三
追い出された八重はすることもないので神田明神の境内で他の子らと遊んでいた。
時々、梔子色の衣を着た人が、手元を覗き込んだりふらりと近付いて来るので、気味悪く感じていた八重はその度にしっしっと手で追い払っていた。周りの子ども達にはその人物は見えていないようであった。
一人お手玉を持って来ていた子どもがいたので、それを貸してもらいやってはみたが、自分よりもその子の方が上手だったのでもうやらないと決めた。
「私ってばこういう子どもの遊びは向いていないのよね」
そんな言い訳を思い付き、八重は子どもの集まりからそっと抜け出した。
境内では裏手の末廣稲荷神社の例祭に向け、木枠が作られたり、提灯が飾られたりとどことなく忙しない雰囲気があった。大工や手伝いの人らの明るい声が飛び交っている。
普段より参拝客の多い境内だが、祭りの日に向けて参拝客はますます増えているような気さえする。そんな活気のある境内を眺めているだけでも、否応無しに気持ちは高ぶり、わくわくとする気持ちが大きくなっていく。祭りが楽しみで仕方がない。
徐々に作られていく木枠を眺めていると後ろより声が掛かった。
「八重さん、また女将さんに追い出されたのでしょう。本当に威勢が良いですねぇ」
ぽんと肩に手を置いたのは今朝の宮司であった。八重と一緒になって木枠を眺めている。
「お祭りに向けて人が多くなってきたみたい」
「今回は改元のお祝いも兼ねているようなものですからね。皆さんも浮き足立っているのでしょう。そうそう、ここだけの秘密ですけど……」
そう言って宮司は八重にこそっと耳打ちをした。
「今回はかっぽれが来ますよ」
「かっぽれってなぁに?」
「手踊りです。ぜひ奉納したいと頼まれたんですよ。まぁ見てのお楽しみ」
聞きなれない言葉に八重は盆踊りのようなものをぼんやりと想像した。
かっぽれとは、無形文化財の住吉踊りが起源とされている大道芸、お座敷芸の一種である。住吉大社の御田植祭りの際、五穀豊穣を願い住吉踊りが奉納される。江戸では願人坊主達が広めたとされている。
「驚かせたいので、他の子ども達には内緒にしておいて下さいね」
「それはどうかしら。でも、楽しみにしてるわ。人が多く集まれば儲け時だものね」
八重はにっかりと眩しい笑顔を向け、くるりと向きを変えて門へと行ってしまった。
宮司はこんな子どもが店の儲けのことを口にするのが、どこかすましていて可笑しく思った。少し背伸びをして江戸で有名な茶屋の美人娘のように振る舞いたい年頃なのだろうかと、八重の小さな背中を見送った。
評判の美人娘になるかどうかはわからないが、この子らはどんな大人に育って行くのだろうか。どうか健やかに成長して行ってほしいと宮司は境内にいる子ども達の姿を見つめてそんなことを思っていた。
境内の社殿を背にしながら門をくぐり、境内から外へと出た八重は時間を持て余しているので辺りを散策することにした。
散策と言ってもいつもの人々、いつもの風景。足元に転がっていた石ころを見つけ、つま先で蹴りながら見慣れた神田明神の周りを歩く。生まれた時より慣れ親しんだこの土地は八重にとっては庭のようなものだった。
顔見知りに会えば「今日も店から追い出されたのかい」なんて声を掛けられる。
宮司はなぜ自分が母親である女将より怒られて店から追い出されたことを知っているのだろうかと疑問に思っていた。八重にはそれが不思議でならなかった。
「宮司さんは何か人の心を読める術でも使えるのかしら……」
この界隈に住む人々は皆が皆、知り合いのようで一度も会ったことのない人でも八重の名前を知っていたりする。声は大きく、決して品の良い口調ではないが、威勢があって皆が優しかった。
石ころをころんと蹴っては前に進み、蹴っては進み、調子良く東の崖側を歩いていた時、崖のすぐ下、人気のない一画で打ち捨てられた藁でできたむしろがあった。
石ころを蹴っ飛ばした時、その時だけは石は前に進まず左へといたずらに転がった。ころんころんと転がり、石はむしろにぶつかり、ぶつかった拍子にむしろが少しずれた。むしろはぼろぼろでごみとしてそこに捨てられた物だろう。
石を拾い、自分の蹴りやすい足元へころんと放った時、何かの気配を感じた。
むしろの下に何かあるような気がする。じっと見つめていると藁でできたむしろはゆっくりと小さく上下していた。
八重は慌ててそこから数歩距離をとった。まさか生き物でもそこにいるのかと、ぼろぼろのむしろを勢い良く持ち上げた。
「やだ、人の子じゃない!」
そこには目を閉じてじっと横たわる子どもがいた
この物語はフィクションであり、実在の地名・建物名・人物・団体とは一切関係がありません。
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