別れの言葉
「じゃあ、車持ってくるから。……いなくなったからって逃げるんじゃないよ?」
そう言って男が公園を出て行くと月村は、たり込んだままの河井の元へと駆け寄り、肩を掴んだ。
「お、おい! 大丈夫か!?」
すると震えていた河井は月村を見て、顔を引きつらせながら言った。
「だ、大丈夫……。ねぇ、あなた本当に悠ちゃんなの……?」
そう河井が言うのは仕方ないことだった。なぜなら今の月村の姿は元の姿と大きくかけ離れている物だったからだ。
そしてそのことを最も分かっているのは当事者である月村自身だった。そもそも髪が異常に伸びたり胸が大きくなったりしている時点で分かっていなければおかしい。
「……不本意ながら」
月村が頭をかき、視線をそらしながら答えると河井は目をまん丸にし、口をポカーンと開けた。
「う、嘘……」
「……俺だって嘘だと思いたいよ」
月村はその場にしゃがみ込むと、はぁー、と息をついた。そしてしばらく2人の間に沈黙が流れる。
沈黙を破ったのは月村の方からだった。
「……なぁ、河井。なんか姿見れるやつ持ってないか? 携帯のカメラとか」
「え、あ、ち、ちょっと待って、鏡あるから」
河井は弾かれた玉のように、慌てて自分のバッグをあさり、鏡を取り出した。そして月村はその鏡を受け取り自分の顔をそれに写した。
そこに写っていたのはあまり整っているとは言えなかった男の顔とはかけ離れた、かわいい女の子の顔だった。
「うっわ、モロに女の子じゃん、これ……」
耳をピクピクさせながら、引きつった顔で自分の姿を確認する月村の様子を見ていた河井が突然吹き出した。
「……何がおかしいんだよ」
「い、いや、ごめん、つい……。耳が、しゃべるたびに耳がピクピクって……」
そう言うと再び河井は笑い出した。それに比例するように月村の目はどんどん険しくなっていった。
「で、今後のことだけど……」
「……はい」
頭に大きなたんこぶをつくった河井が涙目のまま頷いた。
「とりあえず、俺が誘拐された、っていうのは警察に言え。……こんなことになってるのは伏せてな」
と言って、月村は自分の耳を指差した。それに対して河井は真面目な顔で頷いた。
「……話は済んだかな?」
公園に横付けされた車の運転席から男が待ちくたびれたような顔をしながら出てきた。
「……もうかよ。少しぐらい待ってくれてもいいじゃないか」
「ダメだ。人を近寄らせないための薬がもうすぐ切れてしまうからね。君だってその姿をたくさんの人に見られたくないんじゃないのかい?」
そう男が言うと、月村は苦々しい顔をしながら車の方へと歩いた。
「ね、ねぇ」
「ん?」
開かれたドアから車内へと入ろうとした月村に河井が声をかけた。
「悠ちゃんがこんなことになったのって、私のせい?」
「……なんでそんな話になるんだよ」
「だって、私が護衛なんか頼まなかったらこんなことには……」
「……バカ言え。深追いするな、って言ったのを無視した結果こうなったんだから……自業自得だよ。お前が気に病むことなんて何一つない」
そう月村が言うと河井は唇を噛みしめてうつむいた。
「ま、脱出方法がわかったらとっとと跳んで戻るからさ。心配すんな」
「……兎だけに?」
「そういうこと。じゃ、またな」
月村は照れ隠しでちょっと笑うと、まるで明日また会おう、と言っているような気軽さで別れの言葉を告げた。
ーーー
車はもうはるか遠くに行ってしまった。
目の前にいたのに、何もできなかった。その悔しさで私は唇をきつく噛みしめた。
「ニャー」
気がつくと私の足に黒猫が顔をすり寄せていた。
「……慰めてくれるんだ。優しいね」
しゃがみこんで喉を触ると黒猫は気持ち良さそうに目を細めながらゴロゴロと鳴いた。
「……そうだよね、私も私にできる事をやらないと」
私は立ち上がると、さっき悠ちゃんから言われたことを思い出しながら走り出した。
後ろから名残惜しそうに鳴く猫の声が聞こえた。
ーーー
男は監視カメラから半人半兎の少女の姿を見ていた。少女は先程から自分が入れられた部屋を探索している。
「それにしても……なんで完獣化しなかったのか……。これでは捧げ物に使えないじゃないか」
男は試験管に入っている半透明な液体を見つめた。
「自分の欲に溺れた者は簡単に完獣化したのに……やはり、捧げ物になるような健全な者はそう簡単に変わらないのか」
男は席を立つとフラスコやよくわからない機械が密集した部屋へと向かった。そして液体をおもむろに大量にある正体不明の機械の1つに放り込んだ。すると機械は変な音を上げながら動きはじめた。
「とりあえず、次回は量を増やしてみるか……。どうせすぐに検査結果は出ないし、それで済めば簡単だからな。……たぶん練り直しが必要だと思うが」
そう面倒くさそうに言いつつも嬉しそうな顔をしている男はさらに奥にある扉を開いた。
その扉の先には鉄格子がはめられた部屋があり、その片隅には何か獣のような物が体を小さくしながら微かに寝息をたてていた。
「……そもそもこれがうまくいっていたらこんな面倒くさいことにならなかったのにな」
男は顔をしかめながら小さく舌打ちした。