第16話 蟷螂 仮面の下
夜明け前、野営地の空気はひどく静かだった。
戦闘が終わった後の名残か、それとも何かの予感か
──そんな張り詰めた沈黙の中で、捕縛された山賊や猟犬たちが
予備の馬車に詰め込まれていた。
彼らは手枷・足枷をされ、次の町で保安騎士に引き渡されることとなっていた。
ジョセ曰く、猟犬たちは冒険者ライセンスの剥奪と、実刑はほぼ確定とのことだった。
その中で、ひとり気になる存在がいた。
仮面をつけたまま、ぐったりと気を失っている精霊使い──蟷螂。
ローブの中から覗くその仮面は、異様な禍々しさを放っていた。
「隼人……このマスク、ちょっとヤバいかも」
カレンが眉をひそめる。
「……どういうことだ?」
「禁忌系の呪具だと思う。 強制命令系の……操られてた可能性がある。
たぶん黒蜥蜴か梟に」
「なら、外してやらないとな」
「でもこの手の呪具って、鍵がないと解除できないんだよ。
無理やり外そうとしたら、最悪、自死することも……」
「鍵……」
そのとき、ナヤナが目を閉じて集中した。
『……あった。 梟のシャツの襟の裏側に、小さな鍵が見えます』
隼人は慎重に鍵を回し、仮面のロックを外す。
パチン──小さな音とともに、仮面が静かに外れた。
現れたのは、ナヤナと同じくらいの年頃の少女だった。
切れ長の瞳、すっと通った鼻筋、やや厚めの唇──整った顔立ちの少女。
だが、どこか影があり、脆さを感じさせた。
「ヒュー……美人だね」
カレンがぽつりと呟く。
その声を聞いて、ナヤナはふと視線をそらした。
無表情のまま、けれど胸の奥で何かがわずかにざわつく。
(……可愛い子……)
(私と同じくらいの歳で、同じように、可哀そうな境遇……)
(……きっと、隼人は……)
思考の続きを、彼女は敢えて口にもしなかった。
嫉妬──そう名付けるにはあまりに幼く、けれど確かに、心が騒いでいた。
隼人が彼女を見つめる横顔を、ナヤナはそっと見上げる。
浮かぶ言葉はない。 ただ、少しだけ彼に近づいた。
「話は、目が覚めてからにしよう。 今は……この後のことを考えないと」
「そうだな」
この件で、もう王国からの追っ手を撒くのは困難になる。
「カレン、今夜のうちに隊商を離れて別街道を進もう」
「了解。 さすがにここまでの騒ぎじゃ、もう一緒には動けないね」
「団長さんにお礼……言いたかったけど」
ビャッコがしゅんとした顔で呟く。
***
翌朝。
空がまだ白む前、四人はこっそりと野営地を抜け出そうとする。
だが、その前に──
「もう行くのか?」
後方から、ジョセの声が響いた。
「団長……! 気づいてたんですか?」
「女の勘を舐めるなっての。 最初から、なんか怪しいとは思ってたさ」
カレンが顔をしかめる。
「……私たち、捕まえるつもり?」
ナヤナが悲しげにビャッコを抱き寄せる。
だが、ジョセはゆっくりと首を横に振った。
「訳ありなんだろ? 人を見る目はあるつもりだ」
そう言ってジョセは手綱を引き、荷物を積んだ馬を一頭連れてくる。
「カイト、これを持っていけ。 ここまでの報酬と、数日分の食糧だ」
「団長……」
「お前たちは“別任務のために先行した”ってことにしてある。
後のことは任せとけ」
「……恩に着る」
「気にすんな。 さ、早く行け」
「……はい!」
「ビャッコ!」
ジョセが少し声を張る。
「次に会うときは、立派な剣士になってろよ。 あたいが雇ってやるからな」
「うん! 絶対、また会いに行くよ!」
カレンが隼人を急かす。
「カイト(隼人)! 夜明け前に森を抜けないと!」
「ああ……行こう」
ナヤナとカレン、そして隼人は深々とお辞儀をし、
背を向けて森の中へと消えていった。
ビャッコだけが、ぶんぶんと手を振っていた。
ジョセは彼らの背を一度も振り返らず、静かに野営地の方へ戻っていった。
***
山賊どもを縛りつけた馬車から、一人だけ、ひそかに姿を消した者がいた。
それは、“蟷螂”と呼ばれていた精霊使い──だった。
目を覚ました彼女は、かすかな頭痛と、肩口の鈍い痛みに眉を寄せた。
だが、それよりも──頬に触れる風の感触が、どこか新鮮だった。
(……仮面が、ない)
その事実に気づいた瞬間、彼女の胸の奥で、何かが静かに弾けた。
意識がぼんやりとしていたあの夜。
仮面の呪いを解く鍵が、確かに彼──風間隼人の手の中にあった。
そして彼は、何も言わず、ただそっと仮面を外してくれた。
拒絶もなく、呪いに怯えることもなく。
まるで、長く絡まった糸を解きほぐすように、慎重に、優しく。
(……あの人の手は、温かかった)
“私”を縛りつけていた仮面。 梟の命令に逆らえなかった、あの呪具。
あの呪いが解かれたとき、自分の中で初めて“恐怖”が消えたのだと、
今さらながら気づいた。
あの瞬間──私は、“選ばれた”。
命令でも契約でもない。 ただ、あの人の意志で。
(……追いかけたい。あの人の背中を)
痛む身体を引きずるように、ゆっくりと立ち上がる。
足元はふらついているのに、不思議と心は軽かった。
まだお礼も言えていない。
まだ何一つ、返せていない。
それでも──
風のように静かに、彼女は森の中へと消えていった。
その瞳には、はっきりとした意志が宿っていた。
それは、誰の指図でもない。
彼女自身の足で、選んだ自由だった。
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