第9話 荒んだ街で
農村地帯を離れ、北へ数日──。
隼人たちが辿り着いたのは、王国北方最大の交易都市。
部族国家との最前線に位置するこの街は、
活気と混沌が入り交じった“闇市の中心”とも呼ばれる場所だった。
石畳は土埃にまみれ、通りには獣臭と香辛料の匂いが入り交じっている。
傭兵、野盗上がりの冒険者、素性の知れない商人、夜の女たちが行き交い、
通りの陰では手に刃物を持った少年が賭博に興じていた。
「……物騒だな。 だが変装した俺たちが紛れるには、ちょうどいいか」
隼人がモスロを引きながら呟く。
通りの喧噪に目を細めるナヤナが、うっすらと笑みを浮かべた。
『確かに……怪しげな者が多すぎて、私たちなど目立ちませんね』
彼らの変装は、農民風の粗末な衣服。
所持品も、シャーリーからの謝礼金を元に一部更新し、
地味な冒険者風に整えていた。
カレンは情報収集のため、先に一人で宿を出ていた。
隼人とナヤナは、街の雑貨店に向かっていた。
「……約束してただろ。ブレスレット、ちゃんと買い直すって」
『ええ。 嬉しいしいです……けれど』
そのとき──。
「おらあ! 遅ぇぞこのクソガキがッ!」
怒声とともに、何かが殴られる鈍い音がした。
振り返ると、街道沿いにある防壁の修復現場で、
ひとりの少年が倒れていた。
少年は痩せ細った体で、大人でも担げぬ石材を肩に乗せていた。
腕や背中、脇腹には、古傷と新たな傷跡。
むき出しの背中に、鞭の痕が赤く走る。
『……っ……!』
ナヤナが苦悶のような顔をして、口元を抑えた。
「ナヤナ?」
『……痛みが……あの子の念が、飛んできています……』
彼女の視線の先、石材の下で呻く少年に、
現場監督と思しき男が棒を振り上げる──。
隼人は、無意識に駆け出していた。
バシッ!
男の腕が振り下ろされる寸前、隼人がその棒をがっちりと掴んで止めた。
「やめろ」
「なんだてめぇ……! 部外者がでしゃばんな!」
「この国じゃ、奴隷は禁止されてるだろう。
まして、子供にこんな仕打ち……!」
「チッ、なに寝ぼけたこと……こいつぁ戦利品よ。
部族国家との戦で拾ったんだ。 人間じゃねぇ、家畜だ家畜」
隼人の顔に、怒りが滲む。
ナヤナが傍に寄り、少年の様子を見守っている。
『この子は……人間です。 明確に、心があります』
「……分かった。 金で解決してやるよ。 この少年、いくらだ」
「へっ……そうこなくちゃな。 三枚銀貨──いや、五枚だ。
最近こいつ、サボるんでね。 損失分ってことでよ」
欲の皮が突っ張ったその目には、明らかに足元を見ている算段があった。
隼人は黙って腰の財布を外すと、地面に叩きつけた。
がしゃ、と音を立てて、革袋の口が開く。
中から金貨数枚、銀貨、銅貨がバラバラと地に転がった。
「……全部持ってけ。 代わりに、この子は連れていく」
男は一瞬目を丸くしたが、すぐにニタリと笑い、
しゃがみ込んで硬貨をかき集め始めた。
「へっ、まあいいだろう。 好きにしな」
その姿を、隼人とナヤナは冷ややかな眼差しで見下ろしていた。
隼人は少年の手枷と首輪に手を伸ばし、力任せに外す。
金属の輪が地に落ちる音が、やけに響いた。
「ナヤナ……悪い。 買い物、台無しにしちまったな」
『いえ。 ……ブレスレットは、いつでも買えますから』
ナヤナは微笑みながらそう言い、少年の肩にそっと手を置いた。
***
その直後、隼人は少年の首輪と腕輪を拾い上げ、
ごみ置き場の箱へと向かった。
錆びかけた金属の枷を、思い切り放り投げる。
「こんなもん、二度と誰にも付けさせねぇ」
少年の目が、怯えから驚きへ、そして安堵へと変わっていく。
ナヤナが優しく微笑むと、少年の口元も微かに緩んだ。
「……ありがとう……お兄ちゃん」
「名は?」
「ビャッコ。 みんながそう呼ぶから」
「そっか。 よし、じゃあビャッコ。 うちの宿で、ちょっと休もうか」
宿に戻ると、カレンが出迎えた。
「おかえ……って、なにしてんの、あんたら?」
隼人が苦笑いを浮かべ、後頭部を掻く。
「いやあ……つい、やっちまった」
『ごめんね。 私も、応援しちゃいました』
傍らで、痩せた少年が戸口の影に身をすくめていた。
びくびくと視線を泳がせ、誰の顔も正面から見ようとしない。
両腕はまだ微かに震えている。
「まったく……で、これ誰?」
「ビャッコ。 ちょっと事情があって、今夜からうちの客人だ」
カレンはため息をつきつつも、すぐに魔法でビャッコの傷を軽回復させてやった。
軽く光が彼の身体を包み、腫れや裂傷がみるみる引いていく。
清潔な布で身体を拭いてやると、少年は何度も首をすくめ、
触れられるたびに怯えていたが、やがて小さな声で呟いた。
「……ありがとう」
その顔には、ほんの少しだけ安堵の色が浮かんでいた。
***
食事の時間。
テーブルには、パンとスープ、簡素な肉料理が並べられていた。
ビャッコは一歩引いた場所から、それを見つめていた。
「どうした、座れよ。 遠慮すんな」
隼人にうながされ、おそるおそる席に着くと、
少年はがつがつとスープをすすり始めた。
パンを口に詰めこみ、スープを飲み、手を止めずに肉をかじる。
その目に、ぽろぽろと涙が浮かんでいた。
「こんな美味いもん……久しぶりだ……」
『慌てなくていいよ、ビャッコ。 しっかり食べて』
ナヤナが微笑みながら言う。
「ほら、これも食っていいぞ」
隼人は自分の皿を差し出した。
「えっ、カイトまで!?」
カレンが目を丸くする。
「すごい食べっぷりだね。 見てて気持ちいいくらい」
ビャッコはしばらく無言で食べ続け、
やがて少し落ち着いた様子でスプーンを置いた。
「……おいら、こんなに腹いっぱいなの初めてだ」
***
簡単な食事の後、三人はビャッコから事情を聞いた。
彼は、国境近くの村に住む部族の出身。
両親は人間だったが、先祖に亜人の血を持つとされていた。
ある日、王国と部族国家の小競り合いが勃発。
村は巻き込まれ、両親を失い、彼は“戦利品”としてこの街に連れられてきた。
「人間と同じに見えるけど、……“亜人の血”ってのは?」
「……よく分かんない。 でも、体が強いのと、
魔法の力をちょっと感じるって、前に誰かが言ってた」
確かに、少年にしては驚くほど筋肉がついていた。
五年もの重労働が、身体を極限まで鍛えてしまったのだろう。
隼人は、拳を握る。
「……さて、どうしたものか」
ナヤナがビャッコの頭を撫で、微笑んだ。
『……少なくとも、今日の夜は、ここで眠らせてあげましょう。 ね?』
カレンは少し離れたところで、ふう……と長く息を吐いていた。
「……まあ、予想はしてたけどさ……案の定だよね。
拾った子は、きっとうちの一員になるんでしょ……」
彼女は頭をぽりぽり掻きながら、苦笑を漏らした。
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