20.夜明けを待ちながら
コアリスの乾いた大地が、ゆっくりと遠ざかっていった。
小型船は既に成層圏を抜け、宇宙への帰路へと進んでいる。
ラリは操縦席横のサブシートに体を預け、静かに目を閉じた。疲労感もにじみ出ており、このまま眠ってしまいたいとさえ思っていた。
「…………」
回収した遺物は、変わらず安定している。波長は落ち着き、かすかな脈動だけが、今もサイバーボックスを通じて指先に伝わってきた。
(……結局、あのとき……)
意識は緩慢になりながらも、ラリはあの歪みかけた光景を思い出していた。
あの遺物は、壊れかけていた。
拒絶と軋みの果てに、それでも誰かに救われることを望んでいた。
そして、自分は――。
(俺は、あれを……癒そうとした……?)
正確には、わからない。だが、結果的にはそうなったのだろう。自分の持ち合わせる『調和』と『癒し』は、こういう場合にしか使えないことは彼自身も知っているし、それ以上でも以下でもないからだ。
あの瞬間、ただ自然に手を伸ばしただけだった。
誰に教わったわけでもない。ただ、恐れるより先に、傷ついたものへと触れようとした。それだけだ。
やってきたことは今まで通り……だが、一人きりでは出来なかったことでもある。
(……そもそも、なんで俺が……この力を使えるんだろう……)
うまく言葉にはならない。
だが、確かに胸の奥に小さな核のようなものが生まれているのを、ラリは感じていた。
「……眠れないのか?」
低い声が、隣から落ちた。
ラリが目を開けると、操縦席に座っていたディアがちらりとこちらに視線を寄越していた。
彼の手元では自動航行プログラムが作動しており、特別な操縦は必要ない。
それでも、目は真剣だった。
「……なんか、いろいろと考えちゃって」
ラリは正直に答えた。
ディアはふっと小さく息を吐くと、視線を前に戻しながら静かに続ける。
「お前は、よくやったさ」
ラリは驚いて、わずかに目を見開いた。
ディアがこんな言葉を口にするのは、珍しい。
「実と言うとな、あの時……お前だけじゃなかった。俺も――少し、引きずられてた」
「……え?」
ディアは短く間を置いてから、そう続ける。
ラリの意識が混濁していたあの時、ディアも似たような状況に陥っていたという事だ。
「あの瞬間、俺にも――見えた。自分の過去が、な」
「…………」
ラリは黙ったで続きを待った。
ディアが自分からそんなことを話すのは、初めてだからだ。
「軍人だった頃、守りきれなかった奴らがいた。助けようとして、間に合わなかった命も……まぁ、戦場でのことだからな。迷いは許されないし、だからと言って決して見捨てたわけじゃない。それでも――結果的には、救えなかった」
乾いた宇宙の空気の中で、ディアの声は妙に重たく、遠かった。
振り返るつもりなどなかったはずの記憶が蘇る。
それが、あの歪んだ遺物の暴走とともに、彼の心にも影を落としたのだろう。
「だから、一瞬だけ躊躇ったんだ。お前があの場で崩れたら――また、同じ後悔を繰り返すんじゃないかってな」
「……ディア」
ディアはわずかに唇を歪めて、浅く笑う。
それは自嘲だったのかもしれない。
「だが……お前は、手を伸ばした」
ラリは何も言えずに、ただ聞いていた。
あの時は、必死過ぎて自分がどのような行動を起こしていたのかは、わからない。
ただ、夢のようなあの光景の中、腕を伸ばしたことだけはハッキリと憶えている。
「それを見て、ようやく俺も……止まってるわけにはいかないって、思えたんだよな」
淡々とした口調だったが、そこに込められたものは重かった。
(ディアも、戦ってたんだ……)
それを思った瞬間、胸の奥がじわりと温かくなった。
自分だけではなかった。
あの場で、自分もディアも、それぞれの過去と向き合っていたのだ。
「……ありがとう、ディア」
ぽつりと、ラリは言った。
ディアはそれには応えず、ただ前方を見据えたままだった。
だが、その手がごく自然に――操縦席から、ラリの方へと伸びてきた。
ラリはそれを見て、静かにその手を握る。
無理に強くも弱くもない。それはただ、確かな握手だった。
(……俺は、ひとりじゃない。ずっと一人でいいなんて思ってたけど、そうじゃないんだな……)
そんな実感が、静かに胸に染み込んでいく。
それからしばらく、二人は何も言わずにいた。
航行を続ける小型船のエンジン音だけが、静かに響いてくる。その音すらも、どこか心地よいものに聞こえた。
しばらく黙っていたディアが、計器を確認しつつ再び口を開く。
「さて――あと5分で『亜空間航行』だ。セレクシオンまでは……30分くらいか」
「……うん」
ラリは頷き、再び前を向いた。
セレクシオン――彼らが戻る場所。
だが、今までと違うのは、ただ帰還するだけではないということだ。
あの歪んだ遺物のように、宇宙にはまだ知らない『異常』が存在する。
そして、それに立ち向かう力が今、自分たちにも宿り始めているのだと、自覚した。
(――大丈夫)
短くも、けれど確かな予感だった。
窓の向こうには、点のように小さな宇宙ステーションの光が、かすかに瞬いている。
『まもなく、亜空間航行を開始します――』
いつも通りのナビゲーションの声が、少しだけ遠くに聞こえるような気がした。
ラリもディアも座っている位置をしっかりと確認してから、高速移動へと備える。
――その先に待つものを、まだ誰も知らないまま――彼らは『家路』へと進んでいくのだった。




