22.揺れる針の先に
セレクシオンの上層会議室。
この場所に足を踏み入れるのは、ラリにとって初めてのことだった。
銀白の壁に囲まれた広い室内には、上層部の人間たちがすでに集まりつつあり、各部署のエンブレムを背負った制服が並ぶ様子は、どこか冷たい圧力のように感じられた。
「……緊張してるか?」
隣を歩くディアが、ラリの歩幅に合わせて問いかけてくる。
ラリは小さく笑って、肩をすくめた。
「してるよ。正直……ああいう場所は苦手だ」
「だろうな。俺も好きじゃない。だが……お前は堂々としてりゃいい。何か言われても、全部あいつらの勝手な都合だ」
その言葉に救われる思いで、ラリは頷いた。
ラリとディアが室内の中心に設置された椅子に座ると、会議が始まった。
冒頭でまずは、今回の任務の記録映像が再生される。
コアリスの中心部近く、暴走しかけた遺物を前にラリが両手を差し出し、静かに調和の力を発動させる――。
それを目の当たりにした上層の一人が、画面が止まるや否や、低く呟いた。
「……過剰適応だな。これはもう『共鳴』の枠を越えている……」
「これが自然な作用によるものと?」
別の者がそう問うと、技術局の高官が頷いた。
「物理的な接触のみならず、内部構造にまで波長が入り込んでいる。遺物との同調率は計測限界値を超えていた。これは『意図的に引き出している』と見て間違いない」
「つまり、彼は――すべてコントロール出来ると?」
数人がざわつく中、ラリは何も言わず、ただ静かにその声を受け止めていた。
それが、どこか懐かしい感覚だったからだ。誰かに、同じように言われた記憶がある気がした。
「……奇妙だな」
重々しい声で言葉を落としたのは、中央に座る老幹部の男だった。
報告書のデータを手元のホログラムでめくりながら、ラリを見据える。
「この者に関する記録は、直近までは凡庸そのものだった。適性も中位、影響値も平均。それが突如として、これだ」
数人が画面に顔を寄せる。
その中の一人が、わずかに皮肉を含ませたように言った。
「ラリ=アーク。君の力を、なぜ今まで『見逃されて』いたのか、疑問には思わないか?」
「……俺は、やるべきことをやってきただけです。だから……その程度のものかと」
問いかけに、ラリは短く返事をした。
たったそれだけど、再び沈黙が落ちる。
それから数秒後、ある男――任務監督官としてこの場に出席していた、ラリの上司でもある彼が、小さく溜息をついてから手を挙げた。
「報告を誇張すれば、研究対象にされる。抑えすぎれば、任務に支障が出る。……私は、判断に迷っていた。それだけです」
「ふん。迷ったにしては、見事な隠蔽だな」
「隠蔽とは、聞き捨てならないな。――今の今までラリ=アークを裏では危険視していたあなた達とは、訳が違うのですよ」
「何を、うだつの上がらぬ三下風情が……っ!」
誰かが鼻を鳴らしながら、そう吐き捨てる。
その瞬間、隣でディアが椅子を軋ませて立ち上がった。
「いい加減にしろよ。あんたらは、何かあるたびに『想定外』って言ってこっちに責任押し付けてばかりじゃねぇか」
「君に発言を許した覚えはない。これは――、っ……」
反論しかけた者を、ディアの眼光が静かに制す。
部外者が、と言いたかったのだろうが、その圧には誰にも口を挟めなかった。
「あんたらが疑うのも、監視したいのも勝手だ。だがな、ラリは今まで何ひとつ他人を傷つけちゃいないし、任務通りの行動してきた。むしろ、遺物の暴走を止めて被害を抑え、調和させた。それは称されるべきで、こんな風に尋問を受ける謂れもない。――それだってのに、これ以上何を望むんだ?」
上層部の誰もが言葉に詰まり、会場が静まりかえる。
少しのざわめきが起きた後、『静粛に』と言う言葉は誰かから飛んだ。
「――では、ラリ=アークの今後の処遇については?」
上層幹部の一人が、データを見ながら口を開いた。
あくまでも、事務的なことを伝えるつもりらしい。
「現時点では、即時の拘束や隔離の必要はないと判断する。だが、今後の任務には監視官を同伴させる。加えて、アクアリスでの次任務において、さらなるデータ収集を行う」
「監視官……?」
俯きがちであったラリが、反射的に声をもらした。
そこで幹部を見上げて、少しだけ睨む。
「その『監視』って、結局は俺を疑ってるってことじゃないんですか……?」
そう問いかけてみても、返ってきたのはあくまで冷静な口調だった。
「――安全のためだ。我々は君を疑っているのではない。君の力の特性を理解しきれていない、それだけのことだ」
(……本当に?)
ラリは再び俯き、口を閉じた。
黙っていれば、波風は立たない。元々こういう場は苦手だ。このままやり過ごせるならば、それでもいいのかもしれない。
そうは思ったのだが、どうにもやりきれない気持ちにもなる。
「………」
視線を落としたラリの肩に、隣からそっとディアの手が触れた。
それは何かを言うわけでもなく、ただ、そこにあるだけの確かな重みだった。
「――あんたらが今見てるのは『ラリの未知数の能力』だけであって、『ラリ=アーク』本人じゃない」
「!」
ディアのその言葉に、ラリは微かに瞠目した。
「あんたらがこの先も本人の尊厳を気に掛けないってのなら、俺はこの任務を降りる。支部に戻って見てきたことをペラペラ喋るかもしれない……それでもいいのか?」
「ディア……」
彼の言葉に、幹部たちは眉根を寄せた。ディア=ナイトは思っていた以上に厄介な人間だと、誰もが思っただろう。
ラリが、ゆっくりと顔を上げた。
ディアはその視線を受け止め、短く頷くだけだった。彼はわざと煽りの言葉を選び、上層部へと揺さぶりをかけたのだと感じて、表情を揺らがせた。
――やがて、議長席の老幹部が椅子にもたれ、溜息まじりに呟く。
「……やはり『ナイト』が付いている以上、下手な処遇は出来んな。良かろう、今回はそのまま任務継続とする。だが、報告は逐次行ってもらう。よいな?」
「了解しました」
ディアが即答する。
その声を聞きながら、ラリは胸の奥に残っていた微かな痛みを、そっと押し沈めた。
(……さすが元軍人……こうした場の空気を読んだり乱したりするのも、きっと大したことじゃないんだろうな……)
会議終了後、二人はセレクシオンの中層区画を歩いていた。
人通りもまばらな通路の途中で、ラリがぽつりと呟く。
「ありがとう、ディア。……あの場で一人だったら、きっと何も言えなかったと思う」
「気にすんな。ああいうのは慣れてる」
「……心強かったよ。昔は上層の言葉なんて全然響いてこなかったのに、今日はちょっと動揺しちゃったから」
「それだけお前の心が成長したって事じゃないのか? 一人がいい……って思ってた時も、お前は感情を無意識に飲み込んでただけだと思うぜ」
ディアのそんな言葉を聞いて、ラリは自嘲をする。
確かに出会った頃は、もっと他人を突き放していた。『面倒』という言葉を仮面に、ラリはすべての物事から逃げていたのだ。
「……ねぇ、ディア。次の任務、アクアリスなんだよね」
「ああ。……お前の生まれた星、だな」
ディアの返事に、ラリはゆっくりと頷いた。胸の奥に、微かな波が生まれる。
それは、不安、期待、恐れ――それでも、もう目を背けるつもりはない。
「俺、行くよ。……今度こそ、向き合うためにも」
「……そうか。お前が踏み込むなら、俺も後ろには下がらないさ」
彼らはそこで笑い合い、互いの拳を軽く合わせた。ディアが軍人時代からやっている仕草らしいが、ラリにもそれが通じたようだ。
そして、彼らの背後で会議に同席していたある者が、別の記録端末にアクセスする姿があった。
通信ログに刻まれた、ある暗号コード――『Z』に繋がる線が、ついにセレクシオン内部でも密やかに動き出していた。
三章・終




