新たな淑女と淫婦の娘
「彼女は私の婚約者でね。準君主一族としてこのエリアに止める権利があるんですよ」
「そうでしたのね。でも」
ちら、と少女が私を上から下まで、品定めするように見る。
学園の規定で、ドレスは「身分にあったもの。華美でありすぎないもの。淡い色の昼の礼装」と決められている。
ベアトリスが着ている水色のドレスは、侍女達が悩んでいたのとは別に私のセンスで選ばせてもらったから――なんというか侍女達が選んでいたドレスは生地からして高そうで、繊細な刺繍やレースがたっぷりとあって、正直怖かったのだ――多分、爵位からすると少し見劣りするのだろう。
少女の若草色のドレスは、やはり繊細な刺繍とさり気ないレースが上品で、オーガンジーの飾りで華をもたせつつも華美すぎない。
ひと目見て上質だと分かるドレスで、私がなんとか着られそうだと思って選んだ一番質素なドレスとは大違いなのだ。
「随分と……大人しいドレスを着てらっしゃるのね。本当に王族の婚約者ですの? 侍女達は何をしているのかしら」
途端に、恥ずかしさと申し訳なさで顔が赤くなる。
私が選んだドレスのせいで、ベアトリスの侍女達の評価が下がってしまった。
隣にいるヴィセンテとの釣り合いも取れていないのだと、頭の中の冷静な部分が訴えてくるよう。
やはり上質な衣装に身を包んだヴィセンテと私では、婚約者同士と言うよりは主人と侍女の方が正しく見えるだろう。
「私の婚約者は慎ましいご令嬢でね。けれどご忠告ありがとう。こうして学園入学を果たした事だし、正式に婚約者としてドレスを贈らせて貰うとするよ」
通常、貴族の令息令嬢は王立貴族学園を卒業してから婚約者を探すパターンが多い。
次に多いのが王立貴族学園で見つけるパターン。
最も少ないのが、学園に入る前に親が決めてしまう事。
前の2つは、最終的な承認は親がすれど、本人の意思が多少なり介在する。
勿論、在学中だろうが卒業後だろうが、無理矢理縁談を纏めてしまう親もいるけれど。
最後の1つは学園に入るまで、婚約者同士の交流や家同士の贈り物はあっても、婚約者同士の贈り物というのは無いことが多い。
子供のセンスで妙な物を送られても困るという事なのか、学園入学と同時に僅かなり家の仕事での裁量が増えたという事なのか、よくわからないけど。
「あらそうですの。良かったですわね、お嬢さん」
くすり、と笑われて思わず俯く。
貴族令嬢に生まれ変わったという自覚がどれだけなかったのか、突き付けられた気分だった。
ご令嬢ではなくお嬢さんという呼称も、私の一般人としての前世を見透かされたようだ。
「それでは御機嫌よう。わたくし、もう入学式に向かわせていただきますわ。お嬢さんも、馬車には轢かれないようお気を付けて」
あれ、と思った。
背を向けた少女の後ろ姿に見覚えがあったからだ。
肩までの長さの、ふんわりと癖のある亜麻色の髪。
どこでだっけ、とベアトリスの記憶を探っても出てこなくて。
思わずヴィセンテに問おうとして、声に詰まった。
見上げたヴィセンテの瞳が、少女の後ろ姿を睨みつけながら何か激情で渦巻いていたので。
何かまでは分からない。
いくつもあって複雑で、彼と今日初めて会った私じゃ何もわかりやしない。
けど、彼が少女について何か知っているのは確かのようだ。
「あ、の。殿下?」
「なんでしょうか」
私の声にこちらを向いたヴィセンテの瞳は、初対面の時と同じ穏やかさで。
少しだけ怖く感じていたのが解れていく。
「彼女は、いったい?」
「あぁ……すみません。何の説明もしていませんでしたね」
私の問に困ったように眉尻を下げる姿を見ると、正直なんでも許しそうになってしまう。
顔がいいってやっぱり得かもしれない。
いや、そういえば今は私もベアトリスだから顔がいいのか。
「彼女はドゥルセ。……ドゥルセ・デ・カストゥラ。カストゥラ伯女にして、私の再従兄妹にあたる少女です」
ドゥルセ。
確か、『Ⅱ』の主人公の名前である。
ならばさっきの既視感は、ベアトリスの記憶じゃなくて私の記憶から来るものだったのか。
確か伯爵令嬢だったと思ったけれど、シナリオライターが間違えたのか私の記憶違いか。
「はとこ……」
その割には顔の良さ以外似ていないな、という言葉は飲み込む。
きょうだいやいとこならともかく、はとこまで行ったら似ていなくてもそんなにおかしな事ではないだろうから。
「……えぇ。ご存知の通り、アフォンソ元王太子の、娘になります」
え!? と叫ばなかったのを、誰か褒めてほしい。
慌ててカストゥラ伯やアフォンソについてベアトリスの記憶を探れば、更に叫び出しそうになった。
なんと前作のメインヒーローことアフォンソ、廃嫡されている。
ベレンガリアとの婚約解消とイネス――確かヒロインのデフォルト名だったはずだ――との婚約を宣言して、叔父の王様に廃嫡されて婿入りしてるらしい。
けど、アフォンソの母親が持っていたカストゥラ伯の地位はポルトケンチ王家の籍とは別だから、そのままアフォンソのものなんだとか。
ついでに男爵家だったイネスの実家は伯爵家になって、今ではイネスが継いでる。
つまりあの少女は『Ⅱ』のヒロインで、同時に『Ⅰ』のメインヒーローとヒロインの娘という事になる。
彼女が伯爵令嬢ということは、やっぱりここはトゥルールートの先の『Ⅱ』の世界で合ってるんだろうか?
アフォンソが廃嫡されるのがトゥルールート?
しかもヒロインが、王太子を誑かした稀代の悪女として扱われる?
けど何か、ちょっとおかしい気もする。
さっきの彼女の態度は、ヒロインと言うより悪役令嬢やライバル役みたいだった。
いや、このゲームのシナリオライターはちょっと癖のある人らしいから、メインヒーロー廃嫡ルートがトゥルールートでも、ああいう性格のヒロインがいても、おかしくないかもしれないけど。
だけど、本来の『ヒロイン』ではなかったとしたら?
もしも彼女も転生者で、何か未来を知っていて、理由があってあの態度だとしたら……。
いや、何でもかんでも転生者に結びつけすぎかもしれない。
仲間がほしい、寂しい、未来が知りたい、破滅を回避したい。
そういう欲求が強すぎて、誰でも転生者に見えてくる。
なんなら隣のヴィセンテまで。
「そう、でしたのね。だからあの瞳を」
「はい。アフォンソ元王太子から受け継いだものです」
ヴィセンテにまた手を引かれながら、そういえば、と思い出す。
ヴィセンテの父親は誰なんだろう。
アフォンソの婚約者だったベレンガリアの息子だから、勝手にアフォンソの息子だと思ってたけど、2人は結婚していない。
そういえばベレンガリアも、王太子妃じゃなくて王子妃だったな。
王太子のアフォンソとそのまま結婚してたなら王太子妃になるはずか。
歩きながらベアトリスの記憶を覗いてみれば、すぐに答えは見つかった。
王子ドゥアルテ。
アフォンソの叔父王の息子で、アフォンソの従兄弟にあたる人、らしい。
私からすると「そういえばテキスト上で出てきたっけなぁ……?」という人で、多分ゲームで立ち絵はなかったと思う。
ベアトリスからしても印象の薄い人らしく、凡庸な愛妻家、くらいしかでてこない。
愛妻家なら良いんじゃなかろうか。
アフォンソが廃嫡された以上、王家の男子としては1番王統に近いはずなのに、なんで立太子してないのか。
勿論、この国の歴史上王太子すっ飛ばして王太孫を立てる事もあるらしいから、ヴィセンテやその弟達と悩んでるのかもしれないけど。
でもアフォンソが廃嫡された時点でこのドゥアルテ王子が立太子しててもおかしくはない気もする。
もしかして、その辺りが『Ⅱ』でストーリーに出てきたりするんだろうか。
叔父王とか、『Ⅰ』ではアフォンソの成人と同時に王位を譲った人、くらいの知識しかない。
私が辿り着けたアフォンソの恋愛ルートは2番目の側室エンドだったけど、そこでも戴冠式でアフォンソに「よく無事に成人した」的に声をかけていた事しか覚えてない。
「その、伯女……殿下とは、仲がよろしいので?」
「……いえ。彼女の母と私の母は……その、因縁がありますから。あまり交流はございません。勿論、彼女の父は廃嫡されたとはいえ王族の血を濃く引く方ですから、王族の集まりに呼ばれる事もありますが」
念の為、既にヴィセンテが攻略されてないかと聞いてみたけど、そういう訳ではないらしい。
まぁ、仲良さそうには見えなかったもんね。
その後、入学式の会場であるホールに入って私とヴィセンテは分かれた。
どうやら男女で席が分かれているらしい。
それに王孫のヴィセンテは入学生代表として舞台に上がる必要もあるんだとか。
ホールに入る前に、名前と身分を書いたカードと交換で渡されたカードに書いてある席へと向かう。
何やら慌ただしかったけど、直前になって席次が変更になったかららしい。
ベアトリスの記憶では身分順で席次が決まっているはずなのに、どうしてだろう。
そんな事に気を取られていた私は忘れていた。
「あら、またお会いしましたわね。慎ましやかなお嬢さん」
王族の婚約者の私の近くには、君主一族のドゥルセがいておかしくない事を。
というか何なら、隣の席だった。
今年の入学者の女子生徒では君主一族の娘は彼女だけらしく、1番端に座っていた。
次に王孫の婚約者であるベアトリス。
残念ながらその先の順番は分からないけど、この時点で厄介な事は間違いない。
だってヒロインと悪役令嬢が揃ってるんだもの。
いや、でも大体は悪役令嬢側が何もしなければ問題は起きないはずだけど。
それに前世の入学式と違って、肩が触れ合うような距離でもない。
それぞれの侍女や従者が後ろに侍っていても後列の人が問題なく壇上を見上げられる位置なので。
実際、私の席の後ろにはカオンが、ドゥルセの席の後ろには緑髪の女の子が控えている。
もしも2人がお互いに手を伸ばしても、指先がかすりもしないと思う。
いや、壇上が高いのもあるけれど。
「御、機嫌よう」
「まぁ、本当にそのドレスで式典に望むつもりでしたのね。てっきり着替えてらっしゃるかと……」
う、と軽く声が漏れそうになる。
そういえばドレスに関しては何も解決していないのを忘れていた。
代わりのドレスを持ってきてもらう時間はないだろうし、かと言ってドゥルセに言われた通り、このドレスのまま式典に挑んだら家の侍女達の評判に関わるだろう。
こうなったら学園の貸ドレスを借りるしかないけど、何の理由もなく借りる訳にはいかないし……。
貸ドレスを借りるというのは、事情があっての事。
もし何の理由もなく借りたとしたら、その家は貸ドレスに劣るドレスしか用意出来なかったと、家や侍女の瑕疵になるんだとか。
「カーラ、インクを」
「はい、姫様」
「お嬢様!」
八方塞がりで俯いてしまい、手を震わせていると。
カツカツとヒールの音がして、気付いたらドゥルセが目の前まで迫っていた。
え、という間もなく強い風の吹く音と水音がして、次いで右肩に冷たさを感じる。
思わず右を向けば、カオンがカバンを取り落として転んでいたし、私の着ている水色のドレス、その右肩から裾にかけて真っ黒な染みが出来ていた。
その黒の深さに、これは高いインクだとベアトリスの記憶が告げてくる。
「少しはマシなドレスになったのではなくて?」
クスリと笑う声に呆然として、その2色の瞳をじっと見つめれば、しばらく見つめ合う形になる。
周りのざわめきが大きくなっても目を逸らす事もできなくて。
学園のお仕着せを着た女の子が「お嬢様、こちらへ」と手を引いてくれるまで、カオンを助け起こす事すら頭に浮かばなくて。
慌ててカオンを見れば、既に立ち上がってカバンを持ち直している所だった。
「控室へご案内します。お召変えは手伝いますので、従者の方は外でお待ちいただく事になりますが、よろしいですか?」
「え、ええ?」
暗い茶髪をお下げにした俯き気味の女の子に言われて、混乱したまま頷けば、カオンも小さく頷いて着いてくる。
ホールを抜けて裏方へと回り、いくつかの扉が並んだ通路に出ると、女の子は迷う事なく1つのドアを開けた。
中にはいくつかのドレスが並んでいて、まるで花のようだった。
「今のドレスはお帰りまでにインクを落としておきます。侯爵家のご令嬢、特に王族の方のご婚約者様に相応しいドレスはこの部屋にあるもので全てですが、どのドレスになさいますか?」
「え……と、おすすめはありますか」
「……元のお召し物に合わせるのでしたらこちらの水色のものを。王孫殿下の瞳に合わせるのでしたらこちらの淡い緑のものを、御髪にならこちらのクリーム色のもの、今日の衣装に合わせるならこちらの桃色のものがよろしいかと」
元々自分でドレスを選んだ事が発端である。
これ以上ドレスを選ぶ自信や度胸はなかった。
女の子が示してくれたドレスを1つずつ見ていく。
水色のマーメイドドレスはエレガントで大人っぽく、あちらこちらに貝殻の意匠が施されている。
緑のAラインドレスはクラシックで上品、小さな花のレースが特徴的だった。
クリーム色のエンパイアドレスはシンプルで軽やか、飾り気はないけれど、ふわりとした生地がとても目を引く。
桃色のプリンセスラインのドレスはゴージャスながらも可憐、星や月の刺繍と相まって星空のお姫様みたいだ。
どれも確かに素敵だけど、そこで詰まってしまって選べない。
おろおろと悩んで、助けを求めるように女の子を見れば、彼女は時計に視線を走らせた後に桃色のドレスを示した。
「私の一押しはこちらになります」
「それでお願いします!」
こうしてドレスを着せてもらうことになったのだけど、流石は学園の使用人である。
インクが私の髪や肌につかないようにドレスを脱がせて、更には肌についてしまったインクを拭き取り、コルセットの調整をして、新しいドレスを纏わせる。
そこまで一切の窮屈さや苦しさを感じないのだ。
しかも手早い。
時々魔法を使ってドレスの手直しやサイズの修正を行っているのにである。
あっという間に桃色のドレスを着た私が出来上がる。
鏡を見て、確かにこれなら深い赤の衣装を着ていたヴィセンテと合わせたようだな、と思った。
太陽の意匠のあった彼の衣装と、まるで揃いのようにも見える。
更に髪留めを、やはり月の意匠にさり気なく緑の宝石を飾った金色のものへ変える。
真珠のネックレスはそのまま。
「出来ました。どうでしょうか」
「ありがとうございます。これで入学式に出られます」
「……では急ぎましょう。時間が迫っていますから」
女の子はドアの前のカオンに声をかけると、再び私達を案内して来た道を戻る。
元々早めに来たはずなのに、ホールには既にほとんどの入学生が揃っているようだった。
「あ、そうだ。名前を」
教えてほしい。後日きちんとお礼がしたいから。
そう言おうとして振り返ったら、お仕着せの女の子は既にそこにはいなかった。




