大亜細亜連合盟主
1965年5月6日、神聖ゲルマン連邦帝国の世界侵攻により勃発した第三次世界大戦から一夜明けた。大日本帝国帝都東京は戦時体制に突入し大規模な戦争が勃発したにしては、いつもと変わらない日常が繰り広げられていた。国鉄の各路線は通勤客で満員であり、高速道路や道路も通勤バスや自動車で渋滞が続いていた。新幹線からは各地方からの出張して来た会社員や観光客が、続々と帝都の地を踏み締めていた。
それはまさに世界最大のGDPを誇る経済大国であり、世界最強の海軍を擁する軍事大国の活気ある光景だった。大日本帝国はハワイ・アメリカ本土の占領や、大亜細亜連合を通じて亜細亜諸国、オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、アメリカ合衆国を経済圏に組み込んだ。これにより、資源(石油、鉱物、農産物)と労働力が爆発的に増加した。大日本帝国は戦前は、海外からの資源輸入に依存していたが、大亜細亜連合を通じて自給自足が可能になり、各種経費が大幅に削減された。
しかもアメリカ合衆国の既存工業基盤(自動車、鉄鋼)を接収した事により、大日本帝国の生産力は第二次世界大戦前に比べて数十倍以上に拡大した。1945年〜1950年の初期段階で、GDPは史実の米国並みに拡大した。
そして技術革新と移転の加速が大幅に行われた。軍拡は神聖ゲルマン連邦帝国の対抗上続けられたが、軍事技術の多くが民需に転用された。アメリカ合衆国占領により、航空・電子技術を強制移転し、各種技術の活用を強力に推進した。そしてエネルギー革命(石炭から石油へ)が進み、亜細亜の石油資源を活用して重工業化が大幅に加速された。
更に冷戦下の軍拡競争(神聖ゲルマン連邦帝国との対立)がR&D投資を促進した。技術革新で高成長を遂げ、大日本帝国は核・ミサイル技術を基盤に、コンピュータや自動車産業を独占した。1950年代までに、生産効率が世界トップレベルに達し、GDP寄与率の半分以上を占めたのである。
その間大日本帝国政府主導の政策と投資ブームが巻き起こった。1945年10月の高度経済成長突入は大日本帝国は大亜細亜連合内で、インフラ投資(鉄道、港湾、工場)を強力に推進し大幅な成長率を記録した。増大する税収を集中投資し、設備投資を強力に伸ばし、軍拡を行いながらも民需に資金は回り、税制改革や経済自由化を導入する事で成長率は鈍化する事無く加速された。
ソ連分断後のロシア連邦との同盟で資源供給が安定し、冷戦での各地での代理戦争が製造業を刺激し、ある種の特需景気にも恵まれた。これにより1950年〜1960年代の年平均成長率は15〜20%に達し、神聖ゲルマン連邦帝国の軍事偏重経済を凌駕したのである。
しかも大亜細亜連合の設立は人口と消費の拡大にも寄与した。大亜細亜連合内の市場形成は大規模に進んだ。大亜細亜連合の人口は約15億人規模に達し、巨大な市場を創出した。大日本帝国は大亜細亜連合各国の所得向上政策で消費を刺激した。農業人口の工業移行が起き、公害問題を伴いつつも都市化が進んだ。中華民国との同盟で中国市場にも大日本帝国は強く関与出来た。国内市場拡大で成長しつつも、大陸や大亜細亜連合域内の規模に市場は拡大したのだ。1950年代後半までに輸出依存から内需主導へ大日本帝国経済は移行し、GDPを安定成長化させた。
そして大日本帝国は冷戦に於ける経済的優位性を確立した。大日本帝国は経済重視の戦略を掲げ神聖ゲルマン連邦帝国が大規模な軍拡に資源を費やす一方で、大日本帝国は大亜細亜連合内の安定を重視する事で効率化を図った。大日本帝国が低い失業率と投資で『東洋の奇跡』を起こしたように、GDPは1965年までに神聖ゲルマン連邦帝国の2倍以上に達したのである。
そして限界点に達した冷戦は、大日本帝国の経済力が軍事均衡を支えていた証拠でもあった。これらの要因が連鎖的に作用し、大日本帝国のGDPは1945年の戦時水準から1965年までに指数関数的に成長した。これによりGDP世界最大を大日本帝国は記録したのであった。




