第4話 腐敗の実像
夜の空は雲ひとつなく、農場の周囲は、冴えた月明かりに照らされていた。 納屋の裏手、干し草の影に身を潜めた三人は、ひそやかに言葉を交わす。
「──カレン、お願いできるか?」
「了解。 さすがに今夜は、尻尾を出してくれそうな気がするわ」
そう答えたカレンは、軽く肩を回して深く息を吸うと、薄い外套を翻しながら、闇の中へと消えていった。
『……わたくし、意識を結んでおきます。 カレンに異変があれば、すぐ伝えますね』
「頼む、ナヤナ」
隼人は、月を見上げながら呟いた。
「この辺で決着をつけてやらねぇと……あの親子、ずっと怯えたままだ」
***
街道から外れた林の奥、小高い丘の上。 そこには、旧王国時代の騎士屋敷を改修した、頑丈な石造りの屋敷が建っていた。 夜でも明かりが漏れるその建物には、数名の男たちの笑い声が響いていた。
屋根伝いに忍び寄ったカレンは、破れた雨樋を足がかりにして、窓のひとつに視線を送る。
──いた。 昼間、農場を襲った冒険者崩れの無頼者たち。 安酒と粗末な肉を囲み、声高に笑い合っている。 すでに何人かは泥酔しているらしく、床に転がって鼾をかいている男もいた。
その中央にいたのは──
「……ずいぶんと呑気に安い酒を楽しんでるようだな、レオン」
低く抑えた声で部屋に入ってきた男がいた。 濃紺の外套を羽織り、鋼鉄の肩当てと銀の帯剣を装備したその男は、保安騎士・【グレス・カランディア】。 この地方の治安を預かる、れっきとした王国の役人だった。
中肉中背でしっかりとした筋肉質の体格を持ち、貴族のように伸ばした茶色の髪を後ろで束ねている。 整った顔立ちではあるが、その整いすぎた面構えはどこか無機質で、目の奥には人を見下すような冷たい光が宿っている。
一見すれば有能な騎士にも見えるその風格──しかし、その態度と言動からは、ろくでなしの腐臭が漂っていた。
「……で? 昼の襲撃、何だったんだ。 高い金で雇っているってのに、 ただの小娘に矢を打たれ、相手の用心棒に打ち負かされて追い返されただと?」
「ぐ……申し訳ありません、保安騎士殿」
レオンと呼ばれたリーダー格が、気まずそうに頭を下げた。
「想定外でした。 あの三人、ただの流れ者かと思いきや、 意外と手練でして……剣の男に、魔術師の女、それから器用に支援をこなす弓使いの娘。 ……おそらく、どこかの傭兵団の出身か、あるいは用心棒を生業とする冒険者」
「言い訳は聞いていない」
グレスはゆっくりと腰を下ろし、傍らのグラスに酒を注いだ。
「次の襲撃は“収穫日”だ。 奴らがどうであれ、確実に仕事を遂行しろ。 ……殺すなとは言わんが、痕跡は最小限に」
「勘違いしてる連中が多いがな……」
グレスはグラスを傾けながら、冷ややかに吐き捨てた。
「俺たちは、ただ気まぐれに村を食い物にしてるんじゃない。 法が届かぬ辺境で“秩序”を維持するには、“恐怖”ってやつが必要なんだよ。 奴ら農民に“保安”を施してやってる代わりに、女の一人や二人が差し出される──それのどこがいけない? 王都の貴族どもだって同じことをしてる。 違いは、俺のほうがまだ“誠実”だってことさ」
目の奥に宿る狂気と自負が、不気味な静けさを孕んで滲み出ていた。
「承知しております。 次は倍の人数で向かいますので、どうぞご安心を」
グレスは、酒を口に含み、しばらく黙ったあと、ふと口元に歪んだ笑みを浮かべた。
「シャーリー……あの女は、実にいい。 亭主を事故に見せかけて殺したんだ。 早く俺のオンナにしたい……」
別の無頼漢が、歯の抜けた口で下卑た笑いを浮かべる。
「娘の方もなかなか可愛いですよ。 まだ若いが、将来は美人になりそうだ。 ……俺が責任もって“面倒”を見てやってもいいんですがね」
「まずは母親だ。 娘はその“担保”だよ。 母親ってのはな、子供を人質に取られりゃ、どんな無理でも飲む。 可愛がってやるさ……フフ、飽きるまではな」
その会話を、屋根の上のカレンは震える手で、録音札にしっかりと記録していた。
(……最低。 ……絶対に許さない)
その目には、怒りと、そして静かな憐憫が宿っていた。
***
深夜。 農場の裏手。 暗がりの中で、カレンは息を整えながら戻ってきた。 隼人が立ち上がり、ナヤナがやや緊張した面持ちでカレンの様子をうかがう。
「無事だったか?」
「うん。 でも……話は、最低だったよ」
カレンは、録音札をかざした。 隼人とナヤナは、それを聞いた。 ──録音された言葉の数々は、暴力と欲望、支配と軽蔑に満ちていた。 ナヤナが顔を伏せ、低く呟く。
『……なんという、卑しき言葉……』
「隼人……このまま、見て見ぬふりはできないわ」
カレンの声が震えていた。 隼人は、静かに拳を握った。
「……あいつらは、保安騎士を騙ってるんじゃない。 本物だ。 だからこそ、腐ってる。 ……放っておけば、第二、第三のシャーリーが生まれる」
夜風が吹く中、三人はそれぞれに静かに頷いた。 逃げる者としての“理性”はあった。 だが、それよりも優先すべき“信念”が、そこにはあった。
「やるなら、完璧に。 証拠もある。 あとはタイミングと準備だ」
『ええ。 ですが……お願い、隼人、カレン。 農場の方たちが傷つくことだけは、どうか、避けましょう』
「もちろんだ、ナヤナ。 ……俺たちも目立ちたくはない。 上手くやるさ」
夜の空は冴え渡り、星々が静かに瞬いていた。 彼らの決意を見届けるかのように。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
第四話では、農場という一見穏やかな舞台の裏にある「歪み」と、
それに抗おうとする隼人たちの姿を描きました。
一見平和な場所にこそ、見過ごされてきた悪意や腐敗が潜んでいる
──そんな現実味のある構図を、異世界という舞台でもしっかりと描きたかった回です。
今回のエピソードで、シャーリーの抱えていたもの、
そして隼人たちとの間に生まれつつある信頼の“芽”が、
皆さんの中にも少しでも響いていれば幸いです。
次回、ついに戦いの火蓋が切られます。
どうぞ引き続き、お付き合いください。
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ではまた、第五話でお会いしましょう。