第8話 猟犬の追跡
王都スラム。
日も差さぬ裏路地に、場末の酒場がひっそりと息をひそめていた。
中は薄暗く、酒と汗と絶望の匂いが交じり合っている。
角のテーブルでは、元冒険者とおぼしき中年男が、片足を庇うように座っていた。
男の名は“ブレア”。
かつてはギルドの探索職として名を馳せたが、足を痛めて引退。
今は裏稼業の情報屋として生き延びている。
口は堅く、情にもろい。
だが、目の利きと耳の鋭さは、いまだ一流だった。
──そんな彼の前に、四つの影が座っていた。
「……何度言わせる気だ。
下手な脅しで口を割るほど俺は落ちぶれちゃいねぇよ」
ブレアの声は震えていたが、それでも牙を剥くような視線を向けていた。
「家族は、確か南地区の集合住宅だったか?」
黒革の装束に身を包んだ男が、静かに言葉を重ねた。
黒蜥蜴。
ギルドの暗部──制裁執行部隊『紅の猟犬』のリーダーだ。
彼の声は静かだった。 だが、凍りつくような重みがあった。
「……よせ」
「娘の名前はリディア。 まだ十三か。
おまえに似て、物分かりが良いと聞いた。
どこまで、我慢できるかな?」
ブレアの顔が歪んだ。 テーブルの下、拳が震えていた。
「……俺が死ぬならともかく、あの子にまで……」
フードとマスクで顔を覆った蟷螂が、無言で手を掲げた。
次の瞬間──ドックの顔を、見えない水の膜が覆い始めた。
「っ……ごぼ……ごぼっ……!!」
息ができない。 空気が奪われる。
鼻腔と喉を満たす冷たい水に、意識が遠のいていく──
テーブルの向こう、梟が指を軽く二回、机に叩きつけた。
蟷螂は術を解く。
ブレアは激しく咳き込みながら、机に突っ伏した。
「ゲホッ……ああ……くそ、くそったれが……!」
「おや、まだ意地が残っているか。 ならば──見せてやろう」
梟が指を鳴らすと、テーブルの上に置かれた皿の肉が、
じゅっ、と音を立てて溶け始めた。
無色透明の魔法陣がその下に浮かび上がる。
肉が崩れ、骨ごと溶け、液体となって皿に広がった。
「この魔法、“肉体溶解”。 強酸の応用系だ。
次は君の右眼で試そうかと思っている」
梟の声は穏やかだった。
だが、その無感情な響きが、かえって恐怖を煽る。
ブレアの口が、わずかに開いた。
「……っ……わ、わかったよ……吐くよ……!」
「聞こう」
「奴らは……王都南門を抜けた。 カレンって女が冒険者風の装備を一式、
三人分買ってたって噂だ。 保存食と、地図も──恐らく北か西だ。
……ただし、最短ルートは避けてる。 何かに追われてるのは間違いない。
変装もしてた」
「その程度か?」
「……これ以上は、知らねぇ。 誓ってもいい。 足取りまでは……」
黒蜥蜴が、にやりと笑った。
「十分だ」
そして、立ち上がると同時に、短剣をブレアの手の甲に突き刺した。
「ぐぁああ!?」
「これは手間賃だ。受け取れ。生き延びたければ──これ以上口を開くな」
ブレアは、荒い息の中で小さく頷いた。
(……悪いな、カレン。 全部は吐いてねぇ。
だが、これ以上は俺の領分じゃねぇ。 せいぜい気をつけな)
紅の猟犬は、一言もなく店を後にした。
彼女の頼みで変装道具も手配した。 逃亡の手引きもした。
だが──行き先も、偽名も、聞かなかった。
あの夜に交わした無言の信頼だけが、今のブレアを支えていた。
***
場面は王都ギルド本部の地下、石造りの作戦分析室。
紅の猟犬が掴んだ情報から、各地のギルド支部に緊急の探索指令が届き、
古びた机には、無数の書類と伝書、精霊観測報告、
旅人の目撃証言が山積みにされていた。
その中心に立つのは、小柄で古びたローブに身を包んだ男──梟だった。
くすんだ眼鏡の奥の瞳が、書類を速読していく。
(王都脱出から三日。 購入記録──冒険者風装備、 保存食、
道中用の符、そして……地図。 だが、普通の地図ではなく“辺境用”だ)
梟は地図の一点に指を置いた。
西──自由都市連合方面。
だが、正規の街道ではなく、交易業者が裏で使う“旧道”だ。
「……予想以上に慎重、だが直線的な移動も避けている。
逃走ルートに“偽装”を挟み、観測を撹乱しようとしている」
「奇妙だ……なぜ“回避行動”にここまで徹底する。
護るべき“弱者”でもいるのか?
……あるいは、真に危険なのは──あの男自身か」
机の反対側、黒蜥蜴が腕を組んで見下ろしていた。
「で、確証は?」
「ああ。 奴らは途中の町で“Cランク相当の冒険者”として、
商人ギルドに護衛登録していた。 名前は偽名だったが、
装備と女の外見が一致している。 逃げる者にしては整いすぎた装備。
追われる者特有の矛盾」
梟はゆっくりと、地図上の《西方街道・アルネス経由ルート》を指差した。
「行き先は、自由都市でほぼ間違いない」
「なら……先回りして、狩るか」
黒蜥蜴が唇の端を歪める。
「アルネスの手前、西境の無法地帯。“濁り森”で罠を張る。
隠れるにも、狩るにも、都合がいい地形だ」
梟は首をひとつだけ縦に振り、手元の文書をギルドマスターに差し出した。
「最速の馬を、四頭。 西へ、今夜出発する」
ギルドマスターは眉を寄せながらも頷いた。
「……忘れるな。 紅の猟犬に求められるのは“任務成功”だけだ。
余計な正義感も、情も──必要ない」
「正義? 契約書に、そんな文字はなかったぞ」
黒蜥蜴が笑い、闘牛が無言で斧を背に回す。
蟷螂は静かに首を傾けて、ぴくりと耳を動かした。
そして──猟犬たちは夜を駆ける。
その牙は、いま確実に──隼人たちの背中を狙っている。
彼らが去ったあと、ギルドマスターはふと独りごちた。
「……この連中を放つたび、胃が痛む。
もし任務じゃなければ……あまり関わりたくない連中だ」
つい本音を漏らすグランだった。
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