暗がりの少年 1
ゆっくりと地下の中を這いずり回る蟲の声が聴こえる。
さっきまで聴こえていた蟲とは別の声だ。
意識を集中させて沢山ある声の中から目的の声を探す。
目的の声を見つけることが出来ずにイライラしていると、
僕の耳には誰かの泣声が聞こえてきた。(何故か、イラつく)
その耳障りな声を無視しようと何度も頑張っていたけれど、
いつしか目的の声を探す事を止めて泣声の主を探そうとしていた。
「ティー、早くしろ」
そんなときエリルの僕に負けず劣らずいらいらした声が届いた。表からだ。
表のエリルの姿は堂々とした偉丈夫。
だが裏の姿は神経質そうな山羊の姿をしている。
山羊のエリルは緊張しすぎているのだ。
たかが諜報任務なのだから、もう少し気を楽にしてもらいたいもんだ。
しかしいつもより時間がかかりすぎているのは確かだ。
(わかったよ!)再び意識を集中させて、今度は本当に目的の声を探そうとする。
裏の僕は此処ではない何処かの此処の中から、いたるところにある蓋を少し開けては目的のモノを探し続ける。
表では真っ白な病室の部屋が、裏では真っ白とは程遠い色をしている。
いろいろな色を混ぜ作り出した紅色。黒になったり藍色になったりしている。
こっそりと這い回る地面の下、向こう側にいてこちらを伺っている異邦者に気づかれぬよう、
そして片隅で蠢いている蟲が、隙間から這い出し気づかないうちに僕にまとわりつかないように
注意深く目標を探していると、ある蓋の隙間から蟲達に囲まれた泣いている白い影の女の子が見えた。
(さっきから聴こえている泣声の主か?)
「急げ。あまり長く裏にいると表に帰って来れなくなるぞ!」
エリルが早口に告げる言葉に反応するように、急速に女の子にまとわりつく蟲達は僕に向かってくる。
(いけない!)
僕は声を探すのを諦めて、蓋を閉じて、急いで表への階段を昇るイメージを作り出した。
「だめだ。みつからない」
「くそ、役立たずの蝙蝠め。だからお前と組むのはいやなんだ。さっさとずらかるぞ!」
エリルが表の僕の襟首を引っ張り、強引に立たせようとする。
表の僕は彼よりも頭一つ分も背が低く、まるで濡れた猫の様に痩せている。
それでも立ち上がることの出来ない僕をエリルは勢いよく片手で肩の上に抱え挙げると、
迫り来る警備を振り切りながらエリルはずんずんと進んでいく。
上手く警備を完全に振り切って病院の裏口へと向かう。
裏口から街の中の喧騒に紛れ込んでゆく。
エリルは数度振り返りもう誰も追ってこないのを確認すると、抱えていた僕を地面に降ろす。
そうして黙ったまま歩きだした。
僕も表に戻ってきたばかりで、上手く操れない体を立たせ『邸』へ向かって歩き出す。
ふらふらする僕を見て、ため息をつきながらエリルが方に手を廻す。
その手を振り払おうとはしたが、振り払うほどの力はなく支えてもらい歩き出した。
暗闇の中を進むのとは違い、表で明かりの下を歩く事はあまり慣れていない。
これが夜ならばまだ楽なんだが…
『邸』へ向かう間、誰かに見咎められてもいいように
『邸』に向かう病人の振りをすることが必要ないくらいに僕の体は思うように動いてくれない。
実際エリルが手を貸してくれなければ、どこかで体を休めなければ『邸』へ帰ることは出来ないだろう。
「大丈夫か。しっかりしろ」
頭の上から聴こえる声、必要以上に肩に廻されるエリルの手を感じながら、
今回の任務の事を考えていた。
依頼人は僕が『邸』に来た時から知っている男だった。
その依頼人は僕がなんとか『邸』で十六になれた今でも、『邸』で始めて出あった頃の姿をしている。
一度、主に依頼者の事を聞いたが何も教えてはくれなかった。
年齢不詳の依頼者から頼まれる任務は基本的に『邸』にとっては美味しくない仕事だった。
今回失敗に終わったとしても、さほど『邸』にとっては問題にはならないだろう。
ただ付き合いが長い分、今回の仕事は一応の義理は果たしておく必要があるのだ。
『邸』で生きていくには、一定の額の食い扶持を稼がなくてはならない。
僕が『邸』へ来たのは、まだ幼い頃だったので食い扶持を稼ぐ為に、
『邸』の主と契約を交わし裏の業を学んだ。
裏の業は使えば使うほど裏の中での動きが楽になる。
代わりに表では生きていくことが困難になる。
そのため裏の業を使う者は少ない。
おかげで僕は幼い時から裏の業を必要とする時に任務についていたので、
2~3年は任務に就かなくても、大丈夫な蓄えが今ではある。
今回この任務をやることにしたのは命の危険が少ない任務だからだ。
通常『邸』の仲間が、なんらかの任務に就く時に裏の業を使う者をチームに誘うが
裏の業を使う者は、仲間からも一線引かれている。
はっきり言えば裏業使いは仲間からも忌み嫌われている。
任務が失敗した時等に、体の動かない裏業使いは邪魔以外の何者でもないからだ。
とにかく今回の任務は簡単なものの筈だった。
入院した街の有力者の真実の声を聴きだすものだったからだ。
入院先の病室の番号も有力者のビジョンも貰っていたので、
すぐに目的の声を聴くことができると思っていたのだが、
指定された病室にその姿は無く、病院内の全ての声をしらみつぶしに聴いてみたが、
表のビジョンと一致する声がなかったので任務は失敗に終わった。