大人二人と子供二人
「イチャイチャしてる。ねえ、トレー、ミモザ様、もう平気なんじゃない? 家でイチャつかれても落ち着かないし、そろそろお引き取り願おう」
トレーの腕を引いて小声で相談する。
だが、意外にも犬井の声はミモザの耳に入り込んでしまっていたらしい。
ミモザはキッと犬井を睨んだ。
「イチャイチャなんかしてないわよ。ただ、物好きなケダモノがじゃれてくるから相手をしてあげていただけだもの」
「また、そんな言い方をして。せっかく好かれてたみたいなのに嫌われても知らないですよ」
「なっ! き、嫌われないわよ、多分。このくらいで私のことを嫌いになる人なんか、願い下げだもの。それより、ベルテと向き合うなら私、やっぱりマオに手伝ってもらわないことができたの。それと多分、魔獣使い……トレーにも」
聞いてくれる? と、問いかけてくる姿は殊勝だ。
「まあ、いいですけど。肩書は一応、ミモザ様のメイドですし」
犬井が渋々頷けば、ミモザはパッと笑顔になった。
「そうよ、貴方はメイドよ。ちゃんと自覚があったようで何よりだわ。それで、その、要件なんだけれどね、私の部屋に開けられない小さな木の箱があるのよ」
「木の箱? 開けられないって、鍵でもかかってるんですか?」
「いいえ、違うわ。箱は古びているだけで特筆すべき点は何も無い、シンプルなものよ。蓋を軽く持ち上げるだけで開くわ。でも、どうしても、開けられないのよ。怖くて」
ミモザが話題にあげた木箱こそ、彼女がヒステリックになり始めた原因だ。
魔獣たちと関り、トレーの小屋の方へよく遊びに行くようになったある日から、ミモザは急に、今まで意識の片隅にも置いていなかった小箱が気になるようになった。
「最近、あまり眠れていないんだけれどね、それでも浅く居眠りをしてしまうことはあるの。すると、ほんの少しの短い夢を見る。大事なものが全部目の前から消え去って、奪われる悪夢。でもね、夢の最後にはちっちゃな木箱が出てくるの。まるで、大切なものは全部ここに入っているとでも言うように、希望みたいに出てくるの」
「その木箱が、ミモザ様の部屋の木箱とそっくりなの?」
「ええ。私だって、開けてみたらいいと思う。でも、どうしてか怖くて開けられないのよ。中身が気になって、仕事中も木箱を思い浮かべるくらいなのに、開けられないの」
「それ、私は何を手伝ったらいいんですか? トレーも」
「マオには、私のことを勇気づけて欲しい。さっきも言ったでしょ、私にとって対等な友達は貴方だけだって。私が頼れるのは貴方だけなのよ。それとトレー、貴方は、どうして私が木箱を触れないか知ってるでしょ。それを教えて欲しいの」
いきなり話を振られたトレーはビクリと肩を跳ね上げ、気まずそうに目線を逸らすとモゴモゴと口籠った。
「嫌です」
ボソリと拒絶をする。
「嫌。出来ないんじゃなくて、『嫌』なのね。やっぱり貴方、何かを知っているのね」
「ええ。お嬢様の想像通り、俺は、屋敷では一番貴方に詳しい。一時期、俺の小屋はお嬢様とベルテ様の密会場所でしたし、まだ天真爛漫であからさまに屋敷中から不興を買っていた貴方の逃げ場所でしたから。加えて、当時のお嬢様たちは四、五歳くらいの年齢でしたが、俺は十代前半だったから、起こった出来事の捉え方も記憶の仕方も何もかも違う。俺は、多分、木箱の中身すら言い当てられるでしょうね」
追い詰められ、やけくそになったトレーが億劫そうに言葉を紡ぐ。
「やっぱり!」
そう呟いてトレーを睨みつけるミモザに対し、ベルテは「え!?」と驚いた表情で彼を見つめていた。
彼の視線を受け、トレーの表情が申し訳なさそうに濁る。
「ベルテ様、黙っていてすみませんでした。実は俺ら、本当はもっと仲良かったんすよ。俺が語ってきた話も思い出のほんの一部だ。本当は、もっと楽しい話がたくさんある。でも、それは、確実にお嬢様のトラウマに抵触するから黙っていた」
「トラウマって何よ」
絶句するベルテに代わって、ミモザが不満そうに口を開く。
「トラウマはトラウマですよ。木箱を開けられないほどの恐怖ってのがそれを物語っている。木箱はパンドラの箱です。希望も入っているかもしれないけれど、それ以上のおびただしい恐怖や混沌が同居している。貴方の幸せな幼少期は暗い絶望と表裏一体だ。俺も、トラウマの内容は詳しくは知らないけれど、貴方の無邪気さを殺し、腐った価値観を植え付けられる何かが起こったんだ。それだけは分かるんです」
言葉には悲痛な響きが宿っている。
トレーの顔も酷い苦痛に歪み、何かを激しく後悔していた。
呆然としていたベルテが大急ぎで話を組み立てながら口を開く。
「ちょっと待ってくれ、それなら僕は。僕は、久しぶりに会ったミモザが家の考えに染まっているのを見て、一度、初恋を諦めた。でも、結局忘れられなくて、まあ、自分で言うのもあれだけれど、わりと歪んだ状態で彼女の下に帰ってきた。僕はずっと、彼女が家の価値観にあてられたせいで変わってしまったと思っていたんだ。もしかして、違うのかい?」
「全部が外れってわけじゃないっすけど、でも、多分。ベルテ様も覚えてますよね。小さかった頃のミモザお嬢様はものすごく頑固で、誰に怒られても俺たちの所に遊びに来ていた。そんなお嬢様が、簡単にベリア家の人間になると思いますか?」
「思わない。だから、ショックだったんだ」
しょんぼりと尻尾を垂れさせるベルテを見て、トレーは少し考え込むようなそぶりを見せる。
それから、ベルテに一声かけ、彼をミモザから離すとヒッソリ耳打ちをした。
「———を覚えていますか? ベルテ様」
「もちろん。僕たちで世話をしていた———だよね。随分と昔に、君から病死したと聞かされていたけれど」
「あれも嘘です。ほんとは———は……された。亡骸を生めたのは俺です。最後の姿は酷いものだった。俺は死骸を処理しただけだから、何が起きたのかは分からないけれど」
「そうか、僕とミモザの思い出や、君とミモザの思い出ならともかく、三人の思い出にはどうあがいても———が付いて回る。だからトレーは今まで僕たちに昔の思い出を教えてくれなかったんだね。———そのものが、ミモザのトラウマになっている可能性が高いから、楽しかったそれごと秘匿したんだ」
「すみません」
「責めてないよ。僕も———のことは覚えていたのに、細かい部分は忘れている。そこを突けばトレーに隠し事をされることも無かったのに、悔しいな。まあ、今さらだけどさ。でも、どちらにせよ、考えることは増えたね」
少し前のイチャついた空気とは一変し、小屋の一角が重々しい雰囲気を放つ。
耳がいい犬井と違って、ミモザには二人の会話がほとんど聞こえていない。
彼女は不安そうに犬井の服の袖を引っ張った。
「トレーとベルテは何の話をしているの? マオには聞こえているんでしょう。教えて」
「いや、分かるけど、分からない。それに、トレーがミモザ様には聞かせないって判断したこと、私は教えられませんから」
「そう」
犬井にキッパリと拒絶されるとミモザは落ち込み、不満そうに頬杖をついた。
それから、テーブルに戻ってきた二人をギロリと睨む。
「ねえ、二人とも内緒話は終わった? そろそろ私も仲間に入れて欲しいんだけれど」
頬をプクッと膨らませるミモザだが、トレーは彼女を一瞥することなく首を横に振った。
「教えられません。木箱の中身も、ミモザお嬢様の過去も。思い出さないなら、その方が良い事もある。箱は金庫にでもしまっておいてください。いっそ、捨てちまった方が良いかもしれない」
「はぁ!? 何言ってるのよ。それなら、トレーはもういいわ。ベルテに教えてもらうから。ねえベルテ、教えて。トレーから何か聞いたんでしょ。私、貴方のことを思い浮かべると同時に木箱も思い出すの。貴方を好きになろうとしたら箱からは逃れられないのよ。お願い」
酷く焦った様子で問いかけるが、ベルテも決して首を縦に振らない。
「残念だけれど、僕もトレーと同意見だ。君の心を壊したくない。大丈夫だよ、ミモザ。過去なんかなくても、これからたくさんのものを積み上げていける。それより、当時、君の近くで働いていた使用人って分かるかな。君の家族はもういないし、まあまあの罰を加えられているからね、そっちはおいておくとしても、メイドやら執事やら、未だに甘い相手を啜っている奴らは駄目だ。ちゃんと、制裁を加えないとね」
ニコリと微笑んだ笑顔が闇よりも深く、どす黒い。
ベルテの言葉の意味は分からないが、何か怖い事をしようとしていることだけはひしひしと伝わって、明らかに制裁対象でないミモザすら、一瞬肩がすくんだ。
しかし、彼女はすぐに目的を思い出すとブンブンと頭を横に振った。
「訳の分からない話をしないで、誤魔化さないでよ! 私には箱のことが何より大切なのよ。ねえ、二人とも、意地悪をしないで教えて! 昔、何があったの? 箱には何が入っているの?」
ベルテの腕にすがったミモザの手を、彼が優しく引き剥がす。
「聞かない方が良いよ。君のために」
「そんなの知らないってば! 私は、私のために聞いているの!」
過去の鍵となるのはトレーとベルテの二人のみ。
どんなに彼女が駄々をこねても、二人の意志が強固である限り、ミモザは絶対に己の過去を知りえない。
トレーたちが口を閉ざすと誓い合った限り、話のオチは見えている。
小屋には泣きじゃくる子供と二人の大人がいるだけ。
勝敗はハッキリとしている。
それが分かっているからこそ、ミモザは余計に泣いてしまうのだろう。
完全に蚊帳の外に放り出されて全体を眺めていた犬井は、ただ、ミモザが可哀想だな、とだけ思った。
だからだろうか。
普段はトレーに触れてばかりの手が、強くミモザの手の甲を握った。
「マオ?」
潤んで真っ赤になった瞳で、縋るようにミモザが犬井を見つめる。
「あのさ、二人とも、もう少しミモザ様の話を聞いてあげたら?」
喉から這い出た声は意外と鋭い。
叱責の響きを持つ言葉に、その場の全員が注目した。




