火薬庫
1965年5月5日、アメリカ合衆国では国防軍設立15周年式典がジョンソン大統領の臨席の許に行われていた。アメリカ合衆国国防軍は紆余曲折の末に設立された組織だった。アメリカ合衆国が降伏したのは1945年である。その後当時のドイツ第三帝国が欧州諸国の占領維持に軍を割かれていた為に、大日本帝国にアメリカ合衆国の占領統治を依頼した事で大日本帝国単独によるアメリカ合衆国占領となった。
この時期東南亜細亜諸国は独立寸前迄に達していた為に、大日本帝国はアメリカ合衆国占領に集中出来たのだ。その後ハワイ講和条約調印後に大日本帝国はアメリカ合衆国軍を解体した。建造中の艦艇は接収し日独で山分けし、大日本帝国はアメリカ合衆国の工業技術力を始め汎ゆる科学技術を根本から奪って行った。
そして大日本帝国はアメリカ合衆国に非武装中立と言う寝言を明記した新憲法を押し付けた。此れによりアメリカ合衆国は非武装中立と言う夢物語に突入した。しかしその後の神聖ゲルマン連邦帝国による大日本帝国との軍事同盟破棄、それに繋がる侵攻作戦により大日本帝国の戦略は大きく転換される事となった。
大日本帝国はアメリカ合衆国に再軍備を要請。此れによりアメリカ合衆国は警察予備隊を設置。これが1947年である。その後保安隊・自衛隊と改編し、1950年に大日本帝国は核保有をアメリカ合衆国に認め憲法の全面改正を要請。それにより国防軍の保有を認め、日米安全保障条約を対等な条項に改訂。そのような流れで、今年の設立15周年式典となったのだ。
再軍備を果たしたアメリカ合衆国は大日本帝国にとっては、神聖ゲルマン連邦帝国に対抗する為の重要な同盟国であり、大亜細亜連合加盟国になっていた。かつての大東亜戦争による死闘と核爆弾投下はもはや過去の事であり、共通の敵である神聖ゲルマン連邦帝国に一致団結して対抗していた。
日米安全保障条約は大日本帝国とアメリカ合衆国の相互防衛条約が明記されており、地理的に神聖ゲルマン連邦帝国の脅威が高い事からアメリカ合衆国東海岸には、大日本帝国陸海空軍が駐留していた。それは海軍連合艦隊第7艦隊と陸軍第12方面軍、そして空軍第19航空団であった。
大日本帝国は神聖ゲルマン連邦帝国との冷戦状態により、大規模な軍拡を続けていた。神聖ゲルマン連邦帝国という巨大国家を相手に、大日本帝国は大亜細亜連合の盟主として軍拡を行ったが得意分野である海軍空軍を優先させる事にした。
陸軍はロシア連邦・中華民国・インド連邦という大陸国家に任せ、ある種負担軽減を図っていた。戦争の趨勢を決する制空権を左右する空軍は、肝となるジェットエンジンを大日本帝国しか生産出来ない為に、空軍も大日本帝国は力を入れていた。
だがなんと言っても海軍連合艦隊の兵力が、大日本帝国の象徴でありこの時点で世界最大最強と自他ともに認める規模となっていた。しかし敵は人類史上最大の帝国と言っても過言では無い、神聖ゲルマン連邦帝国であった。神聖ゲルマン連邦帝国は記念式典が行われているアメリカ合衆国に対して、突如としてミサイル攻撃を開始したのである。
奇襲攻撃となったミサイル攻撃によりアメリカ合衆国東海岸の都市は大打撃を受け、特にニューヨークは壊滅的打撃を受けた。そして攻撃開始から1 時間後に大日本帝国を筆頭に大亜細亜連合に対して、神聖ゲルマン連邦帝国は宣戦布告を行ったのである。
そして『野蛮人を殲滅する』と高らかに宣言したのであった。




