13.祈るように
霧の中、二つに分かれた光が静かに揺れていた。まるで、互いの存在を確かめ合うように。
だが、触れられず近づけず、ひとつになることも叶わずに――。
ラリはアメリアと向かい合いながら、そっと片手を持ち上げた。その動きは急かすようなものではなく、ただ水面を撫でるように静かで慎重で、優しかった。
「……始めるよ」
ラリの言葉に、アメリアは小さく頷いた。
測定器の画面には、同じ反応値を示す二つの光源。けれどそれは、どこか不安定で傷ついた心音のように震えている。
ラリはもう片方の手も宙に浮かせて、両手を前に出した。それからまるで祈るように、そっと掌を向かい合わせる。
目を閉じると、周囲の音が遠ざかっていった。霧の湿り気に微細な粒子、わずかに漂う光の香り――すべてが、自分の内側に染み込んでいくような感覚だ。
アメリアのように遺物の『声』を聴くことは出来ないが、ラリはその分存在そのものに精神面から寄り添うことが出来る。
「……大丈夫だよ、帰ろう」
小さく、誰にも聞こえないほどの声で囁く。その言葉は命令でも命令語でもなく、ただの願いだった。
そして、掌と掌の間に浮かぶようにして、二つの光が静かに現れる。互いを探すように震えていたその光が、ラリの指先の『間』で、ゆっくりと引き寄せられていく。水に溶け合うように、ぶつかることもせず、吸い寄せられるように――そうして、光は一つとなった。
「ふぅ……」
ラリはそっと目を開けた。
その瞬間、二つの光が――まるで引き寄せられるように――ゆっくりと重なり合っていく。
衝撃も音もない。ただ静かに、自然に。深く息を吸い込むように、二つの記憶がひとつになっていくのを感じる。
それは、最初からそうあるべきだったかのように、ぴたりと噛み合っていた。光は直後に一度だけ、淡い蒼色に染まった。
それは怒りや痛みを包み込むような、穏やかな色だ。
まるで、すべてを受け入れて沈める水のように――それは、ラリ自身の色でもあった。
「……うまく、いった?」
アメリアが囁くように尋ねてきた。
それにラリは小さく頷きつつ、彼女へと視線を戻した。光はもう脈動せずに、ただ静かに『在る』だけだ。
「もう、大丈夫。きっと、戻れたよ」
そう言って手を下ろすと、そこには整った形になった遺物の核が、優しく脈を打っていた。どこか穏やかな『音』が聴こえる気がして、同じ音がアメリアにも届いていたのか、彼女の表情がふっと和らぐ。
ラリは静かに自分に支給されているサイバーボックスを開いて、遺物をその中へと収めた。かすかに光が揺れて抵抗する様子もなく、ただ素直に彼の手に委ねられていた。
「すごいわ、ラリ。わたしの時も、こんな感じだったの……?」
アメリアがぽつりと呟いた。自分が発見されたときのことを、うっすらと思い出しているのかもしれない。
その数秒後、少し後方――霧の向こうから、ディアが姿を現した。少し前からラリの調和と回収を見届けていたのか、簡潔な賞賛の言葉を送る。
「よくやったな」
「うん。……たぶん、これで元に戻れたと思う」
ディアは「そうか」と繋げながら、慎重に足元の反応を確かめつつラリの隣に立った。
それが『自然』であるかのような行動には、傍にいたアメリアも思わず瞬きをしてしまうほどだった。
「さっきは、危険な揺れだった。お前の力がなかったら、回収どころか――」
その言葉の先を続ける前に、さらに霧を割って別の足音が近づいてきた。慌てたような小走りの、けれど滑り気味なリズムだ。
視線をやらずともわかってしまう、『研修員』のものだ。
「……終わった、んですね」
遅れて現れたルビオンが、目の前の光景を見てぽつりと呟いた。その声は小さく、張りもなかった。
ラリは返事をせず、ただ遺物を収めたサイバーボックスを見つめたまま首を縦に振った。アメリアはまだ彼を警戒したままなので、当然として声を掛けない。
ただ静かに、気まずい空気がその場を包んでいた。
「……あの。さっきは、すみませんでした」
ルビオンがぽつりと呟く。誰に向けた言葉かは不明瞭だったが、誰もそれを問い返さない。その沈黙こそが、彼の言葉に対する答えでもあった。
沈黙が落ちたままの空気の中で、ラリが何かに気づいてふと顔を上げる。
「ん……?」
彼の目が、霧の向こう――遺物のあった場所とは別方向に向いた。
何かを見たような気がしたのだが、何も見えない。
「どうした」
「いや……気のせいかもしれないけど……」
ディアが即座に反応して、声をかけた。するとアメリアも彼を見上げて服の端を静かに握る。
ラリはさらに目を細めて先を見たが、それ以上は探れなったようだ。
「……やっぱり、気のせいだったのかも。遺物も回収した後なのに、何か別の……微かに残る『波長』みたいなものを感じたんだ。音じゃないけど、残響のような……」
アメリアがその言葉に頷いた。当然として、彼女も気づいていたのだろう。
「うん、少しだけ違う音が聞こえたよ。さっきまではなかったのに……」
その場に再び、静かな緊張が走る。
ディアは周囲を見回し警戒の視線を霧の奥へと送ったが、その後は特に反応はなく、静まり返っている。
「……今はこれ以上の深追いは避けよう。とりあえずここの座標は記録しておく。帰還後に本部で再検証だな」
「そうだね……」
ラリは素直にそう頷いた。
アメリアはまだ気になる様子で周囲を見ていたが、黙って測定器をしまい込む。立体マップと同じ構想なので、電源を落とせばただのIDカードになるのだ。
「さて、船はすぐに起動可能だ。セレクシオンへ戻るぞ」
ディアの言葉に、三人はそれぞれ静かに反応する。
「……了解です」
ルビオンがそう返したときの声は、さっきよりもさらに小さかった。
うつむいたまま、誰とも目を合わせずに歩き出すその背には、さっきまでの自信は影も形もなかった。
自分が何をし損ねたのか、理解している。だが、それをどう埋めればいいのか――今はまだ、わからないようだ。
霧の星に誰の言葉も残さないまま、四人は船へと向かっていった。




