悪役令猫はカリカリを許さない!
「フフフ……今日こそ、この下賤なる“カリカリ”を駆逐してみせるわ」
艶やかな黒曜の毛並みに黄金の瞳を宿した私は、伯爵家の飼い猫──いや真の支配者、ルクレツィア。
その名も高き悪役令猫である。
執事もメイドも高貴な私を、敬意と畏怖をもって“お嬢様”と呼ぶ。
だがこの家にはただ一つ許せぬものが存在した。
『庶民フード・カリカリ』である。
代々伯爵家と共に血統を受け継いできた高貴な猫であるこの私が、なにゆえあの乾いた塊を食べねばならないのか。
──理由はただひとつ。
副執事のハワードが「猫も健康第一ですから」などと言って導入を強行したからだ。
全くもって忌々しい……。
「お嬢様、今日は特製のカリカリでございますよ〜」
朝食を持ってやってきたのはメイドのミア。
私はしなやかな尻尾を打ち鳴らし、玉座──お気に入りの陽だまりクッション──でふんぞり返る。
「ミア。何度も言わせるな。私は鮮度たっぷりの生サーモンを所望しているのだ」
「だめですよ! そればっかりじゃ栄養が偏っちゃいます!」
「偏らせて何が悪い。高貴とは偏りの別名だぞ?」
ミアは困ったように笑い、皿を置いた。
ふん、無駄な抵抗を。私は決して屈しない。
──そのときだった。
気品に満ちた私の鼻先を思わず震わせるほどの、濃厚で食欲をそそる温かな香りが漂った。
カリカリから湯気!? いや、これは……?
「お嬢様のために、今日は『特製ブイヨン煮込みカリカリ』にしてみましたっ!」
「何だと……!」
皿の上には、香味野菜で煮込んだ極上のスープが染み込んだ、ウェットなカリカリが。
く、くやしい……これは……美味しそう……いや、違う。私は騙されない!
「さ、どうぞ。お嬢様専用レシピですよ?」
ミアは皿をそっと差し出し期待のこもった瞳で見つめてくる。
その眼差しは、まるで聖女。
悪役令猫である私の弱点を正確に刺してくるとは……。
味見くらいならしてやらんでもない……。
私はそっぽを向きながら、ひと粒だけ慎重に口に含んだ。
……うまっ。
「え、えぇいっ! これは……その……毒味だ! 毒味なんだからな!」
焦って皿に顔を突っ込む悪役令猫。
それを見てミアはほっと微笑む。
「よかった……お嬢様のカリカリ嫌いが治るといいなぁって頑張った甲斐がありました」
私はバッと顔を上げ、誇り高く宣言した。
「誤解するなミア! 私が許したのはこのウェットな『私専用特製カリカリ』だけだ! 庶民のカリカリを許した訳ではない!」
「はいはい、お嬢様は本当に素直じゃないんですから」
……むう。まあ今日だけは特別に完食してやろう。
こうして悪役令猫ルクレツィアの“カリカリ撲滅作戦”は思わぬ形で終了した。
この日を境に、ルクレツィアがミアを呼ぶために毎朝彼女の部屋の扉を、優雅にカリカリ引っ掻くようになったことは──伯爵家にはまだ知られていない。
「これは……呼んでるの? ……お嬢様かわいい〜!」
悪役令猫の威厳がまたひとつ失われた瞬間であった。
❀ ❀ ❀
バンッ!
伯爵家の広間に重々しい槌の音が響いた。
「──本日、重大な裁可を下す!」
集められた執事やメイドたちの視線が、壇上の私──悪役令猫ルクレツィアへと注がれる。
どうして猫が場を仕切っているのかと聞かれればまあ、うちの伯爵家はいつもこんな感じだ。
「罪状を読み上げます!」
ミアが巻物を広げる。
「被告、『庶民フード・カリカリ』!
──お嬢様の舌を傷つけた罪!
──お嬢様の誇りを曇らせた罪!
──お嬢様の朝食への冒涜罪!
以上三点!」
「なんて恐ろしいものなの……」
「考えただけで喉がカラカラに……」
と、周囲のメイドたちが震えている。
ふむ、良い反応だ。
私は玉座──すごくふかふかのクッション──からゆるりと立ち上がった。
「カリカリよ。貴様は長きにわたりこの伯爵家で幅を利かせてきた。だが私は断じて許さぬ!」
ミアが後ろで「お嬢様カッコいい……!」と小声で叫ぶ。もっと言っていいぞ。
そのとき、広間の扉がバァンと開いた。
「待ってください、お嬢様ぁぁぁッ!」
副執事のハワードが巨大な袋を抱えて駆け込んできた。
袋の中でカリカリがザラザラと弱々しく鳴る。まるで命乞いのようだ。
「カリカリにも……良いところが……! 保存性とか……値段とか……!」
「黙れハワード。高貴の前に価格は関係ない!」
「ひっ……! お嬢様……どうかお慈悲を!」
私は壇上からハワードと袋を見下ろし、ふわりと尻尾を揺らす。
「ミア、判決を」
ミアは一歩進み出て大声で宣言した。
「被告カリカリ──追放!! 今後、伯爵家は『特製ブイヨン煮込みカリカリ』以外の導入を禁ずる!」
「ぎゃああああ! カリカリへの風評被害がァーー! 市場価格がァーー!」
ハワードが叫び袋を床に落とす。
その瞬間、広間の壁に飾られた巨大な肖像画──初代伯爵が見守る中メイドたちが一斉に袋を囲み、まるで罪人を糾弾する群衆のようにざわめいた。
「これが断罪……」
「乾いた音してる……悪だわ……」
「こんなにも軽いなんて……罪の軽さかしら……」
いや、ただのフードだが?
──まあ良い。
私は優雅に歩み寄り袋の前に座った。
「カリカリよ。これは慈悲だ。貴様に再起の可能性は……ない」
広間に静寂が落ちる。
────カリッ(誰かが踏んだ)。
そして次の瞬間。
「断罪、完了!!!」
ミアが高々と槌を掲げ、歓声が巻き起こる。
まるで国を救ったかのような祝福ムードでメイドたちは抱き合い、涙し、ハワードは卒倒した。
私は尻尾を揺らしながらミアの足元にゆっくり寄っていく。
「ふっ。よくやったミア」
「お嬢様……! 今日も、お強くて尊い……!」
「当然だ。私は悪役令猫だからな」
──そしてその日の夕食は、当然のように『特製ブイヨン煮込みカリカリ・極み』であった。
私はそれを一口食べ満足げに目を細める。
「これだけは……許してやろう」
この日、伯爵家の食卓から庶民のカリカリが永遠に姿を消した。
❀ ❀ ❀
カリカリ追放から三日。
伯爵家は平和であった。
ミアの『特製ブイヨン煮込みカリカリ・極み』は日々進化し、ルクレツィアの食卓は安定の高級感で満たされている。
ハワードはショックで三日寝込んだが、まあそれはどうでもいい。
だが──平穏とは嵐の前に訪れるものだ。
その晩、伯爵家では季節の夜会が開かれていた。
貴族と使用人と猫が混在する、いつも通り混沌としたパーティである。
私は胸を張って絹張りの赤い座布団の上に優雅に鎮座していた。
招待客の視線は私に集中している。
ふふ、悪役令猫は常に主役なのだ。
そんな中────
ザラ……。
耳慣れた音がどこからか聞こえた。
ザラ……ザラザラッ……。
背筋が凍りついた。
「い、今の音……まさか……!」
ミアが青ざめる。
私の毛が一斉に逆立つ。
────カリカリ音だ!
「馬鹿な……! この家から追放したはず……!」
そのとき会場の灯りが突然消えた。
「キャーッ!」
「停電!?」
「誰か猫を守れ!」
悲鳴が飛び交う。
暗闇の中、ザラザラと乾いた音だけが響き渡る。
そして────
「ルクレツィアァァァ……」
床の上を白い袋の影がずり、ずり、と這ってくる。
どう見ても亡霊である。
ミアが私を抱きかかえ震えた声で言った。
「お嬢様ッ! カリカリの亡霊です!!」
「カリカリに魂なんてあるわけないだろう……ッ!」
しかし、影は確かにこちらへ向かってくる。
袋の口がゆっくり開き、ぽろりと乾いた粒が転がった。
────ピカァッ!
会場に灯りが戻る。
するとそこにいたのは────
「ハワード……?」
袋をかぶり汗だくで息を切らした副執事であった。
「お嬢様ぁ……! わ、私……どうしても……カリカリを……救いたくて……!」
「なるほど、亡霊の正体は愚かな人間か」
周囲から安堵と怒号が上がる。
「この裏切り者!」
「恐怖でお嬢様の毛が逆立ったんだぞ!」
「この罪は重いぞ……!」
ハワードは必死で弁明する。
「ち、違うんです! その……お嬢様に断罪されたという悪評が広まって、カリカリ市場の株価が暴落して……私の投資が……!」
「動機がしみったれ過ぎるわ!」
私はミアの腕から飛び降り、威風堂々とハワードの前へ歩み寄った。
「ハワード。私に“カリカリの亡霊”などという茶番を見せた罪──よもや許されるとは思うまいな?」
会場が静まり返る。
私は尻尾をバシッと床に叩きつけ宣告した。
「────再断罪だ!」
ミアがすかさず槌を掲げる。
「副執事ハワードおよび、その袋!
罪状──“カリカリの名誉回復”を企てた罪!
判決──お嬢様の夜食準備100日間連勤ノルマ!」
「ひ、ひぃぃぃッ!!」
どよめきが起こりメイドたちは拍手喝采。
伯爵は泣き笑いしながら「うちの猫は今日も強い……」とつぶやいた。
私はミアの肩にひょいと飛び乗り優雅に言い放った。
「いいか、全員よく聞け。──カリカリは追放した。断罪もした。亡霊ごっこにも屈しない。わかるな?」
貴族も使用人も一斉にかしこまり、深々と首を垂れた。
そして夜会は、まるで先ほどの騒動がなかったかのように再開された。
その日以降──伯爵家では二度と「ザラザラ」という音が鳴り響くことはなかったという。
悪役令猫ルクレツィアの統治は、今日も圧倒的である。
読んでいただき、ありがとうございました。
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読者様の今日が良い日になりますように。
────心より感謝を込めて。




