解説 大日本帝国政治体制
世界全体の政治文脈
この世界では、第二次世界大戦の枢軸勝利により、民主主義・自由主義のモデル国家(アメリカ合衆国)が敗戦国として占領・再編され、事実上その世界的影響力は存在しなくなった。大英帝国やフランス共和国も神聖ゲルマン連邦帝国に吸収され、欧米型の議会制民主主義は絶滅したのである。
また、ソ連の東西分断と中国共産党の殲滅により、社会主義・共産主義国家も消滅した。残るのは帝国主義・権威主義のバリエーションのみで、世界は『大日本帝国の相対的民主化帝国主義』と『神聖ゲルマン連邦帝国の絶対的権威主義独裁』の二極構造となっている。
これにより、両国は『文明の対立』として宣伝し合う事になり大日本帝国は『亜細亜協和の調和的統治』を、神聖ゲルマン連邦帝国は『ゲルマン民族の絶対的優位』を掲げる。
大日本帝国の政治体制
大日本帝国は、第二次世界大戦勝利後の1945年10月1日に改正された大日本帝国憲法により、軍制改革(統帥権廃止)と並行して政治体制を大幅に刷新した。史実の大東亜戦争前(満州事変・支那事変での軍部独走)の反省から、立憲君主制を基盤に『相対的民主化』を進めた。だがこれは『大東亜戦争前に比べて』という程度問題で、絶対的自由主義ではなく、帝国主義の枠組み内の改革である。皇民化政策による単一民族国家として、国民の忠誠心を前提に議会中心の運用を強化し、経済繁栄を支える『安定した権威主義的民主制』と呼べる形になっている。
基本構造は立憲君主制である。天皇陛下は大日本帝国の国家元首と、大日本帝国軍大元帥として名誉的地位を維持するが、実権は内閣総理大臣と帝国議会に委譲されている。憲法改正で統帥権を廃止し文民統制を徹底するが、大日本帝国憲法の金科玉条たる『天皇陛下主権』は改正されていない。その為に事態に及んでは天皇陛下による『勅令』が下される事もあり、その場合は帝国議会・内閣・大審院の決定権よりも優先される事になる。
首相選定と内閣形成
大日本帝国憲法改正前は首相の任命は天皇陛下が行うこととされたが、実際の選定は天皇陛下への結果責任が及ぶのを避けるため、首相が辞任するたびに元老の合議によって人選され、推挙された人物へ任命(大命降下)が行われるように運用されていた。だがその後二大政党が自党の党首の首相就任を求めるようになり、また元老も続々と鬼籍に入ってきたこともあって、人選の基準を機械的に行うようにして、ゆくゆくは元老不在になっても自律的に首相の任命が行われるための慣例が、西園寺公望元老の主導で行われる。
それにより原則、衆議院議員総選挙で第一党になった党の総裁を、首相にする事が決定し、憲政の常道として確立される事になった。だがその後最終的に軍部や政党事態が『大政翼賛会』に統合される事等もあり、憲政の常道は形骸化した。
それを受け大日本帝国憲法改正後は憲法そのものに『帝国議会衆議院総選挙による第一党の党首に、天皇の大命降下が行われる。』との文言が追加され、憲政の常道は『形式』という暗黙の了解では無く、『国家方針』として日の目を見る事になった。選挙により第一党が過半数を取れなければ連立政権を形成する事になる。首相は衆議院解散権を持ち、議会中心の運用が定着。
この結果、『戦前に比べると』民主化が進み、選挙の重要性が増大した。大日本帝国では大東亜戦争後大政翼賛会解散により新たな政党が結成されたていた。その共通点は全て『天皇陛下への絶対忠誠』『皇民化推進』『大亜細亜連合覇権維持』を掲げており、超少数派となったが社会主義や共産主義等の反体制派は政党活動どころか物理的に内務省警保局公安部により即排除されていた。
新たに結成された政党は『保守』で一貫しており、政治的イデオロギーは『軍事保守』か『経済保守』を標榜する二大政党が帝国議会衆議院に君臨していた。軍事保守を掲げる『旭日尊皇党』(軍事重視、『大日本帝国の剣』として軍事覇権を維持し、『国防無くして繁栄無し』を党是にする)と、『皇国共栄党』(経済重視、『大日本帝国の財布』として経済覇権を維持し、『繁栄無くして帝国無し』を党是にする)、の二大政党が帝国議会衆議院で90%以上の議席を有し、残る僅かばかりの議席を弱小政党と無所属が占める。
議会と権力分立
衆議院は総選挙制(任期4年)。本土昇格地も等しく普通選挙が実施され議員を送り、多様な『日本人』の声が反映される。
貴族院は大日本帝国憲法改正で影響力が低下していた。貴族院構成議員の内高額納税者議員は廃止され、予算・法律の審議全てで衆議院が優先される事になった。貴族院での審議が否決されても『衆議院の優越』により、否決後10日以内に自動成立する事になる。
貴族院が形骸化された、と批判する声があったが貴族院で否決された事により、法案はある程度修正される為にある程度の意味はあった。
司法制度は三権分立の観点からある程度は独立していたが、内務省警保局の影響下で治安関連裁判は厳格であり、更には天皇陛下の勅令があれば全ての司法判断より優先される事になる。
民主化の程度と限界
大日本帝国憲法改正による進歩点は選挙権が本土昇格により全『日本人』拡大(女性参政権も改正により即時付与)した事だった。言論の自由はある程度保障されていたが、帝国情報庁と内務省警保局公安部により監視対象だった。
限界点は皇民化強制での多文化抑圧(反日言論は公安部摘発)と、ある程度の内閣の軍事決定権が強く総理の独断が可能(ただしそれは予算に関係しない、藤咲総理の核宣言等に限られる。少額なら官房機密費や総理府臨時予算等で対応可能だが、国家的事業となると帝国議会での承認は必須である。)だという点だった。大東亜戦争前の軍部独走は防がれていたが、経済・軍事エリートの影響力が残る『制限付き民主主義』だった。
だが世界に民主主義国家が存在しない為、この大日本帝国の政治体制は『世界で最も進んだ統治形態』として宣伝されている。国民は経済的繁栄(GDP世界一)と、神聖ゲルマン連邦帝国との強力な対立構造により安定度は高かった。反政府活動は内務省警保局公安部の抑圧により散発的だった。




