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人獣牢獄  作者: 臼杵 碧
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プロローグ

 1人の男が薄暗い研究室のような部屋でフラスコに入った透明な液体を注射器に入れると、ケージから1匹の鼠を取り出した。

 突然掴まれたからか、暴れる鼠を抑えると男は鼠に注射器を射し、先ほどの液体を注入した。

 すると暴れていた鼠は突如として動きを止め、苦しそうに鳴いた後、みるみると巨大化していった。

 その様子を見ていた男は満足そうにうなずいた。

「……実験は成功だ。あとは量の確認だけか……」


ーーー


 とある夜の高架下。そこにブルーシートで作られた小さなテントがあった。

「あー、腹減ったなぁ……」

 その中で1人の男がつぶやいていた。

 この男、パチンコや競馬に大量の金をつぎ込み、借金まみれとなり、闇金にも手を出した結果、ヤクザまがいの借金取りに追われるようになり、それから逃れるためにこうして高架下でホームレス生活を送ることとなったのだった。

 そんな男の収入源は路上に捨てられている空き缶や調理道具といった金属片を町工場に売ること。しかし「拾えば街が好きになる運動」といったプロジェクトのせいでゴミが一気に片付けられたことで、売れる物が無くなってしまい、ここ数日、満足な食事が出来ていなかったのだ。


 空腹を紛らわすために、男は早めに寝ることにして、寝袋に入った。しかしその直後、それを許さないかのように、ブルーシートがバサバサと音をたてた。

「すいませーん、誰かいませんかー?」

 外から声がする。おそらくブルーシートをバサバサさせている張本人の物であろう。

「……なんだよ」

 眠りを邪魔された男は不機嫌そうにブルーシートから顔をだした。ブルーシートを叩いていた犯人は20代の白衣を来た青年だった。背中には何やら酸っぱい臭いがする袋を担いでいる。

「あ、お眠りになっていたのですか……。すいません、起こしてしまって」

「いいからさっさと用件を言え。腹が減って仕方ねぇんだよ」

 そう男がぶっきらぼうに言うと青年の目がキラリと光った。

「実は今、ある実験をしておりまして……それの協力をしてほしいのです」

「はぁ? 実験? 他を当たれや」

 そう言うと男はブルーシートの中に戻ろうとした。すると青年は焦ったように男の腕を掴んでいった。

「待ってください! それなりの謝礼は払いますから!」

 男の耳が謝礼、という言葉にピクリと反応した。そしてすぐに振り返った。

「本当か?」

「もちろんです。嘘はつきません」

 青年がゆっくりとうなずいた。それを見て男の目に光が戻ってきた。

「そうか……なら協力してやる。俺は何をすればいいんだ?」

「あ、はい。とりあえず、服を脱ぎましょうか。邪魔になりますから」

「…………?」

 男は青年の言葉に首をかしげながら言われるままに服を脱いだ。

「あ、下の方もお願いしますね」

「下もか? ……わいせつ罪とかで捕まるのはごめんだぞ」

「ああ、その心配はありません」

 そう言いながら青年が白衣の裏から注射器と液体が入った容器を取り出した。

「ん? もしかしてそれを注射するのか?」

「はい、そうです」

 全裸になった男が興味深げに青年の手元にある注射器に入っていく薬を見た。青年は薬をピュッと少し出すと、男の方を見た。

「では、腕の方を出してください」

「あ、ああ。……毒じゃないよな」

 腕を出しながら男は不信げに聞いた。すると青年は笑いながら注射器を持ってない方の手を振った。

「いやいや、そんな物ではないですよ……ではいきますね」

 そう言うと青年は男の腕をとって、注射器を射した。

「くっ……」

 痛みに男が顔をしかめる。しかしその痛みもすぐに済んだ。

 注射器の中の薬が全て男の体内に入ったのを確認して、青年は針を抜いた。

「はい、ありがとうございました」

 青年がそう言った瞬間、男は突然息苦しさを感じ、その場に倒れた。男は少しでも空気を取り込もうと、舌を出しながら必死に呼吸をした。すると男の体に別の異変が起きた。

「かっ、体がかゆいっ……」

 男はかゆみに耐えきれず全身をかき始めた。するとかいた所から次々と白い毛が生えてきた。そしてかいていた手も指が短くなり、丸かった爪も鋭い物へと変わっていく。

「え……お、俺の手に、に、肉球がっ」

 男が信じられない物を見るように自分の手を見た。しかし変化はこれにとどまらなかった。

 頭の毛も全身の毛の色と同じ白色になっていくと逆再生のようにみるみる縮んでいく。そのすっかり丸くなった頭の上に、本来なら横にあるはずの耳がスーッと、形を三角形に変えながら動いてきた。

「あ、な、にが、おう、ウ、ウォォォォッ」

 鼻が黒ずんでいくと同時に、顔が鼻を中心に引っ張られたように伸びていく。さらに男の口からはもう人間に通じる言葉が出なくなっていた。

 骨がゴキゴキと変な音をたてる。すると男の体は二足歩行から四足歩行に適した形へと変化していき、足や腕……もとい前脚がまるで座っているテディベアのように一方向にしか向かないように固定される。それに合わせるかのように尻の辺りから尾てい骨が伸び始め、しっぽになった。作られたしっぽは体の変化による痛みが耐えきれないのか、ひっきりなしにバタバタと動いている。

 最後に、股の間にある物が小さくなっていき、無くなった。その跡も白色の毛に覆われて見えなくなった。

 その様子を見て、青年は感心したように言った。

「ほぉ、あなたは犬になりましたか」

 先ほどまで、一人の男が転がっていたところには、今、一匹の犬が荒く息をしながら転がっていた。その姿を見て、青年はしゃがみこんで犬の下半身をまじまじと見ると驚いたように言った。

「おぉ、本当に無くなってますね。しっかし性転換するとは意外でした……。ちゃんとした設備があれば、子宮とかも出来ているか解剖して見てみたいですが……」

 そんな青年のつぶやきを聞いたからか、犬は起き上がると青年にむかって拒否するかのようにギャンギャン吠え始めた。

「冗談ですよ。とにかく、あなたのおかげで助かりましたよ。これが謝礼です」

 青年は笑顔で言うとテントの横に置いていた袋を取り、縛っていた紐をほどいた。

 袋の中に入っていたのは大量の、残飯と見られる野菜の切れ端や魚の骨、べちゃべちゃになった米だった。しかし犬はそれを見ると吠えるのをやめ、じっと見つめた。おそらく「食糧」と感じている犬の感覚と「残飯」と感じている人間の感覚がせめぎ合っているのだろう。

 数分後、腹が鳴る音がすると、犬は我慢ができなくなったのか袋の中に飛び込んで、中の物を食べ始めた。

「分量はこのサイズで充分なようですね」

 注射器を眺めながら、青年は残飯をわき目もふらずに口に運ぶ犬をほっといて、どこかへ消えて行った。



 数分後、袋の中の残飯を食べ尽くした犬は、青年がいなくなったのに気づき、慌てて河川敷中を探した。

 そして青年がもうここにはいないこと、つまり人間には戻る方法がわからないことに気づき、悲しげに遠吠えしていた。

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