9.どこかの星の記憶
カルミナス――それは、美と格式を重んじる星。
この星では、五大勢力と呼ばれる名門貴族が全土を統治し、芸術と権威が人々の生活を形作っている。
そのうちの一つ、炎を象徴するヴァルディス家の赤髪の青年が、いま星間を巡る「遊学」の旅に出ていた。
「坊ちゃん、お待ちを! その星は――」
「だから、じぃ。その呼び方、もうやめてって言ってるじゃないか」
声を荒げるでもなく、呆れたような溜息混じりに言う青年の髪は、燃えるように鮮やかな赤。黒い瞳の奥には赤い輝きが宿り、まるでスピネルのように角度によってきらめきを変えていた。
年のころは19歳ほどだろうか。どこか鼻につく態度のわりに、幼さの残る顔立ちをしている。
その佇まいには、貴族社会特有の気品と矜持がにじんでいた。整えられた立ち居振る舞いは、例え見知らぬ星の地を歩こうとも、周囲に『育ちの良さ』をいやでも感じさせるものだった。
「僕だって一人で行動できる。遊学の目的は、カルミナス外の世界を自分の目で確かめることなんだから」
「しかしお父君からは――」
「もう、聞こえないフリするからね!」
青年は半ば強引に老執事の制止を振り切ると、手首のマップデバイスを操作し、次の目的地を確認する。
ちょうど、宙を滑る巡回バスが近づいていた。
(次の停留所は、戦争中の領域……ガイドは止めろって言ってたけど……)
画面に浮かぶ警告マークを無視し、青年は意気揚々と乗り込んだ。
『――間もなく危険エリアに入ります。降車を希望される方は――』
車内アナウンスが流れた瞬間、彼は迷いなく手を挙げる。
他の乗客が思わず目をやるが、誰も止めはしない。彼はそれを、『称賛のまなざし』とすら思い込んでいた。
(ふん、凡俗どもが。僕のような高貴なる存在には、戦場すらただの観光地さ)
赤髪の青年――ルビオン=ヴァルディスは、自らの『特別さ』を疑うことなく、危険地帯へと足を踏み入れた。
◆
降車場に立つと、空気が一変していた。
乾いた砂の匂いと遠くから響く砲撃音。先ほどまでの文明的なバスの空間が嘘のようだ。
(ここが戦争の地……)
興奮と不安がないまぜになったまま、ルビオンは足を進める。舗装の途切れた道を越え、瓦礫の並ぶ街の跡地へと――。
「……この先は立ち入り禁止区域だ。一般人は戻るんだな」
低い声が背後から飛んだ。振り返ると、一人の戦闘服姿の男が立っていた。銃を肩に担ぎ、こちらを警戒する目で見ている。
ルビオンは不敵に笑った。
「僕は高貴なるカルミナスの者だ。このあたりの軍事情勢を学びに来ただけだよ。平民にとやかく言われる筋合いは――」
「……は? カルミナス? ああ、あの貴族社会の『坊っちゃん』か。ふん、こんな戦場まで何を見学に来たってんだ」
兵士の顔がゆがむ。それは軽蔑の笑みだ。
「貴族気取りで死にに来るなんて、笑えるなァ」
言うなり、兵士はルビオンの胸元に銃口を突きつけた。
目を見開くルビオン。
さすがに言葉が出なかった。体が震える。息が詰まる。――『死』という言葉が、鮮明に脳内を横切った。
(……まさか。本当に、殺される……?)
その時だった。
――バン、と乾いた音がしたのは、兵士の横に何かが落ちた音か、それとも地面を蹴る足音か。
ひどく無遠慮な足音に、ルビオンの耳がぴくりと動いた。訓練された者だけが持つ、重心のぶれない踏み込みだった。
「――その銃を下ろせ」
聞き覚えのない、しかしどこか胸に響く低い声。
兵士が驚いて視線を動かすと、そこに一人の男が立っていた。
白金の髪が風に揺れている。
冷たい灰色の瞳はまっすぐ兵士を射抜き、構えた銃の先よりも鋭かった。
「そいつを撃ちたいなら、まずは俺を殺してからにしろ」
兵士が戸惑い、銃を下ろしかける。「な、なんだお前……」と言いかけるが、色あせた部隊章と階級を示す胸のバッジを見て、息を飲んだ。
――『ストライカー』だと、察したのかもしれない。
男は、新たな言葉を発することなく、微動だもにしない。
その圧力に完全に押された兵士は「チッ……今回は見逃してやる」と吐き捨て、背を向けて逃げるようにして去っていった。
「……、……」
残されたルビオンは、ようやく呼吸を取り戻す。
地面にへたり込んでいたところを、男が無言で手を差し出してくれた。
「……お遊び気分で戦地に入るな。ここはお子様の来る場所じゃない」
その言葉に、ルビオンは思わず男を見上げた。
この人が――命を救ってくれた。
この人が――戦場に立ってもなお、揺るがない強さを持っていた。
(この人が……僕の、運命の人だ)
少年のような目で、ルビオンはその背中を見つめていた。
同時に、胸の奥がきしんだ。
(こんなにも、無力だった自分が――恥ずかしい)
この時、初めて知った。『高貴さ』だけでは、この世界では何も守れないことを。
――あれから数年。
ルビオン=ヴァルディスは、再び『運命の人』に会うため、正式に研修員として宇宙遺物管理機構の門を叩くのだった。