モフモフ尻尾とヒステリックメイド
「とりあえず、ミモザお嬢様がカスなのは分かったから、落ち着いて。私、まだ何で転生者だとまずいのか聞いてない」
ポフンと肩を叩いて声をかければ、トレーがハッとした表情になる。
どうやら自分がヒートアップしていたことに気が付いたようで、バツが悪そうに、
「悪かったよ。熱くなり過ぎた」
と謝った。
「別に気にしてない。それより、転生者だと何が駄目なの?」
「駄目っつーか、お前がただの犯罪者ならゴルダに襲われたのも自業自得だし、俺らは正当防衛を主張できる。そんで、そのまま警備にでも引きわたしゃいい。罪の重さは分かんねーけど、どんな理由があったにしろ領主宅に侵入だからな。禁固刑か死刑あたりが下されるだろ。まあ、犯罪者にはお似合いの末路だ。でも、お前が転生者な上に獣人だと分かった今、ベリア家はお前を雑に扱えねーんだよ。そこには面倒くせぇ理由がいくつもあるんだが、聞くか?」
トレーは既に酷く面倒そうな表情で、ベリア家の事情を話したいような、話したくないような曖昧な態度をとっている。
犬井は既に多少の好奇心が湧いていたし、自分の今後の処遇に関わりそうであることも相まって話を聞かざるを得ない。
彼女は、「できるだけ簡単に」と付け加えて頷いた。
「簡単にって、シレッと言いやがって。面倒くせぇ。まあ、いいか。まず、転生者だと何が面倒かなんだが、これは単純に、お前を雑に扱った時の天罰が怖い。神様は常に転生者の行動、周辺を把握しておられるからな。それに、転生者は神様とコンタクトがとれるんだろ。なんかチクられたらヤベーことになる」
トレーが言うには、その昔、転生者を手酷く扱ったせいで神の逆鱗に触れ、酷い災害にあった国があったらしい。
結果、国は地形ごと姿を変え、地図からも完全に姿を消したのだという。
残されたのは転生者一人。
今も歴史に名を刻むのは彼の名前のみだ。
「お前さ、どうしてこの世から例の国の名前が消えたと思う?」
「え、どうして? 長い時間が経って、皆、その国の名前を忘れたとかじゃないの?」
当てずっぽうでそれらしい答えを返せば、トレーはフルリと首を横に振った。
「違う。神様が忘れさせたんだ。神の力でさ、この世の全ての人間から、その国の名とそこに生きていた人々を、全て忘れ去らせた。ただ一つ、転生者を虐げたがために天罰に遭い、滅亡したという事実だけを残してな」
遥か昔のおとぎ話。
トレーには一つも関りの無い真偽不明の言い伝えだが、それでも、彼は信じ切った様子で重々しく口を開き、語っていた。
日本にいた頃は無神論者で、今も転生先であるこの世界の神に対して恐ろしい印象を抱いていない犬井は、酷く怯えるトレーを不思議そうに眺めている。
トレーは、そんな犬井の様子に気が付かないままチラリと彼女の顔を見て深くため息をついた。
「正直、お前が神様から貰ったのが並外れた健康さで良かったってさ、心から安心した。殺しちまってたら、マジのマジでヤバかったからな」
「まあ、私も転生したばかりで早速死にたくなかったから、良かった」
「だろうな。俺もゴルダも人殺しにならずに済んで助かったよ。家族に銃を向けたくねーなんて言い訳してないで、キチンと麻酔銃の練習しとくんだったな。ほんと、悪かったよ。殺しかけちまって」
「別に。結局死んでないから大丈夫」
「そうかよ。豪胆なやつだな」
グッと親指を立てる犬井にトレーは苦笑していたが、同時に彼は確かな安堵を浮かべていた。
「ま、ともかく、そういう事情があるから転生者は丁重に扱わなきゃいけないんだが、そうするとお前の面倒を見る先は、ほぼ確実にベリア家になる。まあ、ベリア家は昔から続く名家で国からの信用も厚いからな。別に、それ自体に違和感はないが、ただ、お前が獣人なのが面倒くせぇんだよな」
「この家が、魔獣と獣人を嫌ってるから?」
「まあ、そうだな。この家はお嬢様を筆頭に使用人まで獣人、魔獣嫌いだからな。お前は転生者だから酷い扱いは受けないだろうが、多分、冷たくされる。それに加えて」
トレーが話をしている最中、彼の言葉を遮るようにドアをノックする音が響いた。
「失礼します」
凛とした女性の声が室内に柔らかく響く。
中へ入ってきたのは一名のメイドで、皺ひとつない上等な衣服を着こなす姿、ピンと背筋が張られた美しい姿勢、知的な瞳が印象的な女性だった。
犬井はメイドの貴族を思わせるような高潔な雰囲気に圧倒され、息をのんでジッと彼女を見つめたが、トレーの方はメイドを見た瞬間、嫌そうに顔をしかめて億劫そうに背筋を伸ばした。
「貴方が、崇高なるベリア家に侵入し、魔獣使いとその使役する獣を襲った罪人ですか」
メイドが冷たい目つきで犬井とトレーを眺める。
犬井が、
「別にトレーとゴルダは襲ってないですけど、侵入したのは、まあ」
と頷くと、メイドはあからさまに見下した態度で鼻を鳴らした。
「魔獣使いと獣に価値はありません。仮に二体は襲っておらずとも、貴方はベリア家に無断で足を踏み入れた時点で許されざる罪人です。連れて行きなさい」
メイドは後ろさえ振り向かぬまま、背後の男性二名へと命令を下す。
すると、優美で繊細な屋敷に不釣り合いな厳めしい鎧姿の兵士が二名、ガチャガチャと音を立てて室内へ入ってきた。
それをトレーは億劫そうに見つめてから立ち上がり、それからメイドたちと犬井の間に入り込んでバリバリと頭を掻いた。
「ミモザお嬢様おつきのババアは相変わらず高慢だな。でも、その目つきも、高圧的な態度も、今すぐ全部やめろ。こいつは投獄されないし処刑もされない。転生者様だからな」
「魔獣使いごときが、なんて口の利き方を……え?」
ヒステリックに叫びかけたメイドがピタリと口をつぐむ。
それから、怯えたような目つきでトレーと犬井を交互に見た。
「コイツは俺が間違えて打った麻酔にたった数時間で対抗して目を覚ました。最悪、死んじまうような毒に打ち勝ったんだ。んで、色々変だったんで確認してみた所、まあ、コイツが実は転生者だって分かったわけだ」
ダルそうに突っ立ったまま雑に説明をすれば、メイドはみるみるうちに青ざめて小刻みに震えたが、数秒後、顔を真っ赤にしてトレーを怒鳴った。
「魔獣使い、アンタ、そんなこと言ってこの害獣が本当に転生者だって証拠はあるんでしょうね。こいつが命惜しさに嘘ついたかもしれないでしょう!」
「証拠って、異常な身体能力の高さが証拠みてーなもんだろ。転生者は半数ぐらい『こう』なんだから」
トレーが呆れたように返せば、メイドは怒りと同様でブルブルと唇を震わせて、それからギロリと明確に犬井を睨みつけた。
「貴方、本当に転生者なのですか。嘘をついていた場合、拷問の上での死罪となり、その死体は国でさらされるのですよ」
犬井が外部の人間であるからか、メイドはトレーに接するよりは多少マシな口調で犬井に詰め寄る。
しかし、ギリギリと唇を噛み締め、一の文字に結ばれた口元や怒りに満ちて血走った激しい目つきは狂気じみている。
犬井は若干、怖気づきつつも再度頷いた。
「そうだけど、証拠って言われると難しい。神様には会ったよ。穏やかで寂しい変わり者」
「寂しい変わり者!? 不敬な。大体、証拠ならあなたの体に刻まれているはずです。言い伝えによると、神は転生者に証を刻むそうですから。転生前と転生後で大きく変わった箇所はどこですか? そこに神の紋章があるはずです。見せなさい!」
「大きく変わった所? たしか、耳と」
犬井の外見で大きく変わった箇所は耳と尻尾だ。
だが、そう言いかけた段階でメイドは手早く犬井の耳を確認し、それから懐にしまい込んでいた鞭で即座に犬井の頬を打った。
「バカッ! お前っ!!」
突然の凶行に驚き、慌てたトレーが止めに入ろうとするも、メイドの連れてきた兵士が彼を押さえつける。
「馬鹿はアンタよ、魔獣使い。転生者の証なんてないじゃないの。罪人の言葉にまんまと騙されて、危うく私は小汚い害獣ごときに頭を下げるところだったのよ。コイツは即刻、我がベリア家の地下牢に捕らえ、尋問の後、兵に引き渡すわ。アンタも懲罰部屋行きね」
唾を飛ばすような苛烈な叱責をし、下品なせせら笑いを浮かべるメイドには高潔な空気など残っておらず、もはやただのゲスに成り下がっている。
トレーは小さく舌打ちをした。
「お前、そいつのケツは確認したのかよ」
「は? お尻? 何の話よ。気色悪い」
「何の話も何も、転生者の証の話だよ。そいつはお前らみたいな姿をしていたところから、神様に頼んで獣人にしてもらったらしい。耳近辺に紋章が無いなら、多分、尻尾の辺りに刻まれてんだろ。見てみろよ」
「神がそんな間抜けな場所に証を刻むわけがないでしょう。ばかばかしい。耳に無いならどこにもないわよ。ほら、害獣、さっさと小汚い尻を見せなさい」
訝しげな表情のメイドが犬井に近づいて彼女のスカートを捲り上げようと手を伸ばす。
すると、犬井は素早くメイドの手を叩いて彼女から距離をとった。
「痛っ! 何をするの!」
「さっき、叩いたお返し。痛くないけどビックリしたし不快だった。それと、勝手にお尻を見ようとしてくるのも不愉快」
「害獣ごときが何を……いえ、そうやって頑なに身体を見せようとしないのは、やましいところのある証ね。やっぱり、この害獣は転生者でも何でもない、ただの薄汚い犯罪者よ。我が家の私兵によって、まずは然るべき罰を与えるべきだわ」
メイドが顎で兵士に指示をし、犬井を捉えるよう促す。
すると、酷く焦ったトレーがジタバタともがいて、
「おい! 止めろって! お前も、変に頑固になるなって。お前に危害を加えると俺らがヤベーんだから、早くケツでも何でも見せてやれ。転生者なんだろ」
と、怒鳴るように声を張り上げた。
しかし、呑気な犬井は眉間にしわを寄せて首を横に振っている。
「嫌。なんか屈辱。あと、私は犬井真緒。お前じゃない」
「はぁ!? お前、こんな一大事に。チッ! 分かったよ、マオ、それなら俺に見せろ。俺は……あいにくモフモフの獣人の尻尾に興奮しちまうタイプだが、公私はわきまえる方でもある。ちゃんと紋章だけ確認して、モフモフ尻尾の記憶は消す。触ったりもしない。絶対に。だから、安心して俺の方に来い」
「気色悪いから嫌だ。この変態。スケベ」
「仕方ないだろ、俺は獣人も守備範囲なんだから。俺が嫌なら、やっぱりそいつに見せてやれ。面倒くせぇのもハラハラするのも御免なんだよ。お前だって、地下でぶん殴られたりマズい飯食わされたりしたくないだろ」
「それは、まあ。分かった。お姉さん、おいで」
根負けをした犬井がメイドを手招きすると、彼女は酷く不服そうに文句を言いながら犬井について行き、部屋の隅っこでヒッソリと尻尾の付け根を確認した。
そして、
「聖なる白。形容できない紋章。神の……」
と、呟いたきりバタリと倒れ、白目をむいた。
唐突なメイドの失神に犬井を含むその場の全員があっけにとられていたが、やがて、彼女直属の部下である二名の兵士が慌てて彼女に駆け寄り、介抱を始めた。
「あーあ、一人で喚くだけ喚いて、あげくの果てに漏らして失神か。どこまでも馬鹿みてーなのはアイツの方じゃねえか。みっともねえな」
ようやく拘束から解放されたトレーが肩を回しながら苦笑いでメイドたちを眺める。
「あの人、なんだったの? 綺麗な人だと思ったら急にヒステリックになって、勝手に気絶して、変な人だった」
「うおっ! びっくりした。隣に来てたのか。アイツはな、昔お嬢様の教育を巻かされてたカスだ。激しい若作りをしているが、まあまあ年がいってる。ババアの領域だ。昔はヒステリックながらも、もう少し取り繕える人だったんだがな、更年期と無駄に高いプライドと激しいストレスでおかしくなっちまって、少しでも不機嫌になると下品な本性をまき散らす馬鹿になり下がった。まあ、俺は昔から毛嫌いされて虐められてたし、お嬢様が今の性格になっちまった原因も担ってやがるし、敵だな、俺の」
「ふ~ん」
「まあ、あんなんでも相変わらず屋敷での地位は高いからさ、アイツに紋章見せとけば話は早いんだよ」
「なるほど。あんまりにも不快だったから貴方にお尻を見せようか迷ったけど、そういう事情があったんだ」
「ああ。それに、俺が見てもあの女は自分が確認するまで金切り声を上げてたと思うぞ」
「そっか、じゃあ、トレーに見せても見せ損だね」
「まあな。俺は役得だけどよ。ていうか、女の子が見知らぬ男にお尻見せるって選択肢を持つなよ、痴女」
「だって、そのくらい不快だったし」
「それにしてもだろ。しっかりしてくれよ。そんなにも危機感皆無だと、俺の先が思いやられる」
「トレーの先が? なんで?」
「それは、多分お嬢様が説明してくれるよ。ほら、兵士が地下牢じゃなくてお嬢様の執務室にお前を案内してやりたいって。行ってやれ」
二人いた兵士はスッカリ威勢を失って、一人は不安そうにメイドを抱きかかえ、もう一人はモジモジとした態度で犬井を見つめている。
トレーの目線によって犬井からの視線を浴びると彼はビクリと肩を震わし、それからギクシャクと頷いた。
「分かった、行く。トレーは?」
「俺はやることがあるからな。まあ、結果的にはお前のためになるからさ。じゃ、また後でな」
あっさりと手を振るトレーに見送られ、犬井は動きの硬い兵士とともに部屋を後にした。
会って数十分とはいえ、顔見知り程度の仲に感じていたトレーと引き離され、犬井は少し不安な気持ちのまま長い廊下を歩いていた。




