第10話 夜明け前の決意
宿の一室。
夜明け前の静寂が、薄青く差し込む窓辺に漂っていた。
その中で、隼人は剣の手入れをしていた。
刃はまだ切れ味を保っているが、
念のため砥石で整えておく──それが彼の習慣だった。
ふと、背後から声がした。
「……おいら、強くなりたい」
小さな声。
だが、確かな意思の宿る声だった。
振り返ると、ビャッコが毛布を胸まで引き寄せたまま、
真剣な顔で隼人を見つめていた。
「……どうしてだ?」
「……守れるようになりたい。 いろんなもんを。
悪い奴らに……負けないように」
隼人はその瞳を見つめた。 まっすぐな目だった。
どこかで、自分が同じような目をしていた記憶が蘇る。
──ヒーローに憧れたあの頃。
誰かを守れる強さに、純粋に手を伸ばしていた少年時代。
「……ビャッコ。 行くところはあるのか?」
少年は黙って首を横に振った。
「家も村も、もう……戻れない。 どこに帰ればいいか、わからない」
しばしの沈黙の後、隼人は口を開いた。
「俺たちは、お尋ね者だ。 王国の──いや、世界の敵になってるかもしれない」
ビャッコは少し驚いたような顔をしたが、怖じ気づく気配はなかった。
「……それでも、弟子にしてほしい。 おいら、隼人についていきたい!」
「……話、聞いてたか?」
「聞いてたよ。 全部。 でも、だからこそ、おいらはついていきたいんだ」
少年の声は震えていなかった。 澄んでいた。
「……なあ、今日から“師匠”って呼んでいい?」
隼人は少し面食らったように眉を上げたが、すぐに小さく笑ってうなずいた。
ナヤナがゆっくりと立ち上がり、寝台から歩み寄る。
『……この子の魂には、私も煌めきを感じます。
きっと、この出会いには意味がある』
カレンが呆れたように笑った。
「ふむふむ……あたしも薄々、そうなるとは思ってたけどね。
子ども連れて逃亡中って、ある意味いいカモフラージュになりそうだし?」
「は?」
「だってさ、追われてる連中が子連れで旅するなんて、誰が思う?
最悪の場合は“騙されてました”って言わせれば、ビャッコにはお咎めも少ない」
「お前……現実的すぎるだろ」
「でも、いい案でしょう?」
隼人は吹き出した。
肩をすくめて言う。
「じゃあ、決まりだな」
「やった! おいら、きっと役に立つよ!」
「まずは朝飯だな。 腹が減っては戦はできぬ、ってのは地球の格言だ」
一同が笑った。
ビャッコも、それにつられてくすぐったそうに笑った。
***
数日後──
街の朝は騒がしく、賑わっていた。
宿の裏庭では、隼人とビャッコが木剣を持って向かい合っていた。
隼人は基本の構えを見せながら、少年に声をかける。
「まずは力を抜け。 体を固めるな。 振るよりも、構えることに慣れろ」
「はいっ、師匠!」
少年の額には汗がにじむが、表情には充実感が浮かんでいた。
隼人は昼間は日雇い仕事で汗を流し、
早朝はこうしてビャッコに剣術の基礎を教えていた。
一方、ビャッコは掃除・洗濯・食事の準備など、
家事を手伝いながらも修行に励んでいた。
初めはぎこちなかったが、飲み込みは早い。
そして、街角には“占い師ラーナ”の姿があった。
「……あなたには今、仕事よりも……“癒し”が必要みたいですね」
「な、なんでわかるんですか……!?」
「ふふ、当たったら、小銭でいいですよ」
──ナヤナは、本当の意味で占ってはいなかった。
彼女の念話能力が、相手の感情の流れや思考の
一部を“読む”ことを可能にしていた。
苦しみ、悩み、不安──その波長を読み取って、
先回りした“答え”を渡しているにすぎない。
だが、客たちは驚きと感謝で財布の紐を緩め、祝儀を残していく。
「……めっちゃ稼ぐなぁ……」
隼人が感心して呟いたその声が、ナヤナの頭にまで届いた。
(……へへっ。褒められた……)
ナヤナはローブの中で小さく笑った。
表情には出さないが、心の中はほんの少し、温かくなっていた。
(……隼人、朝からずっと働いて、ビャッコにも剣を教えて……すごいなぁ)
(私、あんなふうにはできない。でも……)
(──この暮らし、悪くないな。こうやって、みんな一緒に……)
その瞬間、ナヤナの頬が少しだけ赤らんだ。
(……なんでも、ない)
再び無表情に戻りながらも、どこか顔の筋肉が緩むのを抑えきれなかった。
***
ナヤナは夢を見た。 草原の夜。
満月の下で、ひとりの青年が木剣を構えていた。
──ビャッコ。
あの無垢な少年は、大人になっていた。
だが、面影はそのまま。
褐色の肌、黒髪、そして茶色の瞳に宿る光。
目の前には、数人の敵が白刃をきらめかせ、彼を囲んでいた。
だが、ビャッコは恐れず、ひらりと木剣を振るう。
一閃。
まばたきする間もない速さで、一人が昏倒した。
また一閃、また一閃──敵が次々と倒れていく。
「つ、強い……! あれが、“剣聖”かっ……!?」
誰かの声が響く。 ──ナヤナは息を呑んだ。
『……ビャッコ……!』
目を覚ましたナヤナは、そっと隣に目を向けた。
木剣を抱えたまま眠る少年。
その顔には、穏やかな寝息と、微かな笑み。
彼女はそっと、少年の頬に手を添えた。
『……あなたは、途方もなく強くなるのね。 世界中が認めるほどに』
夜風がカーテンを揺らし、夢の残滓をさらっていった。
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