表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

2/20

第2話 赤毛の母娘

 日は西へ傾き、空が茜に染まりはじめていた。 隼人は、額に汗を浮かべながらナヤナを背負い、くねくねと続く街道を歩いていた。 カレンはロバのモスロを引きながらその隣を歩く。


『……ごめんなさい……隼人……』


「いいから喋るな。 もうすぐ、何か見えてくるさ」


 ナヤナの体は、火が通ったように熱かった。 杖を持つ手も力が入らず、時折、意識が遠のいている様子だった。


「くそっ……街はまだか……!」


 歯噛みしたそのとき、丘の向こうに──畑のような開けた土地と、木造の柵、小屋や納屋らしき建物が並んでいるのが見えた。 夕暮れの空に細く煙が立ちのぼっている。


「農場だ……!」


 隼人の声に、カレンも頷いた。


「生活の匂いがする……行ってみよう!」


 二人と一頭は、農場の木柵を越え、敷地内に入った──その瞬間。


「止まりなさい!」


 鋭い女の声が、警告のように飛んできた。 納屋の影から姿を現したのは、魔力を帯びた杖を構えた女。 


 赤毛を後ろで束ね、灰色の瞳が鋭く光っている。 整った顔立ちは端正で、年齢は二十代後半ほどか。 旅の疲れも吹き飛ぶほどの美貌だが、ただ美しいというよりも、毅然とした強さを感じさせる。 


 胸元から腰のラインにかけて、農場の粗末な作業服でも隠しきれない豊満な体躯をしている。


「また来たの? 今度は三人? しつこいわね……農場は明け渡さないって言ってるでしょ! これ以上近づくなら、丸焼きにしてあげるわよ!」


 彼女の叫びと同時に、農場の使用人たちが慌てて出てくる。 鍬や斧、古い槍を手に、一行を取り囲んだ。 隼人は咄嗟に声を上げる。


「待ってくれ! 俺たちは──!」


 しかし、杖の先にはすでに魔力が集中している。 このままでは、まずい。 隼人はゆっくりと剣のベルトを外し、地面に落とした。 カレンも鞭と短剣を腰から外し、隣に置く。


「戦う気なんて、毛頭ない……!」


 そして隼人は、両膝をつき──そのまま、地に額をつけた。 ──土下座。 農場の一同がざわつく。  女主人の目も、訝しげに細められる。 そのとき。


『……この農場の人たちは、悪くありません……訳があるみたい』


 ナヤナが、うわごとのように、念話でつぶやいた。 直後、背後の家屋から、ちいさな足音が駆けてくる。


「ママ……この人たち、悪い人じゃないと思う……」


 十歳ほどの少女が、女主人の袖をつかみ、そう囁いた。 彼女も母親と同じ赤毛で、鮮やかな緑の瞳が印象的だった。 


 あどけない顔立ちには、既に母の美貌の片鱗が見えており、愛らしさと聡明さを兼ね備えている。


 女主人──シャーリーは、少女の手にそっと触れ、視線を一行に戻す。 剣も持たず、額を泥に汚して頭を下げる隼人。 消耗しきって気を失いかけた少女、そして敵意もなさそうな黒髪の女。 


 ──みすぼらしい。 とても脅威には思えなかった。 シャーリーは長い息を吐いた。


「……一晩だけよ。 泊めてあげる。 でも、怪しい真似はしないで」


 その言葉に、隼人たちは顔を上げ、深く頭を下げた。


「感謝します。 ……俺たち、旅の冒険者です。 名前は──」


 隼人は一瞬、言葉を探すようにして口を開いた。


「カイト。 彼女はラーナ、そしてこちらがレベッカです」


 偽名だった。 だが、それは三人の中で事前に決めていたものだった。


「わたくし……ラーナと申します。 ご恩、忘れません……」


 ナヤナも、消え入りそうな声で、はっきりとそう告げた。 胸の奥に、ようやく灯った安心がじんわりと広がっていく。 


 もう追われずに済む、もう戦わずに済む──ほんのひとときでもそう思えただけで、心がほぐれていく気がした。 


 だが同時に、隼人に背負われたままの自分が、たまらなく情けなかった。  (また、迷惑をかけてしまった……)


 それでも隼人は何も言わず、ただしっかりと背中を支えてくれている。 その温かさが、今はなによりも痛かった。 


 だからこそ、ナヤナは名乗る声に決意を込めた。 少しでも、この恩に報いたい。  “ラーナ”としてでも、この場にいられるように──と。


  ***


 ナヤナは母屋の一室に運ばれ、柔らかな毛布の敷かれた寝台に寝かされた。 シャーリーは魔力を込めた両手を額に当て、優しく治療と冷却の魔法を流し込む。


「このくらいなら、大丈夫。 熱も、ちゃんと下がるわ」


 隼人は、心底安心したように、深く頭を下げた。


「……本当に、ありがとうございます」


「……ふん、娘が変な顔してたから、仕方なくよ。 ……でも」


 シャーリーは、ちらりと視線を向ける。


「あの“土下座”って仕草、なんなの?」


「あれは……俺たちの国で、最大限の誠意を示すときの礼儀なんです」


「……へえ。 おもしろい文化もあるのね」


 ナヤナが目をうっすらと開き、シャーリーに視線を向けた。


「……あなたが、助けてくださったのですね……ありがとう……ございます……」


「……礼を言うには、まだ早いわよ。 私だって、誰彼かまわず助けるような聖人じゃない」


 そう言いながら、シャーリーは立ち上がる。


「……ただね。 ここのところ、農場に無頼の輩が何度も来てるの。 自称冒険者くずれ、ってとこかしら。 農場の借金がどうとか、やたらと騒ぎ立てて……もしかしたら、あんたたちも同じ連中かと思ったわけ」


「そんな……」


「でも──娘が言うのよ。 “この人たち、目が違う”って。……だから、もう少し様子を見てみようと思っただけ」


 カレンが小さく頷いた。


「それなら……事情はわかりました。 シャーリーさん、もし何かあったら、私たちも手伝います」


 シャーリーは目を伏せる。


「……余計なことはしないで。 もう、誰かに迷惑かけるのは、十分だから」


 ナヤナが、そっと微笑む。


「迷惑ではありません。 ……恩を返したいだけです」


 ***


 その夜。 隼人とカレンは、納屋の一角に設えられた藁の寝床に腰を下ろしていた。 窓の外には星が浮かび、虫の声が静かに響いている。


「なあ、カレン……」


「ん?」


「この農場……何か、変だと思わないか?」


「うん。 たぶん……何かあるね」


「……助けてやりたい。 きっと、俺たちにしかできないこともある」


 隼人は、まっすぐ前を見つめながらそう言った。 カレンは、少しだけ目を細めて、隼人の横顔を見つめる。


「……仕方ないね。 あたしも、シャーリーさんの娘……リラって子、気に入っちゃったし」


 静かに風が吹き、ロバのモスロが、小さく鼻を鳴らした。

ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます!


少しでも楽しんでいただけたなら嬉しいです。

もし「面白い!」と思っていただけたら、評価(☆)をぽちっと押していただけると励みになります。

星は何個でも構いません!(むしろ盛ってもらえると作者が元気になります)


そしてよろしければ、ブックマーク登録もお願いします。

更新時に通知が届くので、続きもすぐ追えます!


今後の展開にもどうぞご期待ください。

感想も大歓迎です!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ