治安維持
同時刻、国防省で検討会議が開催されているのと同じくして、内務省警保局でも検討会議が開催されていた。内務省警保局は内務省の内部部局の一つであり、内務省が大日本帝国に於いて『省庁の中の省庁』と呼ばれるように、大日本帝国の『警察の総本山』と呼ばれる存在であり、警察・保安の最高責任部署として機能し、警察・治安・保安に関するすべての業務を統括していた。
主な役割は3つに大別されている。まずは全国警察の指揮・監督(警察行政の中枢)である。警察官の監督を行い都道府県庁長官(知事)を通じて、全国の警察官の人事・給与・規律を統一的に指導・管理した。そして予算の管理も厳格に行い、警察にかかる予算の決定と配分を行った。
2つ目が治安維持と公安部の統括(思想・政治犯、反体制派への対応)である。警保局はかつての特別高等警察を改編した公安部を管轄することで、国内の思想・政治的な治安維持、反体制派取り締まりに絶大な権限を持っていた。
内務省警保局公安部(通称:公安部)はその役割として、『国内の反体制活動監視』『思想政治犯の取り締まり』『神聖ゲルマン連邦帝国諜報機関工作員の摘発・二重スパイ化』『大亜細亜連合加盟国間の治安情報共有』を担っていた。
大日本帝国と大亜細亜連合人口が膨大なので監視網は世界最大級であり、ある意味で神聖ゲルマン連邦帝国のゲシュタポに匹敵する秘密警察組織でもあった。そして最後が風俗取締りであった。所謂風紀対策として犯罪に繋がり易いとして、警保局が所管していたのである。
その為に警保局のトップである警保局長は、極めて高い地位と実権を持つ事になった。政治的な影響力が大きく警保局長は、内務次官(官僚トップ)を経て、政治家に昇進する要衝であり、『政界の登竜門』とも呼ばれていた。
しかも時代は神聖ゲルマン連邦帝国との冷戦であり警保局の権限も拡大し、国民の自由を厳しく制限する事になったが大日本帝国安定の為である事から、国民はある種の不自由を容認した。
そして特に第三次世界大戦勃発時には『カミソリ』と渾名される内務省官僚が警保局局長として実権を握り、大日本帝国の警察は冷徹な効率で知られる事になった。
その警保局局長が開催した検討会議は、第三次世界大戦勃発による神聖ゲルマン連邦帝国による、国内撹乱工作を防ぐ事が議題とされたのであった。




