第19話 四影 宰相からの刺客
時を少し巻き戻す──
王国諜報部の最終兵器と呼ばれるホムンクルスの精鋭、通称“影”。
その中でも追跡・潜入・暗殺に特化した特務小隊『四影』が、
王国上層部の命により動き出していた。
彼らが最初に姿を見せたのは、かつて隼人たちが滞在していた農場だった。
人の気配がまばらな早朝、地面に膝をついた一人の男が、
土に染み込んだ痕跡を指でなぞる。
「……魔法火薬の残留反応。 間違いない。 ここにいた」
穏やかに見えるその表情の裏に、鋭利な意志が潜んでいる。
彼こそが“鉤爪”──今回、紳士を装うこととなる男である。
長身で細身。 栗色の髪を後ろに流し、漆黒のコートと白手袋を
身につけた風貌はまさに優雅な執事そのもの。
今回の偽名は『クロード・エルメロイ』。
丁寧で礼儀正しく、どこから見ても一流の上流階級付き従者だ。
「農場主を問い詰めても無駄だろう。 だが──」
彼の隣でふわりとスカートを翻したのは、“鏡”。
年の頃は十四、五。
金髪を二つに結んだ少女は、白と藍色のワンピースに
日よけ帽子を合わせていた。
小さな旅行鞄を手に持ち、仕草や立ち居振る舞いには高貴な気品が漂う。
その偽名は『ミレイユ・ヴァレンティナ』
──王都でも名の知れた商家の令嬢として振る舞う。
鏡は、農場の庭先で遊んでいたリラに近づくと、にっこりと微笑んだ。
「ねえ、あなたの名前は?」
「リラだよ!」
「リラちゃんかぁ。 お人形さん、かわいいね♪」
そう言って、自分のぬいぐるみを取り出し、一緒に遊び始める。
木陰でままごとを始めるふたり。
鏡は巧みに会話の中に質問を織り交ぜていった。
「この間、ここに泊まった旅人さんたちのこと、知ってる?」
「うん、優しいお姉ちゃんと、剣を持ったお兄ちゃんがいたの。
あと、カッコいいお姉ちゃん」
「へぇ、どこに行くって言ってた?」
「うーん……遠くの町、自由の……なんだっけ?」
「自由都市、かな?」
「それそれ!」
鏡は、子供の無邪気な言葉から得られる断片情報を正確に記憶していた。
「クロード、やっぱりここでしたね」
執事は頷き、地図を広げる。
「移動速度と日程からして……ちょうど今、追いつける距離だな」
「じゃあ、あとは──」
「接触して、“こちらから”護衛を頼もう」
***
夕暮れのある街道。
隼人たちが小休止を取ろうとしていた場所に、
石に腰掛けた主従らしき二人がいた。
少女──ミレイユは、つとめて困ったような表情を浮かべて声をかけた。
「……あの、お願いがあります。どうか、護衛をお願いできませんか?」
カレンが即座に警戒するが、クロードが懐から取り出した通行証と身分証──
それは完璧に偽造されたものであり、魔法紋も完全一致していた。
隼人も訝しんだが、断る理由は見つからない。
「自由都市まで、どうしても行かないといけないんです。
道中だけでも、ご一緒させてください」
ナヤナとカレンにも短く相談した結果──受諾。
こうして、四影のうち二人は“護衛対象”として、
堂々と隼人たちの仲間に加わった。
──その夜。
野営地に焚き火の明かりが揺れていた。
パチパチと焚き火が弾ける音が、夜の静寂に溶けていく。
薪の香り。遠くにかすかに聞こえる虫の声。
それらが、不思議と心を落ち着かせてくれる。
隼人は、焚き火の向こうにいる仲間たちを見つめた。
(……不思議だな。ナヤナも、カレンも、ビャッコも)
(最初はただの同行者だった。共犯者みたいなもんだと思ってたのに……)
(今じゃ、こいつらは──“家族”みたいに思える)
ナヤナは隣で、ランプの灯りを頼りに本を読んでいた。
風に揺れる白銀の髪、ページをめくる細い指。
その横顔を見ていると、胸の奥が不思議と温かくなる。
それと同時に、疼くような不安もまた、胸の底から湧いてくる。
(──絶対、ナヤナを失いたくない)
(妹みたいな存在……いや、それ以上かもしれない)
(守りたい。何があっても。もう、誰かを失いたくないんだ)
ふと、ナヤナが気配に気づいたのか視線を上げ、
隼人と目が合う。小さく微笑む。
隼人も無言で微笑み返した。
それだけで、心の迷いがひとつ、すっと消えた気がした。
(たとえ逃げているとしても──
この絆が本物なら、俺は戦える。迷う理由なんて、もうない)
その頃──
焚き火から少し離れた場所で、
ミレイユが湯を沸かしながら鍋の様子を見ていた。
「火加減、これくらいで大丈夫ですよね?」
何気ない仕草でナヤナに訊ね、カレンに野菜を手渡しながら、
まるで昔からいた仲間のように場に馴染んでいる。
クロードもまた、手際よく荷馬車の点検を済ませ、
カレンの警戒輪に組み込まれるように、夜間見張りの交代を申し出ていた。
まるで護衛対象とは思えないほど、自然に振る舞っている。
──それでも。
ナヤナの目が、ふと鋭くなった。
索敵の念波に、わずかな違和感が混じったような気がしたのだ。
だが、その違和感も、ミレイユの言葉に紛れてしまう。
「お兄さんたち、すっごく頼りになりますね……♪」
澄んだ声で、無邪気にそう言う。
焚き火の炎が、その笑顔をほのかに照らしていた。
そのまっすぐな称賛の言葉に、ナヤナは──
ほんの一瞬、背筋に冷たいものが走るのを感じていた。
(……何だろう。 思念の波長が……微妙にズレてる? この子、普通じゃない)
ナヤナが首を傾げる中、木陰でクロードが焚き火の明かりに目を細めて呟いた。
「……近いな。 彼らの“動き”が、もう見えてきた」
それは、ターゲットの能力と行動パターンを把握し、
“どうやって殺すか”のイメージが完成しつつあるという意味だった。
ミレイユが、焚き火を見つめながらかすかに囁く。
「寝首を掻くには、ちょうどいい距離感ね」
──そんな彼らのやり取りを、遠くからじっと見つめるもうひとつの影。
それは、ローブに身を包んだ少女──ザラ。
仮面はすでに無く、代わりにあるのは強く秘められた視線だった。
風に揺れる髪。
静かに胸に手を当てながら、彼女は遠くから隼人の背を見守っていた。
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