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「ぶつかっちゃいましたね」
「そうですねぇ」
緊張感のないイネアの声に頷きながら、子供達が使うため安全な軽い桶を選んでいるのでたいした事はないだろうと楽観的に考えていた。
桶を蹴り飛ばした子供が謝ろうとして黒マントの一団に近づく。
「イビザ様! 大丈夫ですか?」
「どこかお怪我でも?」
取り巻きに心配されながらも、イビザは頭を抑えたまま片膝を地面につけて震えている。
「イビザ様? どうかされ・・・」
次の瞬間、跳ねるように立ち上がったイビザは、
「下郎が!」
魔法の詠唱を始めたのであった。
謝って終わりだろうと思っていたクラスはなにか様子がおかしい事に気付く。
立ち上がった少年が黒いマントをなびかせ胸の前に複雑に指を組み合わせ始めたのだ。
「ひっ!」
謝ろうと近づいていった子供は、あまりの少年の剣幕に尻餅をついた。
詠唱が完了したのだろう。マントの少年が指を組んでから、瞬きほどの間に胸の前に大きな火の玉が現れる。
「燃やし尽くせ! 火弾!!」
火の粉を散らしながら火の玉が子供に向かって直進し始める。
その瞬間、ビビビビと警報のような音がけたたましく鳴り始める。
「ウワァ!」
だが尻餅をついたのが幸いしたのだろう。子供の頭の毛先を少し燃やしたぐらいで火の玉はまっすぐ通過していく。
「え?」
その先にイネアが立っていた。身動きせずに向かって飛んでくる火の玉を見ている。
「きゃぁぁ!」
絹を切り裂くような悲鳴を上げながらも、足がすくんだのか一向に動かない。
ドスッ。
重い物を布団に落としたような鈍い音がした。
だが眼をつぶったイネアの体から発せられたのではない。
「グッ。さすがに魔法か。ランタンの火なんかとは桁が違うな。イタタタ・・・」
イネアを庇い背中に火弾を受けたクラスから発せられた音だった。
「クラスさん!」
攻性魔法が学校の敷地内で使われたことを検知したビビビという音は鳴り止まない。
何事かと校庭に出てきた講師達が見たのは、学校でも扱いに窮しているイビザが組んだ指を下ろす姿と、背中を燃やしている黒髪の男の姿だった。
どうしようかと動きが止まってしまった講師達にイビザが声をかける。
「正当防衛です。異論があるのなら屋敷まで来てください」
それだけ言うと取り巻きを引き連れて学校の敷地を出て行った。
「クラスさん! 背中が!」
肩越しに背中の服が燃えているのをみたクラスは、
「本当だ! アチッアチッ」
服を脱ぎ捨てていく。
「大丈夫ですか?」
クラスは脱ぎ捨てた服を足で踏んで鎮火させながら、
「イネアさんは大丈夫?」
「私はなんともありません。本当にありがとうございます」
「それなら良かった」
「早く医務室にいきましょう」
「え? あぁ、はいはい。おーいお前らもう今日は帰れー」
心配そうにこちらを見ている子供たちに向かってクラスは呼びかけ、イネアに連れられて医務室へ向かっていった。
魔法の直撃を受けたとして、医務室にやってきたクラスの背中を見ている学校医は不思議な顔をしている。
「火属性の魔法を受けたと聞きましたが?」
イネアはクラスよりも先に答える。
「大きな火の玉でした!」
(火傷の類は処理しちまったからな・・・)
魔法を受けた際に開いたデバッグ窓により、火傷など火による体への外傷処理は無効にしている。
しかし身体に対しての入力のうち、解析できていない部分についてはブレークポイントが貼られていないため、背中には大きな痣が付いていた。
(打撃処理については結構な数がブレークポイントで止まったんだけどな・・・。さすがは魔法か。だけど今回の魔法で呼ばれた他の打撃処理はだいたい捕まえられたかな・・・)
自分自身を可能な限り思いつく各種の方法で傷つけ、その結果呼ばれる処理を見つけブレークポイントを貼る作業は今も繰り返し続けられている。
文字の読み書きを覚えることによる恩恵は、生活だけでなく自身のデバッグにもあるのだ。
解析が進めばクラスを傷つけられる攻撃はどんどん少なくなっていく。
「火の玉ねぇ・・・。確かに燃えた服をみれば疑う余地はないけど。火傷みたいなものは見られません。ここで出来るのは貼り薬だけですので、異常を感じたら魔法治療を受けてください」
湿布のようなものが背中にペタリと貼り付けられた。
「魔法治療って?」
「魔法病院ですよ」
クラスの質問に何をいっているのかという顔で学校医は答える。
「程度にもよりますが、このぐらいの打撲であればそんなにお金はかからないはずですよ」
「はぁ」
生体コピーの貼り付けによる治療を、自分やトムとチコにすでに行っているクラスは魔法治療との差を知りたくなってきた。
「本当に大丈夫なんですか? クラスさん」
火傷がないという話に疑いをもったイネアはクラスに問いかける。
「実は大丈夫じゃない問題があるんですが」
「えぇ!? 早く言ってください」
途端に顔を青くしてつめよってくるイネアに真面目な顔をしてクラスは答える。
「帰りに着る服がないんです」
鎮火の際にボロボロになってしまった服を指差して。
気分が悪いと言って取り巻きと別れたイビザは屋敷に戻っていた。
(おかしい・・・。あの男の背中)
碌に狙いも定めずに放った火弾が子供に当たらなかったのはいい。
だが自分の魔法の威力を知っているイビザは、直撃した男が妙に軽症だったことに疑問を持つ。
確かに男の服は燃えていた。しかし男の体自体は吹き飛びもせず女講師を守りきってみせた。
「許してください! 若様!!」
屋敷の敷地内にある魔法練習場。
練習熱心なイビザは今日もここで使用人を相手に魔法の実戦訓練をしている。
父である宮廷魔導士の手ほどきとは非人道的なものだった。
「これで最後です! 動いてはいけませんよ!」
校庭での状況を再現するように使用人との距離を取り、火弾の魔法を放つ。
「ヒィィィ!」
あの時と同じように火の粉を散らしながら、哀れな使用人に向かって直進してゆく炎の塊。
「ガッァァァァ!」
魔法が直撃した使用人は、10mほど後ろの練習場の壁に全身を叩きつけられて燃えあがった。
(そうだ。やはりこの威力。何者だあの黒い髪の男は!)
踵を返し屋敷に戻っていくイビザ。畏まっている他の使用人達に向かい、
「片付けておいてくださいね」
自分の番ではないことに心から安堵する使用人達だった。




