汚い記憶
とある早朝、トレーの小屋の扉がドンドンと激しく叩かれた。
当時のミモザは天真爛漫で無邪気。
五歳という幼さが故に、あまり他人への迷惑を顧みることができない。
不定期な時間に現れてはトレーや魔獣たちにじゃれていたので、この日も彼はミモザが遊びに来たとしか考えていなかった。
億劫そうに体を起こし、まどろみながらドアを開けるまでは、まだ幸せだった。
しかし、酷く不機嫌な使用人たちの姿を見ると夢み心地だったトレーの脳は一気に現実まで引き戻された。
「お嬢様が世話をしている魔獣を出せ」
開口一番、使用人が怒鳴る。
十二歳の少年だったトレーに大人の怒気は恐ろしく、全身にビリビリとした緊張が走った。
幼い頃から与えられた暴力をトレーの脳はシッカリ記憶しているから、恐怖で手足が震え、指や足の先が冷たくなる。
すぐに使用人たちがサリアのことを言っているのだと気が付いてしまった。
しかし、トレーは初め、
「ここにはお嬢様が中途半端に世話した魔獣がたくさんいます。昨日はユニコーンの背を撫でたし、一昨日はハチの魔獣から蜂蜜を回収しました。出せと言われても誰のことか。魔獣小屋に行ってみてはいかがですか?」
と、しらを切った。
サリアはミモザたちと飼っている特別な魔獣だ。
魔獣小屋とは少し離れた別の場所に専用の小屋がある。
使用人を魔獣小屋に先導してしまえば、サリアが見つかることはない。
嫌な予感からサリアを守るために鈍くなった脳を動かし、詰まりそうな喉から声を出して誤魔化した。
しかし、結果、トレーは酷く殴られた。
頭を、腹を、背中を、体のいたるところを殴られ、血を流した。
肌を黒っぽく腫れあがらせた。
泣いても謝罪しても怒鳴っても暴力は終わらない。
それは使用人らが満足するまで続いた。
どれほどの時が経ったかのか。
やがて、中途半端にうずくまって倒れ込んだトレーの体を使用人の誰かが無理やりに起こした。
眼前にナイフを突きつけられる。
ぼやけた視界に少しだけ入り込む使用人の口元は不気味に吊り上がり、明らかに弱者であるトレーを嘲笑っていた。
使用人は、既にサリアの存在を認識していると明かすと、小屋まで案内しなければ殺すとトレーを脅した。
トレーは逃げ場がないことを悟った。
自分の命や、まだ一応は五体満足な体を惜しがった。
だから、トレーはヨロヨロと体を揺らしながらサリアの小屋へと向かった。
掠れた声でサリアの名を呼んだ。
魔獣は聡い生き物だ。
普段ならばトレーたち以外の人間がいる時点で警戒し、小屋の中から一歩も動かなかっただろうが、声で彼が瀕死の重体を追っているのだと知ると心配し、外へ出てきた。
サリアのつぶらな瞳が真直ぐとトレーへ向けられ、彼へ駆け寄る。
しかし、ふわふわの毛がトレーに触れる前にサリアは使用人に捕まってしまった。
トレーにはサリアへ手を伸ばす気力も体力も残されていなかった。
ただ、茫然とサリアが捕まるさまを見ていた。
サリアさえ捕まえてしまえばトレーは用済みだ。
彼はボロ雑巾のようにその場に捨てられ、意識を失った。
次に目を覚ましたのは夕方。
トレーは誰かの足音で意識を取り戻した。
「処分しておけ」
冷たい声が言う。
ボトリと目の前に落とされたのは汚れた肉の塊。
殴打され、切りつけられ、焼かれた形跡のあるサリアの死骸だった。
トレーは声なき悲鳴を上げ、ボロボロと涙を溢した。
己の罪を痛いまでに自覚させられた。
命惜しさにサリアを差し出し、あげく拷問の上で死なせてしまったことを酷く後悔した。




