嗜虐心と狼耳
トレーと恋人になった犬井には、彼からの愛情や誘いを拒否する理由が一つも無い。
おいでと言われれば素直に頷いて彼の胸元に入り込み温かさに目を細めるし、頭を撫でられれば嬉しくて尻尾が揺れる。
出会ったばかりの頃のように、スキンシップを求めるのは犬井が基本となった。
穏やかで甘い生活に犬井は大満足だ。
しかし、トレーの方はなんだか物足りなさを覚えていた。
「お前って、本当にどこでも触らせてくれるのな」
眠る前のスキンシップで、自身の隣に寝ころぶ犬井の体に何となく触れる。
頭に腹、胸、太もも、尻。
耳や尻尾含め、特に触れてはいけない場所というものが犬井には無い。
多少敏感な場所に触っても、犬井はビクリと体を揺らすくらいで不満を飛ばすことはない。
むしろ、もっと強請って体を押し付けたり、ギュッと抱き着いてきたりする姿は可愛らしかったが、同時に何かが足りない感覚をトレーは覚えていた。
『従順すぎて、なんかな。犬みたいでかわいいけど、もっと、こう』
押し倒されて首を振るのにキスをされてしまう犬井。
嫌われてしまうのも、本当に嫌がられるのも不愉快だが、真っ赤になって逃げる犬井を追うこと自体は楽しかった。
しかし、今の犬井に当時の面影はほとんど存在していなかった。
『マオがちょっと嫌がって逃げる程度の悪戯……思いつかねえ』
トレーは思わずため息を吐いた。
「どうしたの? トレー」
「いや、つい、ぜいたくな悩みが湧いただけだ。気にするな」
「ぜいたくな悩み」
いいつつ、犬井は自身の腹周りについた薄い贅肉をつまむ。
「ちょっと太った」
「まあ、モチモチで良いんじゃねーの?」
「でも、狼獣人は太りにくいのに、お肉がついている。人だったらムッチムチとみた」
「マオは大食いだし、冬は特に肥えやすくなるからな。仕方ねーって」
トレーもムニムニと犬井の腹の肉をつまむ。
少し恥ずかしがってくれるかな、と期待してみたのだが、犬井は特に表情を変える様子もなく、尻尾や耳も普段通りの穏やかな動きをしている。
「やっぱり、ちょっと肥えたかもな」
だいぶ失礼な発言をして腹以外の肉付きの良い部位に片っ端から触れたが、やはり犬井に怒る様子はなく、恥ずかしがることも無かった。
ただ、自分の腹を見つめ、
「トレーから見てもムチムチか。ダイエットしなきゃな」
と、少し落ち込むばかりだ。
「触り心地いいし、別にその必要はねーけど、ただ、お前、本当に恥ずかしがらねーのな」
「ムチは恥ずかし?」
「いや、そうだけどそうじゃねーんだわ。ただ、俺のぜいたくな悩みも尽きねーなって話」
「ふむ」
分かったような、分かっていないような顔で頷く。
犬井に対しトレーが苦笑いを浮かべていると、彼女を抱いている位置の関係上、モフッと動いた耳が彼の口に入り込んだ。
「あっ! トレー、ごめん!」
驚いた犬井が大慌てで彼の口から耳を抜く。
それから、自分の毛がトレーの口に入り込んでいないか、心配そうに彼の口の中を見ている。
しかし、トレーの方は口内の毛に特に不快感を示すことなく、むしろ、少し赤くなる犬井の頬をジッと見つめた。
『恥ずかしい? いや、ただ慌ててるだけか? どっちにせよ、今までこういうことはしてなかったな』
トレーは興味の赴くまま、犬井の油断しきった耳を再度口に入れた。
瞬間、犬井の体がビクッと跳ね、みるみるうちに強張っていく。
「トレー、何!? どうしたの!? 耳は駄目だよ、汚い!」
目線を上げてもトレーの姿は美味く見ることはできないが、あむあむと耳を食べられていることは分かる。
そのため、手をパタパタと動かし抵抗していたのだが、舌で耳を撫でられ、チュッと吸われると力が抜けた。
「トレー、耳はだめだよ」
両耳を手で押さえ、赤っぽい涙目になってジッとトレーの顔を見つめる。
非難めいた表情を向けられるのは久しぶりで、ようやく意地悪が成功したトレーは嬉しくなり、笑ってしまった。
代償に毛だらけになった口内など、可愛いものである。
「何が駄目なんだよ。耳が弱いからか?」
「そうだけどそうじゃなくて、耳、というか毛は、実はけっこう汚い。埃とか溜まりやすい。抜け毛も出るし、口に入れちゃ駄目。でも、気持ちいいから触るだけにすべし」
ふすふすと怒ったまま、トレーの手を自分の耳の方へ移動させる。
そのまま耳を揉まれ、弄られると気持ちが良さそうに目を細め、脱力した。
だが、満足する犬井とは反対に、心地良さそうに満足する彼女を見ているとトレーの嗜虐心がせり上がる。
まだ食べていない方の耳を口に入れ、モニモニと舌で撫でる。
「トレー、まって、なんで。駄目って言った」
「トレー、耳、綺麗じゃない。お腹いたくなる」
「トレー、まって。だめ、めっ!」
犬井が暴れても抗議の言葉を出しても無視して、力が抜けるまで耳を弄り続けた。
そして、とうとう弱り切った所で解放してやる。
犬井は急いで両手で耳を隠し、丸くなって頭を抱え込むとトレーに背を向けた。
汗ばむ体はいつもより小さく見え、真っ赤になったと分かる頬、随分と発情して見える姿が愛らしい。
トレーは久しぶりに小さな嗜虐心を満たした。
『やっぱり、たまには追い込むのもいいな』
口に入り込んだ毛を出しながら犬井の無防備な尻尾を掴む。
「尻尾もきたないから駄目!」
本当に尻尾にまで悪戯をする気はなかったのだが、犬井は大慌てで尻尾を回収し、丸まって防御の姿勢を強化する。
その姿がかわいらしい。
トレーは、つい笑ってしまった。
「トレー、笑ってる……」
クスクスと肩を震わせるトレーを、犬井は不服そうに見つめていた。




