クローゼットの秘匿物
尻尾を下げたまま、あまり元気のない犬井は黙々と廊下を歩いた。
向かう先はミモザの執務室なのだが、道中で男女の言い争う声が聞こえる。
『あれ? この声は、ミモザ様とベルテ様?』
声はミモザの自室の方から聞こえた。
不審に思った犬井がコッソリドアを覗けば、室内にいるのはやはりミモザとベルテの二人だ。
「絶対に嫌! いくらベルテのお願いでも、それは聞けないわ!」
「そうやって隠そうとするってことはやましい事があるんだろう。そこから獣の匂いがすることは分かってるんだ。大人しく、クローゼットを開けてくれ」
涙目になって声を張るミモザに対してベルテの態度は比較的落ち着いていたが、それでも彼にしては声を荒げ、怒りをあらわにしている。
「ミモザ様はともかく、ベルテ様まで怒るなんて珍しい。それに、喧嘩も。ミモザ様も隠し事ですか? トレーとお揃いですね」
一応ノックをし、間髪入れずに部屋に入り込む。
第三者が現れたことにホッとしたのか、ミモザは「マオ!」と嬉しそうに犬井の名を呼んだが、ベルテは変わらず険しい表情だ。
「ミモザの隠し事はトレーみたいに可愛いものじゃないよ。なにせ、浮気をしているんだからね」
「浮気?」
「だから、それは誤解だって言ってるでしょう!」
ミモザの否定を皮切りに、再び二人が争い始める気配を感じる。
口論になってしまえば犬井は話に入り込めず蚊帳の外状態になってしまうため、その前にベルテに詳しい状況を問うた。
比較的冷静なベルテが、激しい怒りを堪えた状態で事情を話す。
異常を感じたのは、約一週間前。
ミモザの体から濃い獣臭がしたのだという。
初めに嗅いだ時は魔獣の匂いかと思い、特に気にも留めなかった。
しかし、日に日に強くなる匂いは常に同一の獣臭だ。
特定の人物を差すだろう匂いにベルテは強い不信感を持った。
「ミモザの体からこんなに強い獣臭、それも獣人の匂いがするということは、ミモザはそいつと長時間一緒にいるか、あるいはそいつの何かを持ち続けていることになる」
「何か?」
「何かは何かさ。獣人の匂いが染みついたもの、例えば、爪とか『体毛』とかね」
やけに体毛を強調して話せば、ミモザの体がビクンと跳ね上がる。
「わ、私、知らないわ。獣人の毛なんか持ってないもの」
柔らかい性格に戻ったにしては少々きつい口調。
何かを誤魔化すために相手を下げるのはミモザに染みついてしまった悪癖だ。
ミモザの言葉にベルテが耳をピクリと動かす。
「獣人なんか? ミモザ、君はまだ獣人が嫌いなのかい?」
「ち、違うわよ。獣人の毛なんかって言ったの。揚げ足を取らないで」
「でも、君は図星を突かれると他人をこき下ろしてしまう悪癖がある。治すためにも、少し練習をしようか。僕や獣人のこと、どう思っているのか話してごらん」
ベルテが柔らかく迫れば、ミモザは顔を真っ赤にして犬井と彼の顔を交互に見た。
「ねえ、ベルテ、ここにはマオもいるのよ」
「関係ないよ。マオちゃんは、そういうの気にする性格じゃないし」
「でも……」
「つべこべ言わない」
ベルテに叱られたミモザがしょぼんと落ち込む。
人には無いはずの透明な耳がペタンと伏せられて見えた。
それからミモザは少し黙り込むと、やがて、意を決したように口を開いた。
「獣人は、素敵だと思うわ。単純に可愛らしい見た目の方が多いし、男女問わず力が優れている。特殊な能力を持つ方だって多い。それに、ベルテ、貴方のことは好きよ。愛してる」
恥ずかしそうにモジモジと言葉を告げ、話し終われば俯く。
涙目の加速するミモザの様子は愛らしかったが、甘い言葉に対し、意外にもベルテの反応は冷たい。
「ミモザ、君は記憶を取り戻してから自分がモフモフとした生き物を好むことを自覚した。そして、それを認めることもできている。確かに僕の毛はモフモフだが、羊や猫、ウサギなど、毛質の違うモフモフには敵わない。目移りしたんだろう。他の体毛の優れた獣人に」
ギロリとミモザを睨みつける。
狼獣人の目つきは鋭い。
身長が高い事や普段は温和な雰囲気を放っているギャップから凄みは増し、瞳だけで他人を殺すような威圧的で恐ろしい空気を漂わせている。
ミモザくらいの年頃の女性であれば声も出せぬほど怯え、失神してもおかしくはないが、彼女は恐怖を覚える様子もなく、ただブンブンと首を横に振っていた。
「だから、違うって言ってるでしょ。私が一番好きなのはベルテの毛だもの。大体、浮気なら貴方だってしたくせに」
「僕は未遂だ。良くないことを考えたのは事実だが、君以外の女性とは食事以上のことをしたことがない。したいと思える相手に出会えなかったからね。結局、僕は君以外の女性を愛せなかった。ただ、男女問わずに友達が増えるだけの結果になったよ」
「それは羨ま……じゃなくて、でも、悪いことを考えたなら一緒なのよ。私、傷ついたんだから!」
「現在進行形で浮気をしている君に言われたくないね」
ポコポコと怒り出すミモザにベルテはフイッと顔を背ける。
硬直する空気の中、結局蚊帳の外にされてしまった犬井は自分から二人の注目が外れたのをいいことに、ベルテのすぐ隣までやってきて匂いを嗅いだ。
「やっぱり」
小さく言葉を溢せば、流石にマオの存在に気が付いたベルテがギョッとして真後ろに飛び退く。
「わっ! マオちゃん! どうしたんだい!? いきなり人を嗅ぐのは流石にマナー違反だよ」
「ごめんなさい。ただ、確かめたいことがあったので。次はミモザ様」
犬井は、今度はミモザの方へ寄っていくと嫌がる彼女を捕らえ、フスフスと匂いを嗅いだ。
「マオちゃん、何か分ったかい?」
ベルテが恐る恐る問いかければ、犬井はコクリと頷く。
「最近、ずっと思ってたんだけど、やっぱりそうだった。ミモザ様が放つベルテ様の匂い、かなり強くなってる」
「ベルテ? ベルテって、まさか僕かい?」
意外な人物にベルテが素っ頓狂な表情で問えば、犬井は再びコクリと頷く。
ベルテがそのままミモザの顔を見れば、彼女はビクッと肩を跳ね上げ、燃えるように熱い顔を彼から背けた。
「あの反応、本当みたいだね」
「そうですね。ミモザ様は嘘、苦手ですから。それに、私も嘘はつけない。私も、ここ数日ミモザ様から感じるベルテ様の匂いが強まっていくのを不思議に思ってました。てっきりスキンシップが増えてエッチな事でもしてるんだと思ってたけど」
「ミモザは初心なんだ。そんなことはしないよ。触れ合いと言っても手を繋いだり、稀に頬へのキスを許してもらえたりするだけだ」
「意外。ミモザ様はムッツリスケベなのに。ともかく、それじゃ、あんなに匂いはつかない。今までのお話を考えると、クローゼットの中にはベルテ様の毛があるんだと思います」
「僕の毛が? 確かに、最近、愛情表現の一つとしてミモザは僕をブラッシングしてくれていた。その時には随分と毛も抜けたはずだけれど、まさか、それを?」
不思議そうに首を傾げてクローゼットに手をかける。
ミモザは観念したのか先程までの抵抗は見せなかったが、代わりに、恥ずかしそうにそっぽを向き続けていた。
「これは、抱き枕だ」
ベルテがミモザの秘密の正体に目を丸くする。
ミモザは気まずそうにソワソワとした様子で二人を窺っていた。




