対策会議2
ある程度の説明を終えると、坂内梨華国防大臣は席に着いた。そして次に大日本帝国軍統合運用司令本部総長である篠原一馬元帥が立ち上がり、坂内国防大臣の説明を補足するように詳細な部隊の展開と軍事援助について語った。
『大日本帝国の動きは大規模なものだった。まず陸軍はアメリカ合衆国駐留の第12方面軍、イラン帝国駐留の第15方面軍、ロシア連邦駐留の第8方面軍は平時の兵員数15万人程度の為に、残る5万人を大規模空輸により大日本帝国本土から送り込んだ。装備・弾薬は全て駐留する国の各所に保管・備蓄されていたので、残りの兵士を送り込むことにより充足率は満たされた。
更に4個師団(2個軍)ずつのロシア連邦・イラン帝国・アメリカ合衆国派兵の為の即応待機部隊が緊急派遣される事になった。これによりロシア戦線と中東戦線を優先しつつも、アメリカ戦線にも駐留軍の増強ながら支援する事にした。だが直接的支援として常に出動できる体制で国内待機していた、即応待機用の2個空挺師団と1個空中強襲師団がロシア戦線に、2個空挺師団が中東戦線に派遣された。
特にロシア戦線に派遣された第1空中強襲師団は、ヘリボーンに特化した部隊編成であり世界初の運用を想定した部隊であり、それはまさに大日本帝国だからこそ成し遂げられた部隊だった。ヘリコプターそのものが実用化と大量生産が可能なのが、大日本帝国と神聖ゲルマン連邦帝国だけであるのも大きな理由だった。
何せ神聖ゲルマン連邦帝国はヘリコプターを侵攻する陸軍地上部隊の、近接航空支援や戦場のタクシーとしてしか運用していなかった。それに対して大日本帝国陸軍の第1空中強襲師団は、64式偵察回転翼機コウガ約90機、59式汎用回転翼機ニンジャ約290機、62式大型輸送回転翼機イガ約100機、63式攻撃回転翼機くノ一約280機が配属されていた。この莫大な空輸能力により師団独力で一度に4000名以上の兵員を空輸する能力があり、歩兵だけに留まらず、捜索、砲兵、更に支援部隊までもをヘリボーン展開することができた。すなわち、史上初の[空中機動可能な諸兵科連合部隊]であったのだ。
その期待の第1空中強襲師団と空挺師団が、大日本帝国の最初に派遣した部隊になった。ペルシャ湾には海軍連合艦隊とその率いる輸送船団が向かっておりイラン帝国にも大規模な増援が派遣される事になり、ロシア連邦には日本海を渡りシベリア鉄道で増援が派遣されていた。空軍も大挙して進出しており、大日本帝国の牙が神聖ゲルマン連邦帝国に向けられようとしていたのだ。』
カーリアノエル著
『第三次世界大戦戦争録』より抜粋




