責任VS可愛い恋愛観
酷く疲れ果てた身体を癒すために熟睡していたからだろうか。
目を覚ましたトレーはやけにスッキリとしていて、傍らでスヤスヤと眠る犬井を眺めた。
何となく耳を撫でてやれば、触られていないはずの尻尾が喜びを抑えきれない様子でモフモフと跳ね、暴れ始める。
「マオ、起きてるだろ」
「うん。おはよう」
嬉しそうに返事をする犬井を見て、トレーは彼女の頭を撫でると「おはよう」と挨拶を返した。
トレーに撫でられるのが堪らないようで、犬井は喜びのまま彼の胸にグリグリと頭を押し付けると、尻尾をブンブンと振って狂喜乱舞させ、ついでに布団を床へ押し出す。
「お前、なんというか元気だな」
「嬉しすぎて、つい。そう言えばトレー、いつものトレーだ。もう、平気なの?」
「ああ、おかげさまでな」
「良かった」
ホッと安堵のため息を吐く犬井を、トレーは微笑ましそうに見つめている。
ふと、昨夜は相当なことをしたのに犬井が小綺麗な格好をしていることに気が付き、小首を傾げた。
「お前、ちゃんと服着てるのな。意外だわ」
「え? 服はトレーが着せてくれたんだよ。それに、布団をかけてポンポンってしてくれた。覚えてないの?」
トレー同様、犬井も不思議そうに小首を傾げている。
だが、彼の方も昨夜の記憶はほとんど消し飛んでいて細かな部分を覚えていなかったので、素直にコクリと頷いた。
「全然覚えてねえ。なんなら、したこともあんまり」
「そうなの? 私はけっこう覚えてる。楽しい事、いっぱいした。尻尾トントンとか。あのさ、大事にしてもらったよ」
照れた犬井が幸せそうな笑顔を浮かべて語る。
だが、犬井を欲のはけ口にした自覚のあるトレーは、
「大事に、ね」
と、含みのある調子で言葉を溢し、苦笑いを浮かべた。
少し落ち込んだような、暗い気持ちを心臓に絡みつかせるトレーを、犬井は柔らかい心持のまま見つめた。
「ねえ、トレー、あの、好き」
昨夜、キスを強請った時のようにモジモジと頬を赤らめて、恥ずかしそうに言葉を出す。
トレーは酷く驚いたように目を丸くした。
「急にどうしたんだよ」
「急じゃない。昨日から何度も言ってる。その前から何度も思ってる。何回言ってもポコポコって好きが体の中に沸いて、言わずにはいられなくなる。多分、トレーのこと、大好きだからだと思う」
「ふ~ん」
照れるトレーは顔色を変えぬままそっぽを向いた。
すると、犬井はピンと張っていた犬耳を垂れ下げ、
「トレーは私のこと、好きじゃないか」
と、しょんぼり落ち込んだ。
「なんだよ、急に」
「好きじゃないか」
「嫌いじゃないよ」
チラチラとトレーを見て、好きを催促するような甘い強請りの雰囲気を纏わせる。
だが、貰った言葉が微妙なものだったので、犬井は床から毛布を回収すると、いじけてその中に潜った。
「おい、マオ」
「別に、トレーのこと助けたかっただけだから、見返りは求めてないし、いいよ。分かってたし」
「分かってたって、何が」
「トレーが私のこと、別に好きじゃないこと。私はトレーと一緒に寝たいけど、トレーは駄目ってたくさん言ってたし、あんまりキスもしてくれない。別にいいけど」
「嫌いじゃないって」
「でも、少なくとも好きじゃないんでしょ」
酷く拗ねたらしい犬井は尻尾だけを毛布から出し、ダランとだらしなく垂れ下げている。
相当にご機嫌斜めらしい。
トレーは喜怒哀楽の忙しい犬井に困って、ポリポリと後頭部をかいた。
「マオ、抱っこしてやるから出てこい」
おそらく、甘やかされ待ちをしていたのだろう。
トレーが声をかければ犬井は素直に頷いて、モゾリと毛布の中から這い出てきた。
体はホコホコと温まり、サラサラの髪はもつれて頬にへばりついている。
ギュッと抱きしめている布はトレーの部屋着だった。
どうやら、中で嗅いでいたらしい。
「何やってんだ、お前」
「だって、好きなんだもん」
「俺の匂いが?」
「うん。落ち着く」
トレーの胸元におさまる犬井はかなりリラックスしているようで、柔らかく目を閉じている。
ポフポフと優しく背中を叩くと更に脱力して、耳をペタリと後ろに倒している。
いわゆるヒコーキ耳になった犬井の姿はどこかアザラシにも似ていて、少し間抜けな愛らしさにトレーは小さく笑みを溢した。
「マオ、俺さ、お前のこと可愛いと思うよ」
「可愛い!?」
「ああ。可愛いと思う。今も耳をピンと張って、尻尾もブンブン振ってさ。俺なんかに褒められて有頂天になるのが可愛い。愛されるのも初めてだからさ、それも、けっこう嬉しい」
無感情ぎみな犬井の目が珍しくチカチカと輝く。
それだけ、トレーの気持ちが嬉しかった。
しかし、続くトレーの、
「でも、俺、イマイチ分かんねーんだよな。マオのこと好きかどうか」
という言葉には、しょぼんと落ち込んだ。
「分からないのか」
「ああ、分からない。好ましいとは思うけど、好きって感覚がどうにも理解できねーんだ」
「私は、トレーのこと抱っこしたくなって、キスしたくなって、尻尾トントンしてほしくなる。見るだけでかわいくて、大切にしたくなる。こういう風に思うのはトレーだけだ」
「お前はどうか知らねーけど、ハグとかキスとか性欲の発散は、別に誰とでもしたくなるよ。可愛くて多少好ましければ、誰とでも。癒されたいのだってそうだ」
トレーへの愛しさを胸にふわふわと言葉を出した犬井は夢心地だ。
しかし、対照的にトレーの態度は冷たく、どこか嘲笑的な笑みを浮かべていた。
ショックを受けた犬井が耳と尻尾、それに髪の毛を逆立ててパキリと固まる。
「ヤダ」
小さく出した言葉は幼い子どもの拒絶にも似ていて、先走った感情がうっかりと口から零れたような雰囲気だ。
それに気が付いているのか否か、トレーは変わらず乾いた笑みを浮かべる。
「まあ、他のやつとはしねーし、できねーから安心しろ」
「約束して」
「分かったよ。ただ、言いたかったのは、俺は誰かを特別視したことなんてねーから、お前に対する感情がどういうものか分からないってことだ」
「そっか」
「しょげんなって。こんな俺でも、ちゃんと責任については考えてるよ」
俯く頭をトレーが優しく撫で、絡まった髪を節くれだった指で柔らかくほぐす。
犬井は不思議そうに顔を上げ、キョトンと首を傾げた。
「責任って何の?」
「そりゃあ、もちろん、女の子に手を出した責任だよ。俺だって屑じゃねーし、一度食べた以上、大切にする」
「大切?」
「ああ。マオのこと、恋人にするよ。そんで、そう遠くない内に結婚する。なんせ、食った相手が転生者様だからな。貞操を奪っておいて捨てたんじゃ天罰が下る」
トレーの中では犬井と付き合うことが決定しているのだろう。
どことなく吹っ切れたような、あるいは諦めたような笑みを浮かべる彼に犬井はプクッと頬を膨らませた。
「嫌」
再び子供のような調子で拒絶を口にする犬井に、トレーは驚きで目をまん丸く見開いた。
「嫌って何がだよ」
「恋人。なりたくない」
「なんでだよ。お前、俺のこと好きなんだろ?」
「うん。だからなりたくない。恋人は好き合ってなるものだ」
「恋人が相思相愛でなるものなら、初夜もそうだよ。愛し合う人間の行為だ。それを、何を今さら。どうしてマオはどうでもいいところだけ頑固なんだ」
「どうでもよくない。大事。私、昨日のはトレーの気持ちに関係なくするつもりだった。責任とってもらおうって思ってなかった。ただ、トレーのことを助けたかっただけだから。だから、感情はノーカン。でも、恋人は違う」
かつての犬井に欠けていたもの。
渇望していたもの。
それはおそらく、特別な想いを向けることができる他者だ。
犬井はきっと愛する何かが欲しくて、けれど見つからなくて、何にも興味を持てないまま一度、寂しい人生を閉じた。
そして、今世では光に導かれて相性の良いトレーの近くで転生し、彼に恋をした。
死ぬ前から無意識にずっと欲していたものを手に入れようとする犬井は確かに頑固だ。
強いこだわりがある。
犬井は自身の恋愛観にのっとって、
「好きあう人間同士が互いの想いの強さゆえに結ばれ、幸せを享受し合う関係性」
になれないのであれば、トレーとは恋人になりたくなかった。
いくら彼が好きでも、「責任をとらなければいけないから」とか、「天罰を受けたくないから」といった理由でお情けのように付き合ってもらうこと自体、論外だったのだ。
自ら捨てられることを望むような危うい態度をとる犬井に対し、どういうわけかトレーも必死だ。
彼はイライラとした様子でガリガリと頭を掻いた。
「うるせーな。ガタガタ言うなよ。俺はお前が何と言おうと、付き合って最終的には結婚するんだ。じゃなきゃ責任を取ったことにならない。んで、どうせなら恋人になったんだからってことで、俺は食いてー時にお前を食うんだよ。そうすればほら、俺も役得だし」
「なっ!! カスだ! カスなトレーなんか知らない! 絶対に付き合わない」
「それより酷い言葉を言われ慣れてるからな、落ち込まねーぞ。それよりマオ、付き合ったら毎日キスして、抱き締めてやるけど」
本気で怒ったらしく、腕組みをしてトレーから顔を背けていた犬井だが、その耳がモフッと揺れる。
明らかにトレーの話に興味津々だ。
言葉は頑なでも体は何とやらというやつだろうか。
あまりにチョロい犬井の反応を見て、おせると感じたトレーが彼女の体を抱き締め、頬にキスをする。
音を立てて数度キスをすると、顔を真っ赤にした犬井が「う~」と恥ずかしそうに唸り、ちぎれんばかりに激しく尻尾を振った。
「何度でもかわいいって言ってやるし、寝床だってわけない。望むなら、今晩から抱き締めて眠ってやる。ブラッシングも恋人用に丁寧にやるし、いっそ風呂に入れてやってもいい。俺に責任を取らせてくれるなら、甘やかしてやるよ」
耳元に口を近づけ、柔らかく囁く。
甘い誘惑につられそうになった犬井は急いで両耳を閉じると、慌ててトレーの胸から逃げ出した。




