甘えた休憩
広大な敷地を持つベリア家では百頭以上の魔獣を飼育しているが、その多くは牛、馬、豚、羊、鶏などの家畜に酷似した魔獣たちであり、扱いもそれらに準じている。
また、魔獣使いと呼ばれる使用人は屋敷ではトレーただ一人であり、他に「魔獣」という言葉の入る役割を与えられた使用人は存在しない。
では、百を超える魔獣たちを全てトレーが世話しているのかと言えば、それも異なる。
トレーは総括して魔獣らを任されているものの、彼が直接面倒を見ているのは魔獣らの中でも極めて特殊な性質を持つ二十頭であり、それ以外の飼育型魔獣は基本的に飼育係と呼ばれる使用人が世話している。
畜産物の回収を行うのも飼育係の仕事だ。
人間にとって非常に有益である代わりに扱いが困難で、場合によっては飼育中に命を落とす危険性のある魔獣の世話を、トレーは獣人の血が流れているからという理由で物心のついた頃から任されていた。
役割は今も変わっておらず、トレーは毎日特殊な魔獣らを適切に管理して彼らから貴重な資源を回収し、未だに起こったことのない戦争や有事に備えて戦力を国や家に提供できるよう戦闘型魔獣の訓練を行っている。
トレーは毎日のように怪我をしながら働いていたのだが、最近ではそれも減り、命の危険も少なくなった。
理由は犬井だ。
転生者として異様に高い身体能力や耐久力を持つ彼女が最も危険な戦闘型魔獣の訓練を買って出てくれるようになったため、今のトレーは働いても傷一つ負うことなく自身の家に帰ることが可能になった。
「お疲れ、そろそろ昼にしよう」
今日もゴルダを始めとする複数の戦闘型魔獣を訓練していた犬井の下に、トレーが大きなランチボックスと水筒を携えてやってきた。
「トレー! トレーもお疲れ。手、洗ってくる。ちょっと待ってて」
トレーの姿を捉えた犬井がパッと表情を明るくし、パタパタと尻尾を揺らして洗い場へ向かう。
それから間もなくトレーの隣へ戻ってきて座り込み、美味しそうにサンドイッチを食べると、犬井はパタパタと激しく尻尾を揺らしていた。
トレーも彼女と一緒に食事をとりながら、訝しげに彼女の姿を見る。
「なあ、マオ、お前さ、人間として欠落していて心がないから神様に選ばれて転生してきたんだよな」
「そうだよ、それがどうかしたの?」
「いや、マオは別に感情あるし、なんというか普通に人間だよな」
「うん」
「なんか、矛盾してねーか?」
「うん」
不思議そうに首を傾げるトレーに犬井はコクリと頷いた。
「転生する時、私も神様に言ったの。私は人間だよって。でも、神様は認めてくれなかった。私は感情が乏しくて基本的に虚無ってるから人として駄目なんだってさ」
「感情が乏しいって、こんなバッタバタ動く尻尾がついてて、欲望のままに動き回っているのにか」
「うん。でも、神様の言ってたこと、今は少し分かる。前は生きててもあんまり楽しくなかった。一緒にいたい人もいなかった。何となく生きてて、死んじゃった時もあんまり動揺しなかった。でも、トレーに会って、なんでか色んなことが楽しくなった。トレーと一緒にいたいから生きていたくなったし、トレーが喜んでくれるから魔獣の世話ももっとしたくなった。ご飯食べたり、眠ったり、多分、前に生きていた頃よりも楽しめてる。神様、たまに私の夢の中に出てくるんだけどさ、私はトレーに出会ったことで確実に変わっていて、人に近づけてるんだって」
神様いわく犬井の今後の課題は、彼女がトレー以外の人間にも興味を持ち、周囲の人を愛せるようになることらしい。
犬井はそもそも自分自身が欠陥のある人間だとは思っていないし、人間らしくなりたいとも思ってはいない。
神様の言葉に従って動くつもりもなかったが、
「トレーと自分が関わり合えば神様が喜ぶ」
という部分は自分にとって都合が良かったため、その辺りを切り取って彼に伝えていた。
「ほら、トレー、神様をもっと喜ばせよう。私のこと構って」
トレーが食事を終えたタイミングで犬井は胡坐をかいた彼の上に座り込み、スッとブラシを差し出す。
「甘え犬」
「狼だよ、私の種族は」
耳や尻尾の形など身体的な特徴、鋭い嗅覚や聴覚といった身体能力など、諸々を考慮して判明した犬井の種族は狼だった。
狼獣人は、この世界では決して珍しくなく、むしろ町を歩けば五人に一人はいるくらいのポピュラーな種族だ。
「狼って言うほど格好良くないだろ、お前は」
ブラッシングが始まった途端、ソワソワと揺れる耳や尻尾を見てトレーは呆れた表情を浮かべる。
「俺、一日中ブラッシングしてる気がするわ。休憩前も飼育型魔獣にブラシかけてたし、戦闘型魔獣と資源魔獣にも当然毎日ブラシをかけてるし、マオは常にブラシを持って催促してくるし」
ボヤくトレーはここ最近の仕事を思い浮かべて自身の仕事がブラシ、餌やり、資源の回収ばかりになっていることに苦笑いを浮かべた。
「最近だとマオの世話が一番大変だわ。大食いで甘えん坊で、構っても構っても満足しねーし。お前のブラシはいつになったら終わるんだ? 綺麗好きのユニコーンですら一日に二回ブラシしてやれば満足するのに、お前は隙あらば求めてくるじゃねーか」
「だって、気持ち良くて好きだし。頭、撫でられるのも好き」
チラリとトレーの顔を覗き込んで撫でることを催促すれば彼は雑に彼女の頭を撫でた。
すると、よほど気持ちが良かったのか犬井はトロンと彼の上でとろけて膝の上で丸くなった。
耳は完全にリラックスしてパタンと寝そべり、尻尾も力なく優雅に揺れている。
脱力する犬井は完全に身をトレーへ預けていた。
「お前、そのまま寝る気だろ」
「うん。大丈夫、休憩終わったら起きるから」
「起こすのは俺だけどな」
「よろしく」
犬井は柔らかく瞳を閉じると、すぐに寝息を立てて心地良いまどろみに落ちていった。
トレーはそよ風に吹かれたままボーッと木々を眺めている。
『マオが来てからボーッとする時間ができたな。魔獣は好きだから世話をするのは構わねーけど、飼育係どもが雑に扱うから飼育型魔獣にもブラシしてやったり、体調見てやったりしてフォロー入れて、緊張しながら資源回収して、死にかけながら戦闘訓練をして……忙しかったし常に体のどっかが痛かった。けど、今は危ない仕事は全部マオがやってくれるし、肉体労働も手伝ってくれるから、怪我も減ったし時間にも余裕ができた。来てくれて助かったよ、マオ』
トレーはコッソリ犬井に笑みを溢して、優しく彼女の頭を撫でた。
犬井が気に入っている甘えた休憩の時間が、実はトレーも結構好きだ。




