3-17
「う、ああ? ここは?」
石畳を走っていた筈が、周りに何もない、只々広い野原に立っている事にクラスは気付いた。
驚いて野原を見渡せば、離れたところに1人の男が立っている。
男の着込んでいる高価そうな赤いマントからすれば、先程避け切れなかった相手だろう。
クラスの顔を黙って見つめている。
すでに太陽の1つは沈んでおり、残ったもう1つの太陽も地平線に沈んでいくであろう時間。
残った太陽の夕焼けの赤い光を、クラスは右半身に、男は左半身に受けている。
男の顔にクラスは見覚えが無い。
金色の髪は整えられて横に流されている。鼻筋もまっすぐだ。
自信に満ち溢れた顔をしている。
女性を惹きつける要素をつめこんだら、こうだろうという顔だ。
だが、クラスはその男の目だけは気に入らない。
あきらかにクラスを見下している目だからだ。
男の口が開く。
「聞いたとおりの黒髪だな。わざわざ学校で聞くまでもなかったか」
「あのぉ……どちら様で?」
「ここならば、遠慮なく貴様の魔法障壁がどんなものか試すことが出来る。期待に応えて欲しいものだ」
「あの……」
クラスの問いを、全く無視した男の口から、クラスの耳に飛び込んできたのは、
「……食らい尽くせ。『炎追喰』」
指を滑らかに淀みなく複雑に組み合わせながら、呪文を唱え魔法を発動させる男の声だった。
「なっ!!」
男の元から、大玉転がしに使う大玉ほどの青白い炎が、クラスに向かってくる。
「うわわ!」
向かってくる青白い炎を、咄嗟にクラスはクリックするが、選択状態になったのは一瞬だけで、メニューはすぐに消えてしまう。
それでも、炎の動きはそれほど早いものではなく、なんなく避けられそうだとクラスは、向かってくる炎に対して右側へ、頭から体を投げ出した。
仰向けになり、もう一度炎の行く末を見ようとしたクラスは、避けたはずの青い炎がその場に留まっているのを見る。
さらにその炎が、徐々に倒れている自分へ向かって方向転換し始めたのを見て、クラスは慌てて立ち上がった。
炎を受け止めれば、ブレークポイントで止まるかもしれないが、初めて見る魔法をいきなり受け止めるというのは、クラスには怖くて出来なかった。
イネアを庇った時は、無我夢中だったのだ。
炎から少しでも遠くへ逃げようと、全力で走り始める。
走りながら、自分をドラッグドロップで移動させるのは無理なようだ。
一歩踏み出すたびに、選択状態が解除されてしまう。
走りながら何度も振り返って見るが、やはり青い炎は消えておらず、クラスを追ってくる。
「ハァ、ハァ……」
息がすぐに切れ始める。
そんな様子を見ながら男は、
「ハハハ。逃げずに障壁を見せてみろ」
着ている白いシャツの襟を右手でいじりながら、凄く楽しそうだ。
クラスは足を止め、荒い息のまま炎を見つめると、その進行方向上にガウレの鉄槌を1つ貼り付けた。
宙に現れ落下する鉄塊は、クラスの思惑通りに炎を下敷きにした。
「ハァ、ハァ……。なんの、ハァ……。つもりだ?」
クラスは息も絶え絶えに、男へ問いかける。
「……面白い。無詠唱で転移? 可能なのか? いや魔業の類か?」
まったく会話する気が無いように、男はブツブツと1人でつぶやき始めた。
(どうしてくれようか!)
荒い息のまま、男をクリックしたクラスは、
「うっ!」
と息を一瞬詰まらせてしまう。
(選択できない!)
まるでクリップボードの中の疾風申の爪のように、ゆらゆらとした何かが男を包んでいる。
何度クリックしても男は選択状態にならない。その何かは実体ではないのだろう。
(魔法か? あるかもしれないとは思っていたが……)
クラスは頭を切り替える。
クリップボードの中から、イビザの特大火弾を選択し、男の前方に貼り付けた。
だが、男が一歩進んだ途端に、まるでガラスビンをかぶせたかの様に、一瞬で火の塊は消えてしまった。
「火弾? だが今の大きさは……。やはり貴様か。まぁいい。面白い物を見せてくれた礼だ。本当の火弾の使い方を教えてやろう」
踏み出した男は、指を組み合わせ、短く呪文を唱える。
握り拳大の火の塊が1つ、男の前に現れる。
その火の塊が、大きさを変えずに2つに別れた。
さらにその2つは4つに、4つは8つへと上下左右に次々と増えていく。
程なく男の周りには数百、数千の火の塊が浮くことになった。
「こうしてだな。こうだ」
男の言葉と共に、宙に浮かんでいる火の塊のうち、数十の火弾の群れがクラスへ向かって殺到する。
「うひぃ!」
情けない声を出しながら、クラスは範囲選択を行い、飛んでくる火弾を消した。
複数の火弾が、瞬時に消えた光景を見た男は、
「ほう! 今のも面白い。次は数をもう少し……」
またも数十の火弾が、今度は左右に別れて、クラスへ飛んでくる。
(間に合うか! こんなん!)
いくつかの火弾を消すことに成功したが、それでも残りの半分程を肩の辺りに受けて、クラスの服が燃え上がる。
デバッグ窓が開かれたおかげか、痛みはない。
(この野郎!)
クラスは男を睨みつけると、鉄槌を男の頭上へ貼り付けた。
落下した鉄槌は、男を押しつぶす……はずだった。
落ちてくる鉄の塊を、男がチラリと見上げる。
男の頭4つ分ほど先の空中で、見えない壁があるかのようにズルリと鉄の塊は男の脇へと逸れて落ちていった。
男を包む魔法障壁が、鉄槌を逸らしたのだ。
「ん? 畜魔鉱の結晶だったのか? しかし魔業は掛かっていないな。これでは只の大きな石だ」
ペチペチと、手のひらで鉄塊を叩く。
「もう少し、走ってみれば魔法障壁を見せる気になるか?」
男が唱える呪文と共に、またも青白い炎の塊が、今度は数個現れる。
「ハハハハ」
男の周りの浮いている火弾はさらに数を増しており、その内の数百とも見える火の塊が一斉にクラスに向かって飛んでくる。
さらに青白い炎も、男の元からクラスに向かって放たれた。
(ちくしょう!)
炎を引き連れた、クラスのマラソンが始まった。
迫ってくる火弾を消しながら、青白い炎から走って逃げるクラス。
鉄槌で追ってくる青い炎を消そうにも、次々と襲ってくる火弾によって立ち止まれない。
そのうちに、足をもつれさせて転んでしまう。
「わぷっ!」
無慈悲にクラスへ殺到する赤い火、青い火。
次々とクラスの視界に、デバッグ窓が開かれる。
視界を埋め尽くすほど開いたと思えば、視界の真ん中に
┏━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃Error!!
┃Out of memory
┃Please restart your system
┗━━━━━━━━━━━━━━━┛
体が痛いこと、熱いことより何より、クラスの背筋を凍らせるメッセージが現れる。
(再起動要求!? なんだかヤバい!)
痛みを忘れ、慌ててクラスは立ち上がる。
だが、デバッグ窓を閉じるために何かをする暇は無い。
(打つ手がない!)
クリック選択ができなければ、男に直接なにかを仕掛けることはクラスにはできない。
クリップボードにある、火弾や鉄槌が男に通じない今、クラスのできることは逃走だけだ。
くるりと後ろを向き、デバッグ窓をかき分けて、はるか彼方へ自分自身をドラッグドロップしようとした時だった。
「使い物にならなくなった息子の見舞いにも来てみるものだな。思わぬところで面白い素材が手に入りそうだ」
男のつぶやきに近い一言がクラスの耳に入る。
(息子?)
クラスはもう一度、男に対し向き直った。
「貴方の名前は?」
「おお。そう言えばまだ名乗ってなかったな。私はマウロ。マウロ・ミガルだ。恐らく貴様に魔導士の道を断たれた少年の父親だよ」
(魔法少年の父親か!)
「貴様のその頭。城に帰って魔導研究所にでも持ち込めば、さぞや面白い魔導具ができあがるだろう」
マウロは指を複雑に組み合わせ、呪文を唱えると右手の人差し指をクラスに向ける。
「刺し貫け。『光線』」
マウロの指から放たれる白い光。
一直線にクラスへ向かった光は、呆然と立ちすくむクラスの右脛を貫通する。
「が、あああっ!」
デバッグ窓は開かれなかった。
右足の膝下は千切れそうなほどの損傷で、クラスは地面に倒れる。
笑いながらマウロは、
「頭だけ持ち帰れればいいのでね。手足はここで処理していこう」
さらに数条の閃光がクラスに向かって放たれる。
「ぐっ! いぎぃ!」
左手の甲、左太腿、右肩などクラスの体のあちこちに穴が穿たれていく。
肉が焼ける匂いを嗅いでクラスは、
(歯医者で歯茎を焼いたときの匂いみたいだ……)
クラスに、反撃や逃走する意思がなくなっていた。
(あーあ。復讐の対象に俺がなるなんてな……)
クラスの脳裏に、山賊の死体に剣を突き刺すケリーの姿が思い出される。
(泣きながら刺していたな……)
復讐。
そんな2文字がクラスの思考を埋め尽くす。
もっとやり方があったのではないか。
例えば、魔法少年の作り出した炎を消すだけで済ますなど。
色々な"もし"がクラスを責める。
(少年の未来を奪ったんだ。父親がその報復に来るのが当たり前か……。結局この世界で何をするべきだったのかは分からなかったな……)
まったく抵抗しなくなったクラスに、マウロは、
「もう抵抗しないのか? もっと色々見せてもらいたいものだ。大きいとはいえ只の火弾と、蓄魔鉱を出すだけの魔導具などあまり価値はないからな」
クラスは痛みで泣きながら、マウロの顔を見上げる。
(痛ぇ。早く楽にしてくれ……)
マウロが指から光を放つ。
さらにクラスの左腕の肘関節に穴が空き、肘の先からボトリと腕が地面に落ちた。
「ぎゃああ!」
マウロがクラスに向かって歩いてくる。
丁寧になめされた獣皮を使用したマウロのブーツが、勢いよくクラスの腹に突き刺さった。
「ふん。つまらん。先程までの貴様は何処にいった。もっと足掻いて楽しませてみろ。出来損ないの息子の最後の親孝行としてな!」
か細い声でクラスが、
「……出来損ない?」
「火を恐れる魔導士など、出来損ない以外のなんだというのだ」
「息子の復讐じゃないのか?」
「復讐? ハハハ。面白いことを言う。息子が、魔法障壁が得意な魔導士にやられたと言うから、使えるようならば我が魔導士団に迎え入れようと思っただけだ。
……確かに貴様の魔法障壁は特異なようだ。あれだけの火が属魔法を受けて、それだけの怪我で済むはずはないのだがな」
「息子の将来を奪ったんだぞ?」
「安心しろ。将来有望な子供などいくらでも増やせばいい」
「増やす?」
「ああもちろんだ。私さえいれば問題は無い」
ニヤニヤと笑うマウロの言葉を聞いて、クラスの頭の中はグラグラと揺れ始めた。
(……違うのか? 俺に子供がいないから分からないのか? この世界では、誰もが大事な誰かのために戦っているんじゃないのか?)
トムが血だらけになりながらもチコの元へいこうと伸ばした手。
ケリーの泣き声。
カルナが父の仇を取らなければならないと言っていたときの瞳。
ガウレが息子の話をしたときの寂しそうな笑顔。
クラスが今まで出会ったヒトの、様々な姿が浮かぶ。
(息子なんだぞ!? 出来損ないだと!? 増やせばいいだと!?)
「……忘れてた」
クラスはマウロを睨みつける。
「何をだ?」
クラスの体が瞬時に修復される。
「お前ェの息子もムカつく奴だった」




