
皆藤 洋子は机の上に積んだ大量の毛糸と編み棒を見ながらため息をついていた。
「はぁ……私って才能ないのかなぁ……」
「何言ってるのよ」
それを聞いた友人の服部 沙苗は皆藤が持ち込んできた編み方の説明が書かれている雑誌をペラペラとめくりながら言った。
「編み物をロクにやったことがないのに、いきなり高度なやつをやろう、としてるからこうなるのよ。星柄とかリブ模様とか何とかとか」
すると皆藤は少し頬を膨らませて言った。
「だって……地味なやつだと他の物に埋れちゃうじゃん……」
皆藤がマフラーをプレゼントしようとしている男子ーー畑中 彰一は、強豪校として全国からも有名なこの学校のエースストライカーで、すでにJ1のチームとの契約が内定しているほどの実力の持ち主である。さらにイケメンであるため、学内だけでなく他校の女子からも絶対的な人気を誇り、今年のバレンタインデーには学生寮に大きなダンボール13箱分のチョコが届いたという。
そんな人気者である畑中先輩にはきっと大量のプレゼントが届くに違いない。そんな中で目立つには、あっと言わせるような高度なテクニックを使っているような物じゃないといけない……というのが皆藤の主張だった。
「そんなこと贈る前から考えない! ちゃんとした物を作れば、畑中先輩だって喜んでくれるって!」
そう服部は皆藤を激励するが、皆藤の表情は晴れなかった。すると1人の女子が近寄ってきた。
「それなら……とっておきの秘術を教えてあげようか?」
2人が振り向くとそこには安達 久恵の姿があった。
「あれ、安達さん。どうしたの?」
「どうしたの、って……好きな相手のハートを見事に撃ち抜く編み物を作るほ……」
「え、なにそれ聞きたい教えて」
皆藤がすぐに食いついた。
「お、やっぱり聞きたいよねー。それはね……」
「自分の髪を編み込むぅー?」
「そ、編み込んでる物の中に自分の髪を念じながら編み込むの。かの北条政子が自分の髪を編み込んだ曼荼羅を神社に奉じた途端に平家が滅亡の一途を辿った、っていうんだから」
「え、でもそれって偶然じゃないの?」
「何つまらないこと考えてるの? 『髪は女の命』とかって言うじゃん、命使ってるんだから絶対効果あるって!」
これを聞いた服部が怪訝な顔になったのは言うまでもない。しかし皆藤の顔は真剣そのものになっていた。まだ5ヶ月もあるというのに、藁にもすがりたい状態まで追い込まれているのは間違いなかった。
ーーー
「自分の髪を編み込む、か……」
帰り道、皆藤はボソッと安達が語ったかなりオカルトチックな方法を思い出していた。
そのつぶやきを横で聞いていた服部は呆れた顔をしながら言った。
「本気にしてるの? あんなオカルトな話……」
「えー、何たって命使ってるんだから! 効果あると思うんだけど……」
すると服部はため息交じりに言った。
「私、あれからパソコンで調べてみたんだけど……確かに北条政子が自分の髪を編み込んだといわれる曼荼羅を奉納した、っていうのは事実だったけど、平家が滅んだ後の話だったよ?」
「え、そうなの?」
皆藤が意外そうな顔で服部を見る。
「うん。その神社に残されてる記帳には『1200年に奉じられた』って書いてあったらしいけど」
「そ、そんなぁ……」
皆藤はがっくりと肩を落とした。
「でもさぁ、一縷の望みに賭けてやるとしても洋子の今の長さじゃ編み込めないんじゃない?」
そう言って服部は短く切り揃えられた皆藤の髪を触った。
「え、だって、まだ5ヶ月もあるから十分間に合うかなって……」
「うーん……でもそれだけの長さになったとしても、今度は本体であるマフラーが間に合うかどうかが問題になるよね」
「あううう……」
痛いところを突かれた皆藤はその場で顔を覆った。その様子を見ていた服部は腕組みしながら言った。
「もうさ、開き直って普通のを完璧に作ろうよ。ほら『シンプルイズベスト』とか言うじゃん!」
「で、でもなぁ……」
皆藤は挑戦するか妥協するかを決めきれず、思わず天を仰いだ。
その時だった。
「こんばんは」
後ろから突然声をかけられた皆藤と服部は思わず振り向いた。そこには白衣の男が気味の悪い笑みを浮かべていた。
「な、何の用ですか?」
服部が警戒しながら声をかけると男は無言で皆藤に飛びかかった。
「え、キャッ……!」
呆気に取られていた皆藤は悲鳴を満足にあげることもできないまま口を塞がれ、羽交い締めにされた。
「よ、洋子!」
服部が叫ぶのをよそに、男は注射器を素早く取り出すと、おもむろに皆藤の首へ突き刺した。
「ウッ……!」
「動かないでね……。動いたら血がドパッ、って出て死んじゃうから……」
男がそう言うと皆藤と服部の動きがピタリと止まった。それを見た男は、ゆっくりと注射器内の液体を皆藤の体内に流しこんだ。
そして全て流し終えると、男はあっさりと皆藤を解放した。すると突然皆藤の上半身が肥大化し始めた。それを見た服部は思わず悲鳴をあげた。
「な、何これ……苦しい……」
皆藤がうめき声をあげながらその場に倒れこむ。その横で男は懐から別の注射器を取り出した。
「さぁて、次は君の番だ」
男がゆっくりと服部に歩み寄る。すると皆藤が慌てて男の足を掴み、顔を真っ赤にしながら叫んだ。
「服部さん、早く逃げて!」
「で、でも洋子が……」
「私のことはいいから、早く!」
「……くっ!」
服部は未練がましく、皆藤と男がいる方を何度も振り返りながら逃げ出した。男は服部の逃げた方を一瞥すると再び笑い出した。
「フフフ……。美しき自己犠牲心だね……。それじゃあ、君が変わっていく様をゆっくりと楽しませてもらおうか」
「か、変わって……? うっ!?」
皆藤は突然頭を襲った激痛に、思わずこめかみを押さえた。するとこめかみから若干黄色がかった固い物が生え始めた。さらに制服が肥大化した体に耐えきれず、破れ落ちる。そして露わになった上半身には満遍なく大量の白い毛がくるくると幾重にもカールしながら生えていた。
「い、いや、嫌……」
皆藤が苦しむその横で、男は転がっていた皆藤のカバンを漁っていた。そして一冊の本と編み棒を取り出して言った。
「ほぉ……あなたは編み物が趣味なんですか。きっとあなたのその毛で作ったセーターやマフラーは温かいんでしょうね……」
こめかみから生えてきた黄色い物体は蛇がとぐろを巻くように、少しずつカーブをかけながら伸びていた。さらにその物体を触っていた手の指が少しずつ縮んでいく。
手が思うように動かないことに気づいた皆藤は恐る恐る自分の手を見た。そこにあったのは見慣れた人の手ではなく、硬く、丸みを帯びた黒い蹄だった。
「い、嫌ぁぁぁぁっ!!!」
閑静な住宅街に皆藤の悲鳴が轟いた。