蛹と蝶は相容れない
幼馴染ポジとか言っても結局こうなるのでは…。
貴族の結婚は感情だけでは成立しない。
それはオパールもジェムカ伯爵家に生を受けた身としては承知していた。
恐らく父も愛人がいるだろうが、彼はそれを家族に悟らせない狡猾さと誠実さがあった。
正妻としてオパールの母を遇しており、庶子については耳にしたこともなかった。
オパールが婿取りをして伯爵家を継ぐことは決まっており、既に国王陛下の承認も得ていた。
婚約者はオパールの父が選んでいたが、同家格の伯爵家の三男だった。
レスガ・ヴェイル伯爵令息は、濃紺の髪にスカイブルーの瞳を持つ誠実そうな青年だった。
オパールとレスガは婚約まで交流が全くない訳ではなかったが、お茶会などで顔を合わせたことがある、と言った程度の付き合いだった。
12歳で婚約者として紹介されてから、手紙のやり取りやタウンハウスへの訪問等で交流を深めていたはずだったが、最近その婚約者の隣にある令嬢の姿が目立つようになっていた。
フィリタ・ライティア伯爵令嬢。
ブロンドの髪と青い瞳の可憐な容姿で男性に人気がある彼女は、同時にその行動で女性には距離を置かれていた。
天真爛漫と言えば聞こえはいいが、男性が彼女を表現する天真爛漫は、貴族女性から見れば幼児の行動と同一視されている。
大きな口を開けて笑う、ドレスの裾をからげて走る、紅茶を飲むときは音を立て、淑女教育を受けている少女達は関わりたくない令嬢として自然と距離を置いていた。
それを男性に人気があるから嫉妬されても仕方がない、と前向きに捉えている精神力は見習いたいと、一部の者からは思われている。
そんな彼女とレスガは母親同士が仲が良く、幼馴染みとして育った、と彼女はオパールと初めて顔を合わせた時に優越感を滲ませた表情でアピールしてきた。
レスガはフィリタの話になると口を噤んでしまうが、フィリタはわざわざオパールに言いに来るのだ。
やれ「観劇にお誘いいただいて、流行りのカフェにご一緒しましたの」だの「ドレスを選んでいただきましたの」など聞きたくもない、とオパールは内心機嫌を損ねていたが、「あら、左様ですか」とだけ返して何も反応することはなかった。
そのオパールの態度が気に入らないのか、最近ではオパールとレスガの交流にもわざわざ同席するようになっていた。
オパールがレスガを招待したお茶会には参加はしないが、レスガとオパールが観劇やレストランに行こうとするとなぜか当然のようにレスガの隣に居座っている。
「ライティア伯爵令嬢、今日は婚約者との交流の日なんだ。
邪魔しないでくれ」
レスガが疲れた顔で言ってもフィリタは意に介さない。
「あら、ミレイユおば様には許可をいただいているわ。
三人だったらもっと楽しいわね、ですって」
レスガの母であるミレイユが無邪気に笑って言ったのだろうと想像はつく。
そして、敢えてフィリタを同行させる理由も分かっている。
レスガはいつもオパールには申し訳なさそうにしていた。
ミレイユがフィリタに情報を漏らす度、レスガが猛抗議しているが彼女は笑っているだけだと聞いている。
そろそろ結婚式の話も進めないといけないが、部外者の前では具体的な話をしたくない、と式の計画は遅々として進んでいなかった。
レスガとしても、そろそろオパールの父である伯爵に仕事内容の引継ぎを依頼したいと思っているが、
出掛けようとする度に邪魔をされてうんざりしていた。
そもそも幼馴染とは言え、淑女教育が何一つ身に付いていない彼女と一緒にいることは苦痛でしかなかった。
観劇もカフェもミレイユのエスコートを命じられていたのに、当日になるとそれがフィリタになっていたのだ。
ドレスだってミレイユにどちらがいいか聞かれたので無難な方を答えたに過ぎない。
フィリタのドレスだと知っていたら答えなかっただろう。
最近はミレイユからのエスコートの命令や、選択肢がある質問は全て躱していた。
レスガは自分が平凡だと知っている。
平凡だが貴族として生まれたからにはそれなりの矜持を持っているつもりだった。
愛人を囲っても隠せる狡猾さがないことも知っているし、何より、オパールを裏切るような真似はしないと決めていた。
オパールとは婚約をしてからは励ましあって勉強をしていたし、伯爵家を継ぐ彼女のために支えになりたいと、絶えず努力をしている彼女の姿を見て思っていた。
そして、今さらフィリタが邪魔をしてくる理由は分かっている。
ライティア伯爵家にはフィリタの兄のサフィールがいるが、彼は至極真っ当な人間だった。
淑女教育が身に付いていない妹を叱責し、厳しい家庭教師をあてがい何とか更生させようとしていた。
その度にフィリタは自分に甘い母親に泣きついては、ヴェイル伯爵家を訪問することで逃げ回っていた。
ミレイユはそんな時でもフィリタとその母を笑って迎え入れていた。
だからフィリタは思ってしまった。
―レスガと結婚できたらいいのに。
レスガがオパールの家に婿入りすることは決まっているが、母に頼んで自分がライティア家の跡取りになればオパールとは同じ立場になる。
ならばレスガが婿入りするのはどちらでも変わりないのでは、と本気で思った。
サフィールは母にそんなお強請りをしている妹の姿に頭を抱えた。
そして、彼は母と妹に見切りをつけた。
すぐに領地の父親を呼び出す手紙を出し、オパールとレスガの家にも手紙で詳細を伝えた。
暫くは苦しい立場になるだろうが、あの二人をこれ以上野放しにした方が損害が大きいと判断したのだった。
母と妹は父に領地まで連れ帰って貰い、フィリタを適当な家に縁付かせるまで外に出さないようにしよう、と決めた矢先、フィリタは公衆の面前でやらかした。
同年代の令息と令嬢が招待されているダンスパーティーで、レスガは当然オパールにドレスを贈り、エスコートをしていた。
揃って交流のある面々に挨拶をしていると、急に現れたフィリタがレスガの左腕を抱き込んできた。
「うわぁ!?……っ、その手を離していただけますか、ライティア伯爵令嬢」
驚いて紳士にあるまじき声を出したと羞恥に顔を赤くしたが、すぐに冷静にフィリタに腕を離すように伝えた。
その声が怒りで震えている事に気付いたのはオパールだけだった。
オパールも目に余る行動に怒りを覚えたが、それを表に出す事なく、レスガの手をぎゅうっと握った。
レスガはオパールに視線を向け、その手を少し強く握った。
強く握り返された手に、自然とオパールの肩の力が少し抜けていく。
「フィリタ様、レスガは私の婚約者ですのでお控えくださる?」
「だってオパールさん、レスガはぁ、私といる時の方が自然体だと思いませんか?
レスガって普段無口だし、笑顔も少ないからオパールさんは物足りないんじゃないかなーって」
フィリタは上目遣いでオパールを見てそう言ったが、オパールははて?と首を傾げた。
「貴女、何を仰るの?
レスガはよく笑うし二人の時はお話が弾んでいるわよ?」
「えぇ?無理させてるんじゃないですかぁ?
やっぱり私が側にいてあげないとレスガはダメなんじゃないかと思います」
レスガの蟀谷に青筋が浮かび、手荒く左腕を引き抜いた。
紳士を心掛けていた彼の行動にフィリタは驚いたが、フィリタが言葉を発するより先にオパールが大きな声でフィリタに問い掛けた。
「あら、フィリタ様はお妾さん希望でしたのね!
月の御手当はいかほど必要ですの?」
「……はぁぁ!?誰がそんな事言ったんですか!?」
オパールの声はよく通り、妹の暴挙に気付いたサフィールが怒りのあまり表情をなくしていた。
近寄ってこようとするサフィールを止めたのはミレイユだった。
その様子を視界の端に捉え、オパールはわざと明るい声を出していく。
「あら、だって私達の婚約は国王陛下の許可を得ておりますもの。
それを何の理由もなく、勝手に変えるなんて陛下に対して不敬ではなくて?まさかそんな愚かな事をする貴族はいらっしゃらないでしょう?
だから、お妾をご希望なのですわよね?
でもジェムカ家の予算は貴女には使えませんわ。
御手当はレスガに割り当てた予算から出して下さいませ」
レスガはオパールの台詞に軽く目を見開いた後、フィリタをそれは冷たい目で見据えた。
「紳士たれ、と己を戒めてきたが、はっきり言わせて貰う。
私に割り当てられる予算は、ジェムカ家の領民の血税だ。
オパールの為に使う事はあろうが、お前に使う金は銅貨一枚もない」
フィリタは「信じられない……。」と呟き何故かオパールを睨んでいる。
「やっぱりレスガには私が必要ですよぉ!
こんな冷たいこと言うのはレスガじゃないです!」
「お話になりませんわね。
そもそも…「オパールさん、ちょっとよろしいかしら?」
反論しようとするオパールの肩を軽く叩いて止めたのはミレイユだった。
「おば様!やっぱり私とレスガの結婚を認めてくださいますよね?」
ミレイユはいつもと変わらない穏やかな微笑みを浮かべていた。
レスガもオパールもその瞳が笑っていないことに気付いていた。
「結婚?認める訳がないでしょう?
あら嫌だ、私貴女が夜に飛ぶ蝶々さんを目指しているのかと思っていたわ。
違ったのかしら」
「あら、お妾ではなくてそちらをご希望でしたのね。それは失礼いたしました」
ミレイユに置き去りにされたサフィールは諦めたようにフィリタを見ていた。
「……え、だって、いつも私にレスガのことを教えてくださって」
「ええ、夜の蝶々さんだったら情報は必要でしょう?
カフェで新しいお花を見つけたり、観劇で流行りの話題を集めたり。
レスガは絶対にオパールさんを裏切らないもの。
だから少しくらいなら大目にみていたのだけど……。
まさか本気でレスガと結婚できる気でいたのかしら?」
困った方ね、と頬に手を添えて溜息を吐く仕草はどこか作り物めいていた。
「ねぇ貴女、貴族を何だと思っていらっしゃるの?
レスガもレスガよ?蝶々さんにすらなっていない蛹に絡めとられそうになるなんて。
オパールさんに申し訳ないわ。何を学んでいたのかしら?」
レスガがどのように切り抜けるか。ミレイユはそれを見ていたのだろう。
フィリタの行動は不愉快だったが、ミレイユが観察していることに気付いていたオパールは敢えて口を噤んでいた。
この日、サフィールを止めていた姿でミレイユはレスガの矜持を見たため、フィリタに見切りをつけた、とオパールは判断していた。
恐らく、それは間違いではなかったようだ。
「いいえ、ミレイユ様。
私はレスガのその真っ直ぐなところを好ましく思っています。
これから二人で乗り越えていく試練だと思っておりましたわ」
そこでフィリタは不意に気付いた。
いつから、ミレイユに名前を呼ばれなくなったのか。
母がミレイユの元を訪れることはあっても、ミレイユが母のお茶会に来ることがなくなっていたことに。
『フィリタさん、貴族としての在り方をどう思ってらっしゃるの?』それが、ミレイユに名前を呼ばれた最後だっただろうか―。
あの時、フィリタは自分が何と答えたのか、遂に彼女は思い出すことはなかった。
「失礼いたします、ヴェイル伯爵夫人、ジェムカ令嬢。
父に代わり謝罪いたします。ライティア伯爵家の者として恥じ入るばかりです」
「謝罪を受け入れます。……サフィール、貴方も苦労するわね」
ミレイユに頭を下げたサフィールは、オパールとレスガにも頭を下げるとフィリタの腕を掴んだ。
「この蛹は、決して蝶にはなりません。
お目汚し失礼いたしました」
その手を振りほどこうとするフィリタだが、サフィールの力は強くそれは叶わなかった。
サフィールの背を見送ったミレイユ達は、二度とフィリタとフィリタの母に会うことはないだろうと気付いていた。
「さあ、明日から結婚式の準備を進めましょうか。
レスガはジェムカ伯爵から学ぶことが山積みよ。
オパールさんには私から首飾りを贈らせてちょうだい。
……お詫びも兼ねて、受け取っていただけるかしら」
「はい、喜んで」
やっと結婚式の準備が進められる、とオパールとレスガが息を吐いた。
「貴族の矜持を忘れた蛹は、蝶にもなれないのね……」
オパールは呟くと、ミレイユは薄く笑った。
「それは少し違うかもしれないわね。
貴族の矜持を忘れた瞬間、蛹ですらなくなるのよ」
「……肝に銘じておきます」
オパールとレスガは、そっと寄り添い手を繋いだ。
目を伏せたオパールは囁くようにレスガに言った。
「レスガ、もしも、もしもね、愛人を持つ気でいるならそれを悟らせない誠実さが欲しいわ」
「私は、そんな器用な人間ではないんだ。
貴族らしくないかもしれないが、私の思う貴族の矜持として、オパールだけだと誓うよ。
伯爵家を継ぐオパールには強い風が吹くかもしれないが、一緒に乗り越えていこう」
「……ありがとう」
貴族の結婚は感情だけでは成立しない。
けれど、レスガの誠実を信じよう、とオパールは心に決めた。
終
ご覧いただきありがとうございました!
育ちがいい人の中いる違う方向の天真爛漫って皆引きますよねって思ってます。
★登場人物★
オパール・・・18歳。プラチナブロンド、グリーンの瞳。幼馴染は愛人目指していると結構本気で思っていた。ミレイユには甘いと思われてるけど成長したら強くなるかも。
レスガ・・・18歳。濃紺の髪。スカイブルーの瞳。ハスキー犬。痛い子の対応くらい一人でできるもんって思ってたら通じなくて疲れ切った。オパール大好き。
フィリタ・・・18歳。ブロンド、青い瞳。可愛いけどマナーが悪くて引かれていた。
ミレイユ・・・年齢不詳(息子にも内緒)。フィリタのことはそれなりに可愛がっていたけど成長するにつれやべぇ奴認定した。友人(フィリタ母)こんな人だったっけ?ってドン引き。貴族としてレスガの行動がもどかしい。
サフィール・・・23歳。ブロンド、青い瞳。父親共々まともだけど苦労人。髪の毛はエリートだけが残っていくことになるかもしれない。いいお嫁さんがきたら無事。
父親は領地で奥さんの分も働いてて過労死寸前。フィリタ母は色々ずれてそう。
 




