月村悠貴の悪夢
「なー、月村ー。今日ヒマー? ヒマだったら帰りにマック寄ろうぜー」
部活が終わり、みんな制服に着替え終わった頃、そう誘われた少年ーー月村 悠貴は手を合わせて謝った。
「悪りぃ、今日、ちょっと用事あるんだ」
「ん? 珍しいな。なに、彼女でも待たせてんのか?」
「んー、彼女じゃないけど……待たせている人はいる」
「え、誰だよ誰だよ」
「…… C組の河井だよ」
「河井だってぇ!?」
今の会話を聞いていた男子が一気にざわめきだす。月村は変な追求を受けない内に急いで部室を出た。
ーーー
河井 仁美。容姿端麗、成績優秀、運動万能、まさに才色兼備で学校でNo.1の人気を誇っている女子であった。
そんな河井と月村は幼馴染で、勉強を一緒にしたり、お互いの家に泊まりに行ったりする仲だった。それは高校2年生になった今でも同じである。
そんな河井が月村を呼び出したのは今日の昼休みのことだった。
「よっ、悠ちゃん。急に呼び出して悪いねー」
指定された屋上に月村が上がってくると、そこではすでに河井が弁当を広げていた。
「別にいいよ。で、どうしたんだよ、急に話があるって」
「うん、それがさ……」
「ストーカー?」
「うん……」
河井はご飯に箸を抜き刺ししながら言った。
「いつからなんだよ、それ」
「だいたい1ヶ月くらい前からかな……。なんか後ろから変な視線を感じる、っていうか」
「警察には行ったのか?」
「うんにゃ。別に実害受けてるわけじゃないし」
「お前なぁ……害受けてからじゃ遅いんだぞ?」
「わかってるわよ。だからこうして悠ちゃんを呼んだんじゃない」
そう笑顔で言った河井に対して月村は思わずため息をついた。
「……お前の護衛をしろ、と?」
「しょーゆうこと」
「大して面白くないギャグでごまかすな」
月村はとりあえず河井の頭に(一応手加減をして)げんこつを落とした。すると河井は殴られた頭をおさえて、大げさに痛がった。
「いったぁ〜。酷いよ酷いよー、悠ちゃんがぶったよー、私何も変なことしてないのにー。こうなったら慰謝料だ、慰謝料として私の護衛をしろー」
こいつ、みんなの前と俺の前とで態度変わりすぎなんだよな……。どこが才色兼備だ、とは月村の心の中だけの愚痴だ。
「……駄々こねてもダメです」
そう言うと河井はおさえた手を離して月村を恨めしそうに見つめた。
「……なんだよ」
「じーっ」
「……見つめても何も出さないぞ」
「じーーっ」
「……なんか他のこと言えや」
「じーーーーっ」
そんな押し問答が数分続き……その結果、
「……わかったよ」
月村は渋々折れたのだった。というかいつもこうなっている。
「柔道部副将、月村悠貴。河井仁美様を全力で護らせていただきます」
「……何その口調」
「ん? ちょっとした嫌がらせだよ」
ーーー
月村は図書室で待っていた河井と合流して、家までの道を歩いていた。
「こうやって一緒に帰るのっていつぶりだろうね」
「さぁなー。あんまり覚えてないけど、高2になってからはないんじゃないか?」
「そっかー。昔はよく一緒に帰ってたのにね」
「……いつの話だよ、それ」
「さぁ、いつの話だろうねー」
ふふふー、と言って河井は話を切り上げた。
「で、どこらへんからストーカーにつけられてんだよ」
「あぁ、あそこあそこ。ほら造営地の所」
「あー」
月村は納得してうなづいた。確かに造営地付近は夜じゃなくても人の通りが少ない。さらに近くに民家はないので、襲われても気づいてくれる人がいない可能性が高かったからだ。
「確かにあそこは女1人で歩くのは少し危ないな」
「だよね……。早く家建たないかなー」
そんな話をしている内に月村達は件の造営地に差し掛かっていた。そんな時、月村は背後から妙な視線を感じた。
「おい、河井……」
横にいる河井に声をかける。すると河井も真面目な顔でうなづいた。
「うん、わかってる……。次の角曲がって少し歩いたら振り向くよ」
「わかった」
そして目的地である角を曲がる。すると河井がブツブツとつぶやき出した。
「だ・る・ま・さ・ん・が・こ・ろ・ん・だ!」
河井が叫んだ瞬間、一気に振り向くと、さっき歩いてきた道へ緑色のTシャツを来た男が慌てて戻っていた。
「あいつか!」
月村は荷物を河井に押し付けるとすぐに男の後を追った。
「悠ちゃん!深追いしちゃダメだからね!」
後ろから河井の声がすると、月村は右手の親指をたててそれに答えた。
ーーー
「どこ行ったあいつ……」
男の後を追いかけて行った先には小さな公園があった。男がここに入ったのを俺は遠目で見ていたので間違いは無い。そして周りは住宅で囲まれており、出入り口は今俺が入ってきた1ヶ所しかない。
つまりこの狭い公園のどこかに男は隠れている、ということだ。
俺は出入り口をチラチラと見ながら辺りを調べだした。
数分後、トイレの裏の茂みを漁っていると、緑色のTシャツに青のジーパンが無造作に捨てられているのを見つけた。そしてそのそばで1匹の黒猫がキョロキョロと辺りを見回していた。
「…………」
俺は注意深く周りを見ながら、緑色のTシャツを手にとった……温い。つまり脱いでからそれほど時間はまだ経っていない。さらに俺が入ってから出入り口に人の姿は無い。と、いうことは……俺の足は自然とまだ見ていないトイレへと向かっていた。
全然掃除されておらず、腐敗臭もするトイレ。その中を覗こうとした瞬間、後ろに人の気配がして慌てて振り返ろうとした。
しかしそうする前に、首に何か針を刺されたような痛みがはしった。
「なっ……!?」
横目で見ると、そこには白衣を着た男が俺の首に何か中身の入った注射器を突き刺していた。
「君、動かない方がいいよ? 動いたら死んじゃうかもしれないから……」
男は無表情でそう言った。俺は自由に動けない状態で必死に言った。
「お、お前が河井につきまとってる奴か……!?」
「あぁ、あの女の子のストーカー? 違う違う。それなら君の足元にいるじゃないか」
「足元……?」
下を見ると、そこには先ほどの猫が心配そうな眼差しで俺を見ていた。
「な、何を……」
言ってるんだ、と言おうとした瞬間、男は注射器の中の液体を俺に押し込んだ。
「うっ……!」
男が注射してる間、俺は全く身動きが取れず、ただ入っていく液体を見ることしかできなかった。そして男が注射器を首から外すと、俺はすぐに男のそばから離れた。首をおさえると、わずかに血が出ていた。
「お、お前、何を注射した……!」
「ん? さぁ、何をしたんだろうね?」
男は気味の悪い笑みを浮かべながら注射器を懐に入れる。
「とぼけるな! おま……」
と言った瞬間、胸元のボタンが突然飛んだ。
「え……?」
恐る恐る自分の体を見てみると、胸に本来あるはずがない2つの膨らみが出来ていた。
「な、なんだこれ!?」
俺が体に起きた異変に驚き、叫んだ様子を男は面白そうに笑いながら言った。
「フフ、始まったようだね……あ、服は今のうちに全部脱いだ方がいいよ? 邪魔になるからね……」
「ぐっ……」
歯を食いしばりながら、俺は男の言う通りにシャツを脱いだ。すると胸以外の上半身に起きている異変が露わになった。主張しない程度に割れていた腹筋が消え、その代わりに細いウェストがそこにはあった。さらにそれらを隠すように綿のような白い毛が生えてきていた。
「な、なんだよこれ……って、あれ、声が……?」
声変わりが終わり、すっかり低くなっていた声がまるで女子のような高い声へと変わっていく。すると男は突然、俺の変わっていく姿を見て首をかしげた。
「ん? おかしいな……」
「何がおかしいんだよ!」
「今まであの薬をうたれた人はみんな完全になったのに……年齢とか、食生活とかで変わってくるのか……?」
男は俺の言葉など全く気にせずブツブツとつぶやき出した。その間にも手首から上半身を覆った物と同じような白い毛が生えてくる。すると突然耳がかゆくなりはじめた。
「う、次は何が……」
恐る恐る触ると、耳は突然ぴん、とたち、急激に伸びはじめ、ズズズッ、と頭の上に移動した。そしてトドメに刈り上げていた髪が一気に胸の辺りまで伸びた。
「うう……どうなってんだよぉ……」
顔にかかった髪を払いのける。そんな時、聞こえてはならない声が聞こえた。
「おーい、悠ちゃーん? どこまで行っちゃったのー?」
声がした方を見ると出入り口に河井の姿があった。俺は思わず声を張り上げた。
「ば、バカ! 早くここから離れろ!」
「へ?」
しかしその時にはすでに男が後ろから河井を捕まえていた。
「え、な、何!?」
「ふふふ、動いちゃあいけないよ……」
そう言うと男は懐から注射器を取り出し、河井の首元に近づけた。
「や、やめろ!」
脳裏に今まで自分の体に起きた一連の出来事がよぎる。すると男は注射器を刺す寸前で止め、こちらを見て言った。
「ねぇ、君。取り引きをしないかい?」
「取り引き?」
「そう。取り引きだ。君が僕の研究施設に来るのであれば、この子を解放しよう」
「……断れば?」
「簡単なことだよ。この子が代わりに実験動物となる」
それを聞いた河井がこちらに助けを求めるような目で見てきた。男はなおも続ける。
「ま、断ってもその姿じゃ、もう太陽を浴びる生活は出来ないだろうけど……。さぁどうするかな?」