3-18
2つ目の太陽も地平線に沈んだ。
マウロは此処で、今までに何十人もの気に入らない輩を、魔法実験と称して骨も残さずに燃やし尽くしていた。
マウロのお気に入りの処刑場である野原が、急激に暗くなっていく。
だが、マウロの周りに発射準備状態のまま浮かんでいる、数百の火弾が一帯を明るく照らしている。
倒れている男の細部を、充分に見ることのできる明るさだ。
決して、暗くて見失うということはない。
それなのに、ボロボロの黒髪の男がなにやら呟いた途端に、千切れた腕を残しマウロの目の前から消えた。
マウロは自分の目を疑う。
「逃げたか?」
辺りを見渡しすぐに、少し離れた場所に立っている黒髪の男を見つけた。
丸裸といっても過言ではないだろう。
黒髪の男が着ていた物は、全て燃やされていて、身に纏っているボロ布は服と呼べるような物ではない。
申し訳程度に股間が隠されている程度だ。
それは見下ろしていた時と変わっていない。
だが、
「何故立っていられる!」
黒髪の男は、使い物にならなくなったはずの両足でしっかりと地面に立っている。
一瞬だけ自分の足元を見て、もう一度こちらを髪の毛よりも黒い瞳で睨み始めた。
マウロは男と同じように、足元の地面に視線を移す。
転がっている。
呪文により千切られた、黒髪の男の腕は確かに転がっている。
「その腕は!」
立っている黒髪の男は片腕ではない。
「なぜ欠損したはずの腕が! 瞬時に再生したとでも言うのか!」
治癒魔法は、基本的には身体の治癒能力を加速させる魔法だ。
千切れた腕を再び繋ぐ位の事はできるが、再生することはできない。
「ククク……ハハハハ! なんとしても貴様の頭が欲しくなったぞ!」
すでにマウロは、黒髪の男の事を魔導具の素材としてしか見ていない。
黒髪の男は、黙ってマウロを睨み続けるだけだ。
クラスは、体を『バージョン管理システム』により瞬時に復元した後、自身をドラッグドロップによる移動を行い、マウロの元から距離を取った。
そして立ち上がり、地面を見る。
足元の土でも掛けてやろうかと、地面を右クリックしたクラスは、メニューの中の『切り取り』と『コピー』がグレーアウトし、選択不可能になっていることにほんの一瞬だけ気に掛けた。
(……メモリエラーのせいか)
視線をマウロに戻し、クラスの静かな、無音の反撃が始まった。
マウロはニヤツキ笑いが止まらない。
再生魔法を封じ込めた魔導具を、もう手に入れたつもりでいる。
そしてクラスを見ると、
「再生したその体。元通りに動くかどうか手伝ってやろう」
マウロは再び呪文を唱え、炎追喰を出現させる。
クラスを炎で追い回そうとしたのだ。
だが、出現した途端に青白い炎は消えた。
「ん? 詠唱節を飛ばしたか?」
そんなはずはないと、マウロはもう一度呪文を唱える。
やはり魔法の炎は、一瞬だけ出現しすぐに消えてしまう。
それだけではない。
辺りを照らしている光量が、明らかに落ちてきている。
「何だ? 急に暗く……」
マウロの周辺に浮いていた火弾が、魔力を供給している限り、倍々で増えていくはずの火の玉が、その数を減らし始めたのだ。
「うぉっ!」
暗くなったせいか、数歩クラスに向かって歩いたマウロは、足元をふらつかせた。
足元を見て、マウロは目を見開く。
先程まで無かった段差が地面に出来ている。
「何だ? 一体何をしている!?」
得体の知れない力が、自分の周りを蹂躙しているらしい事にマウロは気付き始めた。
クラスはDELETEキーから指を離さずに、睨んでいるマウロの居る辺りを所構わずクリックし続ける。
魔法の炎が消える。
マウロの背後、離れた場所にあるガウレの鉄槌が消える。
転がっていたクラスの千切れた腕が消える。
咲いている小さな花が消える。
石が消える。
土の塊が消える。
砂の粒が消える。
一瞬でも選択状態になった物は消えていく。
稀にダブルクリックしてしまい、地面全体が選択状態になることもあったが、選択対象が大きすぎて削除できない旨のメッセージが現れる。
それを見たクラスは鼻で笑った。
(結局、この惑星は削除できないか)
選択された物が消える時に音はしない。
クリック音ももちろん聞こえない。
クラスの頭の中にだけ、カチカチカチカチカチカチとマウスをクリックする幻の音が響き渡る。
マウロをドーム状に包んでいる魔法障壁を除いて、今や地面に広がる魔法障壁の範囲が分かるほどに、マウロの近辺の土が抉られていた。
さらに数回、魔法を行使しようとしたマウロは、やはり放つ前に消えてしまう事にイラつき始める。
「何だと言うのだ! なぜ発動しない!」
マウロの周辺の火弾は、数えるほどしか残っていない。
かろうじて、マウロのあたりを照らす程度だ。
火の玉を増加させる魔力の供給は止めて、他の魔法の行使に魔力を使っていたのだ。
マウロは、殺傷性の低い火属性魔法を、取るに足らぬものとしてほとんど習得していない。
魔法学校で最初に教えられる火弾などは、相手への牽制に過ぎなかった。
見た目が派手で、一撃必殺を旨とする火属性魔法ばかりを好んで使用する。
手元から放った魔法が、相手を焼き尽くす瞬間がマウロに快感を与えるのだ。
いざとなれば、生まれつき持っている強大な魔法障壁がある。
さらに数種類の魔法をマウロは唱え続けた。
「……爆ぜろ! 『炎轟爆』!」
クラスのクリックから免れた、サッカーボールほどの大きさの火の玉が、ふよふよとクラスへ向かって進んでいく。
頼りない見た目とは裏腹に、任意の着火地点から半径20mほどの大爆発を起こす魔法だ。
そんな火の玉も着火前に消えてしまう。
「何故だ!?」
突然、マウロの周りが明るくなり始めた。
息子にただ1つだけ、直接手ほどきした特大火弾が次々と出現し始めたのだ。
マウロが、新たに火弾の呪文を使ったのではない。
魔法障壁の外側を沿うように、マウロの火弾が増えていく速度とは、比べ物にならない速さで次々と出現していく。
「今さら火弾だと! 何を考えている!?」
クラスはうろうろと落ち着き無く歩き回りながら、クリップボードから選択した、イビザの特大火弾を、Ctrlキーを押しながらVキーを連打し、マウロの周りに貼り付ける。
マウロの魔法障壁に消されてしまう位置に貼り付けても、意に介さない。
歩きながら、クリック位置を変えながら、大きな火の玉を貼り続ける。
マウロの視界全てを、火弾が埋め尽くした。
これではクラスを直接焼き尽くす魔法が、マウロは行使できない。
対象が見えなければ、発動できないのだ。
「えぇい! 邪魔だ!」
さらに増えていた、地面の段差に躓きかけながらも、数歩動けば魔法障壁が火弾を打ち消す。
だが、打ち消しても打ち消しても、マウロの魔法障壁の外を火弾が取り囲んでいる。
クラスはさらに、マウロを中心に円を描くように歩いて貼り続ける。
マウロは、自身を取り囲む火を見て笑い出した。
「悪足掻きもいい加減にしろ。ハハハハ。火弾ごときで何が出来るというのだ! 待っていろ! 今……ガッ!?」
大きな一本の火の柱と化した中心で、マウロが突然苦しみ始める。
「なん……だ? グッ! 息が……」
魔法の火でも、酸素を使って燃える。
クラスは酸欠を狙って、火の玉を貼り続けていた。
(あんな男に私が追い詰められているだと!)
辺り一面火の世界の中、震える手でマウロが肩に付いているマントの留め金に触れ、搾り出すようなか細い声で、短く呪文を唱えた。
赤いマントがさらに赤く輝きだした。
火の粉を振り払いながら、火の柱の頂上からマウロが飛び出す。
マウロは宙に浮いている。
上昇気流を自在に操る為に火を織り込んだ、赤いマントの魔力を解放し飛翔を開始したのだ。
「ハァ、ハァ、ゲハッ! ガハッ! ハァ、ハァ……貴様……」
クラスの斜め上空に浮かび、息を整え見下ろすマウロ。
クラスは黙って見上げている。
上から見下ろす視線、下から見上げる視線、2つの視線が交差した。
「貴様の頭などもう要らん! この世から消えうせろ!」
空から見下ろすクラスへの視線を外さずに、マウロは呪文の詠唱と、両手で印を組み始める。
マウロの前面に、じわりじわりと回転する直径3mほどの黄色い魔方陣が展開される。
魔方陣の回転速度が、徐々に速くなっていく。
「全てを消し去れ! 『光柱』!」
恐ろしいほどの勢いで回転しながら光を撒き散らす魔方陣から、クラスへ向かって大きな光の柱が放たれた。
マーグ帝国への進攻は、マウロ1人でも成す事が可能だった。
あくまでも有力貴族や王に対して、点数稼ぎの見せ場を作るために遠回りな進攻計画を練っていたのだ。
魔法や魔業、その他全てを防ぐ、自身を包む球形魔法障壁。
何千人という単位の敵兵士を、一瞬にして塵と化す範囲攻性魔法。
その2つを自在に操るマウロは、世が世なら、平民ではなくもう少しだけ恵まれた血筋ならば、世界を統べていたかもしれない。
目障りな、黒髪の男の消滅を確信したマウロが笑う。
そんな男が放った光の柱がクラスに迫る。
光の柱を見つめながら、クラスは呟いた。
「……お前がな」
クラスは、自分に向かってくる白い柱のごとき閃光に対し右クリック。
『順序』 ▶ 『最背面に配置』
光の柱が一瞬にして、マウロの背後へ出現する。
そのままマウロの背後へ向かい、光の柱は直進した。
全てを蒸発させ消し去る光の柱は、マウロの誇る魔法障壁をも例外なく貫いていく。
悲鳴や断末魔を上げる暇もなく、笑ったままマウロは光の中へと消えた。
それ自体を生み出した魔法陣を貫いて、光の柱が消えていく。
マウロを飲み込んだ光は、クラスの元へは届かなかった。
クラスの貼り付けた火弾の柱が徐々に消えていく。
「親子そろって、服を台無しにしやがって……」
そして、クラスはがっくりと膝をつく。
体にはケガ1つないが、心はボロボロだった。
前のめりに倒れ、口の中に入った土を噛み締める。
(人殺しか……)
クラスは、元の世界では殴り合いの喧嘩などしたことがなかった。
もちろん誰かを殺したいほど憎んだことも無い。
平々凡々と30数年生きてきたのだ。
殺らなければ殺られる状況だったとしても、心では整理が付かない。
殺してはいけないという世界からやってきたのだから。
それなのに、この世界に来てからは、夢中になってしまえば、力を振るうことに躊躇いが無いことにクラスは愕然とした。
仰向けにゴロンと大の字になる。
(余計な土産を残していきやがる)
燃えていた最後の火の玉が消えた。
辺りが真っ暗になる。
クラスが見上げた空には、満天の星々が輝いている。
無意識にクラスは、一番輝いている星をクリックしていた。
もちろん星の光が大昔の輝きだと言うことをクラスは知っている。
それでも一番に輝く星が、元いた世界の地球であってほしかったのだ。
星に手は届かない。星は選択されない。
クラスは少し自嘲して、視界の端にどかしていたデバッグ窓を開いた。
火傷などに対して無効化処理をしようとしたデバッグ窓が滲んでいく。
大粒の涙がクラスの頬を伝っていた。
「帰りてぇ……」
クラスを強烈なホームシックが襲う。
何処かも知れない世界へ放り出され、何をすればいいのかもわからず、命のやり取りまでさせられることになった男は、無性に元の世界、自分の部屋の布団に潜り込みたかった。
クラスはデバッグ窓から視線を外し、もう一度星空を見る。
鼻を啜りながら、輝く星を眺める。
(この空が元の世界まで繋がっていれば……)
どれぐらいの時間がすぎただろうか。
いつの間にか涙は止まっていた。
(考えるのも、デバッグ窓も、全て後にしよう……。疲れた……)
クラスは目を瞑る。
そのままスースーと寝息をたて始めた。
カイミの町へ向かう隊商の馬車が、クラスの倒れている野原を通りがかったのは偶然だった。
太陽が沈んだにも関わらず、明るいままの空を不思議に思って向かってきたのだ。
辺りをランタンで照らしながら、隊商の男達数人が、
「確かに明るかったんだけどな……」
「なんもねぇぞ?」
「おい! こっちに男が倒れてるぞ!」
「なに?」
「服がボロボロだぞ……」
「何があったっていうんだ?」
「本当に寝てるだけなのか?」
「でもこの辺りは何で焦げ臭いんだ?」
「どうでもいい! 早く魔法病院へ連れて行くぞ!」
隊商の馬車に載せられ、クラスは運ばれていく。
ミゼリアのマーグ進攻計画は白紙に戻された。
計画を立案、進言し、さらに自身が切り札だったマウロ・カイミが、息子の見舞いに行くと言ったまま行方不明になったからだ。
マウロが最後に目撃されたのは、カイミの学校で黒い髪の男について聞きまわっていた姿だった。
カイミ家がその後、貴族になったという話は聞かない。
そもそもミゼリアは、他国へ進攻する必要の無い豊かな国である。
この後も、国境付近の小競り合いはあったが、ミゼリアには平和が続いた。
少なくともチコが、たくさんの可愛い曾孫に囲まれながら、穏やかにこの世を去るまで、その耳にこの国に大きな戦があったという話は入ってこなかった。




