総統の対応
同時刻、神聖ゲルマン連邦帝国帝都ゲルマニア総統宮殿。帝都ゲルマニアの中枢を成すのは街の南北7キロを縦貫する幅120メートルの大通りの北端に総統宮殿は位置した。第二次世界大戦勝利後の1945年〜1950年に建設され、ヨーロッパ各地や属州からの強制労働と資源を投入し、完成された。1965年時点で後継者である、総統の居所兼軍事・行政中枢として機能し、冷戦下の核抑止戦略の象徴となっていた。総統宮殿は軍事独裁の威容を体現し、大日本帝国の首相官邸と対比されるダークな建造物だった。
全体構造はネオクラシック様式の巨大宮殿で、総延長約2キロを誇った。(南北軸の終点)。正面ファサードは高さ約100メートルの柱廊とドームを備え、エジプトのピラミッドやローマのパンテオンを上回るスケールで設計されていた。外壁は大理石と花崗岩で覆われ、ナチス鷲のレリーフが無数に刻まれた。内部は多層構造で、地上10階・地下5階。冷戦により核耐性を強化し、地下層は放射能防護コンクリートで覆われ、独立電源・空気浄化システムを完備していた。
正面エントランスは巨大な凱旋門風のゲート(高さ50メートル)から入り、広大な中庭(面積約10,000㎡)へ。庭園は噴水と彫刻群で飾られていた。夜間照明は「千年王国」を象徴する黄金のライトアップがされていた。
内部レイアウトは1階(公開エリア)は総統の謁見室と大広間が主たる構成だった。謁見室は黄金の玉座と壁画(ヨーロッパ征服の神話描写)で豪華に装飾されていた。大広間は3000人収容可能で、党大会や外交儀式に使用された。
上層階(私的・行政エリア)は 総統の私室(スイートルーム群)と家族区が主たる構成だった。前総統の個人的嗜好(広大な図書室、映画室)は大きく反映されていた。
地下層には軍事司令部と核シェルターが主たる構成だった。弾道ミサイルの発射管制室があり、第三次世界大戦勃発で即時発射態勢にあった。食料や燃料等汎ゆる物資が地下層に備蓄されており、長期間の自給が可能だった。
総統宮殿の規模はヴェルサイユ宮殿の10倍以上の床面積(約200,000㎡)を誇り、その規模の建造物となった事から建設コストは膨大で、属州からは膨大かつ強制的な税収を吸い上げ、更には膨大な数の強制労働動員で数万人の死者を出していた。これは『ベルリン抑留』と呼ばれ、死の片道切符とまで呼ばれた。
総統宮殿は神聖ゲルマン連邦帝国の政治・行政中枢であり総統の執務室は宮殿の中心に設置され、地図室と通信センターを備え神聖ゲルマン連邦帝国を冷徹に統治する。大日本帝国に対抗する戦略会議がここで毎日開催され、総統は毎日将軍達に命令を下しており、総統宮殿執務室は、[総統大本営]という神聖ゲルマン連邦帝国軍の最高司令本部だった。
軍事要塞としての側面もあり地下にはSS各部門・国防軍最高司令部の分室が設置されていた。核ミサイルの管制システムが統合され、大日本帝国の核兵器を監視していた。警備システムとして、対空ミサイル発射機とSSの警備隊(5000人規模)が常駐し、緊急事態には15分以内に帝都ゲルマニアに駐屯する陸軍装甲師団が駆け付ける。
プロパガンダ・象徴的役割もあり総統宮殿は「ゲルマン民族の栄光」を宣伝する場だった。総統のバルコニー演説が定期的に行われ、テレビ放送で生中継されている。観光は党員限定で、教育プログラムとして学校団体が訪れる。属州住民には「総統の威光」として畏怖の対象だった。
その総統宮殿の執務室で、総統は激怒していた。




