動き出す龍
同時刻、大日本帝国は全力で戦力の移動と展開を開始した。帝都東京首相官邸地下3階戦闘指揮室で昨夜藤咲瑞希内閣総理大臣が開催した会議で決定しように、ロシア戦線と中東戦線を優先する事になった。北アフリカ・南米・アメリカの各戦線は放置とはいわないが、優先順位はロシア戦線と中東戦線の次となった。
大日本帝国はロシア戦線と中東戦線を優先し、軍事力の展開という直接的支援を決定した。北アフリカ・南米・アメリカの各戦線には大規模な軍事援助を行う事になった。第三次世界大戦の勃発から48時間が経過したが、ようやく動き出す事になった。それは大日本帝国の本土の弧状列島から、『動き出す龍』と後世からは呼ばれる事になっていた。
『大日本帝国は神聖ゲルマン連邦帝国の世界同時侵攻に、遂に立ち上がった。戦後開示された資料によると、大日本帝国は神聖ゲルマン連邦帝国による世界同時侵攻以後に会議を行った。そこで優先順位を決めロシア戦線と中東戦線を、他の戦線より優先し軍事力の展開という直接的支援を行う事にした。
その為に大日本帝国は大規模な軍の動員を開始した。だが如何に冷戦中とはいえ、かたや世界同時侵攻を行う程に準備を整えていた神聖ゲルマン連邦帝国と、警戒はしつつも戦争準備が整っていない大日本帝国という大きな違いがあった。
だが大日本帝国も冷戦中という事もあり、ロシア連邦駐留軍とイラン帝国駐留軍は各1個方面軍(3個軍で合計6個師団)を駐留させており、総数20万人の兵員を抱えていた。その各方面軍の戦力は重厚であり保有する戦車数(約2300両)は、イラン帝国陸軍の保有総数に匹敵するほどだった。そして平時は兵員数が15万人程度に抑えられていたが、装備・弾薬は全てロシア連邦とイラン帝国各所に保管・備蓄されていたので、戦争が近づくと空輸で残りの兵士を送り込むことになっていたのである。
また空輸という点では、緊急時には空挺師団や空中強襲師団が大日本帝国本土から駆けつける想定もあった。更に大日本帝国軍は、ある程度事前情報さえ得ていれば、2週間で2個軍(4個師団)の重装備部隊を大日本帝国本土からロシア連邦とイラン帝国に持ち込むことが可能だった。それは大日本帝国陸軍の1個軍(2個師団)を中核とした緊急遠征軍や、大日本帝国各所に配備されている装備を満載した事前集積船の群れなどが大部隊の迅速な移動を可能としていた。
そしてこれらの戦力は反撃用なので、ロシア連邦とイラン帝国に配備していた各1個方面軍の戦力は基本的に全て防戦に投入予定だった。逆を言えば、手持ちの全てを防戦に投入しなければ、神聖ゲルマン連邦帝国軍を止めることが不可能だったという事だった。
なお冷戦最盛期の大日本帝国陸軍は、総数60個師団を基幹線力としていた。このうち6個師団(1個方面軍)ずつがロシア連邦・イラン帝国・アメリカ合衆国駐留、4個師団(2個軍)ずつがロシア連邦・イラン帝国・アメリカ合衆国派兵の為の即応待機となる。また4個空挺師団と1個空中強襲師団も即応部隊であり、常に出動できる体制で国内待機していた。
残る25個師団のうち、ロシア連邦・イラン帝国・アメリカ合衆国向けにそれぞれ2個師団(1個軍)が準備されていたが、よほど事前に大規模戦闘の予兆が無い限りは派兵することは難しかったのである。そして残りの部隊も戦略により各地に派遣可能だった。
また師団以外には、樺太の冬季戦旅団・空挺旅団・特務旅団・教導部隊の独立機甲旅団等があり、裾野の広い非常に規模の大きな陸軍を構成していた。後方支援体制も他国を懸絶するほど充実しており、総合的な能力では実質的に世界最強の陸軍と言っても間違いないだろう。
その大日本帝国陸軍が動き出したのだ。まずはロシア連邦とイラン帝国の各方面軍の充足率を満たす為に、人員の輸送が最優先で開始された。そして各緊急遠征軍の派遣が準備された。各地の港に停泊された事前集積船は、遂にその真価を発揮する事になり続々と人員を飲み込み出航準備を開始した。
それを護衛し中東戦線では対地攻撃を担うべく、大日本帝国海軍連合艦隊も出撃準備を開始した。自他共に認める世界最強海軍の出撃であり、連合艦隊はその総力を注ぐ事になった。それは[海軍即応予備艦隊]も投入する事により、その決意が現れていた。』
カーリアノエル著
『第三次世界大戦戦争録』より抜粋




