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つどいて巡る神田人情記  作者: 汐見かわ
暗闇を行く
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 愛宕山を背に新橋へと向かい、汐留川に沿って歩いていると、川縁には猪牙船(ちょきぶね)がいくつかつけられていた。人々は既に活動をしており、通りの店もそろそろ店を開く準備をしているように見える。明け六つ頃だろうか。時の鐘なんて聞こえなかった気がしたが、それほど公平は深い眠りについていたのかと自分で驚いてしまった。ともかく、寂しい夜は明けた。このまま歩いて日本橋を目指す。

 左手方面には立派な瓦屋根の大名屋敷が並ぶ。なるべくそちらには近付かないように人通りの多い道を選んで歩いて行った。大名屋敷の奥は江戸城で、自分とは一生関わり合いのない天上の人々がそこにいる。

 国の事を考えてくれているらしいが、自分の苦しさや子ども一人の辛さを救ってくれるわけではない。でも、と公平は思った。近く改元があるらしい。改元とは元号が変わることで、旅籠に来る客も何だかそんなことを言っていた。もしかすると自分の暮らしも何かが変わるかもしれない。それにもう家出もしている。何がどう変わるかは想像もできないが、明るく痛みもない未来を夢見て公平は次第に賑やかになって来た通りを歩いて行った。

 汐留川より三十間川に続き、さらに歩いて行く。通りの飯屋が暖簾を掛け、店を次々と開けている。その度に公平は暖簾に書かれた文字を追っていた。「茶漬屋」「蕎麦屋」「鰻屋」どれもかれも美味そうに見えて、鰻屋の前では袖をたくし上げた女が鰻に目を打ち、捌いていた。

 昨日の昼から何も食べておらず、その上、腹の中のものは全て吐いてしまい空っぽだ。昨日はさほど気にならなかった空腹が今日はとても苦しい。

 ぐうと腹は鳴り、とぼとぼと道を歩く。新橋を抜け、いくつか橋の掛かっている中、橋のたもとにちょこんと地蔵が置いてある橋があった。そこの地蔵は、よだれ掛けがつけられ藁で編まれた笠も被っていた。地域の人々が手入れをしているようであった。その地蔵の足元に、なぜか小さな芋が転がっていた。

 公平はとっさに芋を拾い、着物でごしごしと芋の汚れを取った。人目に触れにくい建物の陰に急いで逃げ、芋を眺める。さつまいもだ。よくよく見れば芋の切り口は誰かに食べられた歯形のような跡がついていたが、食べられる物を前に公平はそんな些細なことはどうでも良く、夢中でかぶりついた。砂利が口の中で噛むたびにじゃりじゃりと音を鳴らし、土の泥臭く乾いた味もしっかりしたが、その奥でほのかに甘い芋の味もした。気付いた頃には芋はすっかり腹の中に収まってしまっていた。

 多少、腹が満足をしたので公平はそのまま川沿いを北に進み、銀座の賑わいを横目に京橋川を越える。いよいよ人の往来が増え、荷車を引いている人や、通りに面している店先のやり取りを眺める。この通りの先に見える橋が日本橋だ。いよいよ着いた。通りのさらに先に目をやれば、少し小高くなっている場所に赤い鳥居と遠くからでも分かる大きな銀杏の木が見えた。赤い鳥居のある場所が目指している神田明神だった。

 その時、腹からぐうと音がした。中途半端に腹に芋を収めた為、腹はもっと食い物をよこせと欲張っているらしい。

 公平は先程よりも強い空腹感に襲われた。辺りを見渡せば新橋や銀座などよりもずっと人は多く、通りに面した表店は呉服屋、両替商、海苔屋、菓子屋、刃物屋、煮売り屋、乾物に豆腐、ありとあらゆる店がずらりと並び、店だけでなく、降売をしている者も多く、丁稚奉公と思われる同い年くらいの子どもも店先に見受けられた。この人の多さと店の多さ、飛び交う言葉の多さに公平はめまいがするような気になった。これが日本橋かと、思わず開いた口からははあとため息が溢れた。

 辺りをきょろきょろと見渡しながら通りを歩いていると、ある煮売り屋が目に入った。大きな丼鉢の中に、煮豆、煮魚、ごぼうと蓮根を煮た物など、濃い醤油の香りのするおかずが見世棚に置かれている。丼鉢の横には握飯も売られていた。綺麗に三角に握られた飯は、横に置かれている濃い醤油味のおかずとちょうど合うのだろう。あぁ食べたいなと喉をごくりと鳴らして眺めていると、どこからか一人の子どもが走って来て、見世棚に置かれている握飯を素早く手に取り一つ、二つ持って走って行った。突然のことに走って行った子どもの背中をぽかんと眺めていると、煮売り屋の中から、肌の浅黒い目つきの悪いおやじが腕を捲りながら出て来た。




この物語はフィクションであり、実在の地名・建物名・人物・団体とは一切関係がありません。


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