勘違い心配性のお嬢様
木々や大地を凍らせていた雪も溶け始め、生命の息吹を感じられるようになった初春。
人間も魔獣も植物も活発になり始める楽しい季節にミモザの誕生日がある。
通常であればめでたいだけの話なのだが、ミモザには一つ大きな問題が残っていた。
それが結婚の問題である。
十九歳の誕生日までにベルテと結婚をする予定が、ミモザ自身の魔獣嫌いやサリア騒動におされて、まだできていなかったのだ。
早期に結婚をする必要がある。
やることも考えることも一気に増えたのだとため息を吐くミモザに犬井は首を傾げた。
「結婚って、書類一枚で出来るものじゃないの? こっちの世界だと違う?」
「結婚そのものはそうだけれど、実際には両家の顔合わせをしたり、色々と取り決めをしたり、式を上げたり、やることがたくさんあるのよ。私は貴族で当主だから余計にね。忙しくて、混乱して、とにかく頭がパンクしそうだわ」
いつものお茶会の時間。
トレーも時折参加するようになったその席でミモザは愚痴を吐き、再度ため息を吐いた。
モチャモチャと掻きむしったせいで神もぐちゃぐちゃになっている。
ベルテは穏やかに微笑むと、手櫛で丁寧にミモザの髪を整えた。
「別に、そんなに悩まなくてもいいと思うけどな。せっかくミモザの誕生日に結婚式をするんだ。もっと楽しく行こうよ」
「でもベルテ、私、それも不安なのよ。十九歳になってから結婚して、王家や親せきから不仲に見られないかしら」
「大丈夫だよ。この間の挨拶でそういう疑念も吹き飛んださ」
確かにミモザたちの結婚は遅れ気味だが、それでも、少なくとも彼女の誕生日には式を挙げられるよう着々と準備が進んでいる。
二人はその一環として互いの親族だけでなく王家にも挨拶をしていたのだが、そこでミモザは随分とベルテに弄ばれてしまっていた。
当時を思い出したのか、ミモザの顔がみるみるうちに赤く染まっていく。
「疑念も吹き飛ぶって、そ、そりゃあ、あんなことをしたら疑いも腫れるかもしれないけれど、でも、あんな破廉恥な……不敬罪で罰せられたかもしれないのよ」
「そうは言うけどさ、でも、ミモザだって悪い気はしなかったでしょう。僕にハグをして、君が破廉恥だというキスまでしてくれた」
「ほっぺにね! だってベルテが『あそこで僕を拒んだら不仲に見られるよ』って脅すんだもの」
「そんなことあったかな? かわいいミモザが自主的にキスをしてくれたんじゃなかったっけ?」
「違うわよ! もう!」
余裕のある態度でクスクスと笑うベルテに対し、ミモザは顔を真っ赤にして頬を膨らませている。
一見すると、お転婆で強気なミモザがベルテを引っ張っているように見えるが、実際には彼に静かにリードされ、行動を修正されている場面が少なくない。
「ミモザ様、ベルテ様の手の上でコロコロ」
「まあ、昔からミモザお嬢様たちはこうだな。意外とベルテ様の方が強いんだよ。口げんかも基本的にミモザお嬢様はベルテ様に勝てないし。二人とも成長したと思ったけど、やっぱ中身はそんなに大きく変わんねーな」
「ちょっと! うるさいわよ、二人とも! 仕方がないでしょ、ベルテは賢くて頭の回転だってすごく早いんだから」
「つまり、ミモザ様はニブニブ? 愚か?」
「違うわよ! ベルテが特別なんだってば! 全くもう! マオまで揶揄ってくるなんて!」
フン! と怒ったミモザが綺麗な所作で紅茶を飲み干す。
ビールを一気飲みするおっさんのような空気を一切漂わせないミモザからは、貴族としての確かな品を感じる。
犬井は思わず感心してしまった。
ミモザはそんな犬井の視線に気が付かないまま、音を立てずにティーカップを置くとチラリと彼女の顔を見た。
「そういえば、マオ、あのね、少し聞きたいことがあるの。マオというか、トレーにもなんだけれど」
「俺も?」
「うん。いい?」
「別にいいっすけど、ミモザお嬢様、なんか急に子供っぽいっすね」
「最近のミモザ様は困ると甘えだすから。幼児化しがち。甘えんぼキッズ」
「ち、違うわよ! もう! 揶揄わないでってば! ただ、その、少し不安で。あのね、二人とも、屋敷を出るって本当? あの、あのね、私……せめて、結婚式まではいてくれる?」
不安からかミモザの表情や声は暗く落ち込みがちだ。
瞳は潤んで涙ぐみ、膝の上に置かれた両手はギュッと強く握り込まれている。
全身からどこにも行かないでほしいという願いが滲んでいて、寂しく深刻な雰囲気が漂っていた。
完全なお通夜モードだが、ミモザの話に心当たりがない二人はコテンと首を傾げた。
「別に出ていく予定はないよね、トレー」
「ああ。俺ら他に行く当てもねーし、それに、大事な家族の世話を今の屋敷の使用人たちには任せられないからな」
のほほんと頷きあう二人にミモザは「えっ!」と目を丸くしており、ベルテの方は、
「ほらね、ミモザ。多分勘違いだよって言ったでしょ」
と、苦笑いを浮かべている。
どうやら事前にベルテにも犬井たちについて相談をしていたらしく、その時に彼から不安をきっぱり否定されていたらしい。
だが、彼女には彼女なりに勘違いをする理由があり、ベルテの言葉では納得が仕切れなかったので直接犬井たちに問うに至ったのだ。
「だって私、二人が使用人たちに魔獣の世話を引き継ぐ算段を立ててるのを聞いちゃったのよ! 餌の場所と注意事項をまとめれば、バリアとメープルになら任せられるんじゃないかとか、そういう話!」
ミモザが焦った様子で口を開けば、怪訝そうな表情を浮かべていた犬井たちにも納得の色が浮かぶ。
「ああ、あれか」
「あれって、やっぱり思い当たることがあるんじゃない」
「そうだけど、そうじゃないです。あれは、別に屋敷を出てくってほどじゃなくて、そのうち使用人の中に普通に魔獣のお世話ができる人が出てきたら、トレーと二、三日、どこかにお出かけしたいねって話してただけです。ミモザ様が勘違いしたのは、多分、それ」
これまで通り、戦闘型魔獣や特殊な魔獣の世話をするのは犬井とトレーが基本となる。
しかし、全ての業務を二人に任せ続けていたのでは、何らかの理由でどちらか、あるいは二人が魔獣の世話をできなくなった時、大きな問題が生じる。
加えて、二人はこれからの長い人生を魔獣の世話に束縛されて生きていくことになる。
業務を健全な形に戻していくためにも、犬井たちは仕事を任せられる後継者を探し始めていた。
「ミモザ様たちも知ってるかもしれないけど、バリアとメープルは家畜型魔獣を扱う使用人たちの中でも仕事が丁寧で、内緒にしてるけど実は魔獣好き。まだ二人とも子供だけどゴルダやユニコーンにも興味がある豪胆な子達だから、知識をつけて成長すれば可能性はあると思ってる」
ベリア家には魔獣を嫌悪する思想が染みついているため、使用人にも同様の思想を持つ者が多い。
だが、だからと言って全員が悪しき思想に取りつかれているわけではない。
元から差別が嫌いな者もいるし、魔獣、獣人に魅力を感じる者もいる。
普段から世話をすると情が湧くのか、特に家畜型魔獣を飼育する使用人には魔獣に親しみを持つ者が少なくなかった。
ベリア家の改革を目指すミモザたちは、現在、そういった屋敷の思想に反発する者たちで、信頼できる者を仲間に迎え入れるべく探している。
バリアたちにも心当たりがあったようで、ミモザはすぐに「あの子達ね!」と頷いた。
「二人が、特にトレーがそう感じるなら、確かに適任かもね。少し話をしたけれど、素朴で優しい子達だったわ。でも、そういうことなら良かった。私、結婚式で二人にお願いしたいことがあったの」
「お願い? 式の準備とか?」
「そうね、それもお願いしたいけれど、一番は結婚式での式場の警護をお願いしたいの」
「警護?」
問い返す犬井にミモザは神妙な面持ちでコクリと頷いた。




