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つどいて巡る神田人情記  作者: 汐見かわ
つどいて巡る
16/16


 突然現れた将門は特に何をするわけではなく、その場に立っているだけだった。

 平伏する人々に射るような黒い瞳を向け、ゆっくりと顔を右から左へと動かしている。すると突然、顔の動きが止まった。目を見開くと同時に人が軽々と宙に浮いた。

 人、というよりも体の小さな子どもであった。


「公平!」


 八重は慌てて公平の元に駆け寄ろうとした。しかし平伏している人々が邪魔で思うように前に進めない。草履を脱ぎ、裸足になると人々の背中に乗りつつ前に進む。人の背中を踏む度に「うっ」という呻き声が聞こえるが、子ども一人に乗られたくらいで怪我はしないだろうと都合良く解釈し、公平の元へと背中から背中へと飛び移り進んで行った。

 公平は宙に浮くと、足をバタバタとさせている。周りの人々は何が起きるのかと、声を殺し、視線だけで公平を追っていた。

 次に将門は人差し指で自分の方にくいと指を曲げると、宙に投げ出された公平はあれよと将門の目の前に飛んで来て空中でぴたりと止まった。


「駄目っ! 連れて行かないで!」


 八重は咄嗟に声を上げた。なぜかはわからないが、公平は将門によってどこかへ連れられてしまうのではないかとそう感じた。連れて行かれた先は二度と戻って来られない場所なのだろう。


「駄目だってば! おじいさん達もお願い! 同じ仲間でしょ!」


 八重は狛犬の陰でぼんやりと突っ立っている、二人の老人にそう叫んだ。一人は梔子色の神衣を着て、もう一人は亜麻色の神衣を着ている。八重の声は届いていないらしく、じっと将門を見つめている。


「恵比寿様と大黒様! 一緒に祀られてるじゃない!」


 名前を呼ばれ、ようやく八重に気が付いた二柱は顔を見合わせ首を傾げている。


「もう! 将門様をやめさせないと、燃やしちゃうから!」


 八重はそう大声で叫ぶと、二柱はびくりと肩を震わせ悲しそうな顔をした。「それは勘弁して下さい」そう言っているようであった。

 二柱は平伏している人々をふわりと飛び越え、既に肩に公平を担いでいる将門のところへ降り立った。将門はぎろりと鋭い目を二体の神に向けている。二柱は一瞬たじろいだが、それぞれが右手を伸ばし、大黒が将門の肩に、恵比寿が公平の頭へ手を触れると将門はぱちんと弾けたように消えた。公平はその場にどさりと落ち、八重は思わず駆け寄った。人々の縛りも解けたようで、「まるで意味がわからなかった」と興奮気味に言い合っていた。

 気が付けば大黒天と恵比寿の二柱は忽然と消えていた。

 境内にいた人々は風が吹いて物が落ちて来てからはずっとかしずいており、ほとんど地面しか見えていない為に、何が起きたのかはわからないようだった。


「八重さん! 大丈夫ですか」


 宮司が慌てて二人に駆け寄った。


「一体何が起きたのかさっぱりわかりませんが……将門様は特に荒ぶれていませんでしたね。ほんの気まぐれでお召しになったのでしょう。その少年は大丈夫でしたか?」


 倒れている少年をそっと起こし、宮司は辺りを見渡した。人々は何が起きたのかとざわざわとしていたが、目立った混乱も無く怪我人も出ていないようだった。次第に各々していたことの続きをし始め、雷が落ちる前の元の喧騒に戻って行った。

 腕の中の少年も唖然として呆けてはいたが、特に怪我をしている様子は無くひとまずはほっとした。そこへ文蔵が駆けて来た。


「八重、お前何をしたんだよ。何なんだよあれはよ……神通ってのかい。すげぇな、おい」


 目をまん丸に見開き、興奮冷めやらぬ様子だ。すると再びしゃんしゃんと囃子が聞こえて来た。


 では気を取り直してぇ、かっぽれ、かっぽれ──


「祭りはそのまま続けるってのかい」


 文蔵は呆れた様子で腕まくりをした。こうとなったら自分も読売を売り切ってしまいたい。この騒ぎに乗じ、「改元の怪異」とでも言いふらせばきっと人は飛びつくだろう。

 文蔵は手元の読売を見てにやりと笑った。次の読売の記事も思い付いた。先程の不可思議な出来事がなぜ起きたのかとか、祀られている平将門の起こした出来事だったらしいとか、それらしいことを面白おかしく書ければそれで良い。出来事の真意は知ったことではないし、調べるつもりもない。


「おいおい、天木屋の八重ちゃんよぉ。何だってあの時動けたんだい。神通力っていうか、特殊な何かを持ってるのかい。この文蔵さんにちょいとお話しを聞かせてくれませんかねぇ」

「まぁた何か怪しい読売書く気でしょ。あんたと話す事なんて何も無いわよ。震えて縮こまってただけのくせに」


 むんずと八重は文蔵の足を踏みつけた……が、文蔵は「あらよっ」と八重の足をかわした。

 そんなやり取りの横で宮司は公平の無事を確認するように、顔や腕などを見た。顔は少し腫れてあざもあったが、大した怪我では無さそうだった。ついで少しはだけている襟の隙間から見える背中を見た。ぎょっとした。襟を直してやり、宮司は苦々しく眉間に皺を寄せた。あざは先程の件でできたものではないのはわかった。紫に変色している。過去に暴力を振るわれて出来たあざなのだろう。こんな子どもが一体なぜ。


 かっぽれ、かっぽれ──


「宮司さん、この子お父さんを探してるんだって。どうにかならないかしら。神田柳原で古着を売ってたらしいのよ」

「届けを出せばわかるかもしれませんが……」

「届けは出してほしくないんだとよ。別れた父親が柳原で古着を売ってた一平太で、今の親はそれはそれはひでぇ親でさ。家出したってぇわけよ。こんな小せえがきなのに、無茶なことするぜ」


 へらへらと文蔵は笑いながら言った。公平はただ黙って下を向いていた。


「そうは言ってもですね……」


 背中のあざは文蔵の言葉を信じれば親がつけたものなのだろう。今ごろきっと、親が役所に届けを出して探しているだろう。凄惨な背中を思い出し、宮司は親元にこの少年を返して良いものか判断がつかなかった。


 かっぽれ、かっぽれ──


 宮司は公平の顔を覗いた。少年の瞳は不安で揺れていた。平将門はこの子を肩に担いでどうしようとしていたのだろうか。八重は「連れて行かないで」と必死に叫んでいた。


「今はどこで生活をしているのですか?」

「俺んとこにいるぜぇ」

「え、嘘でしょう。文蔵さんが?」


 宮司はこの日、一番の驚きを見せた。そりゃどういう意味でぃと文蔵は宮司に突っかかっていたが、


「お父っつぁんが見つかるまで、俺のとこにいて良いぜ。次の読売の準備もしなきゃならねぇし。公平に手伝って貰えると助かんだよ。まぁまぁ字が上手いしな」

「そうですか……」


 宮司は考えた。家出なんてそう軽々しく出来るものではないだろう。きっとこの少年は、我々の窺い知ることのできない辛いことがあったのだろう。ちらと見えた背中のあざが生々しく語っていた。

 平将門は民衆の味方で、当時の人々に助けを求められて立ち上がった人物である。そして朝敵とされ討伐された。関東の人々にとっては英雄なのだ。


 かっぽれ、かっぽれ──


 将門は少年の苦しみを理解して、助けようとしたのではないか。宮司は膝を叩いて立ち上がった。


「わかりました。迷子ということで、町内で責任を持って面倒を見ましょう。後で名主に相談してみます。神田柳原の古着屋というところまではわかってますし、探すのはきっとそう難しいことではないでしょう。神社に出入りしている人達にも聞いてみましょう。さあさ、今日は例祭ですよ。あなた達も遊んで来なさい」


 八重と公平は二人して顔を見合わせ走り出した。宮司は腰に手をあてて首を鳴らした。もう、先程のことは無かったことのように人々は好き好きに酒を飲み、一緒に踊り、笑っていた。


「へぇ、あんたも融通が効くんだな」

「私も、生粋の神田っ子ですからね」


 困っている人は助ける。弱い者も助ける。悲しんでいる人には一緒に寄り添う。皆で手を取り合って助け合い生きて行く。

 二人はにんまりと笑うと、それぞれ別々の方向へ歩いて行った。


 かっぽれ、かっぽれ──


 お囃子の賑やかな音が響き、その日の境内はいつまでもいつまでも人の声と笑い声が絶えなかった。


 あ、それ、かっぽれ、かっぽれ──


 それから十日ほどたったある日。お触れがあり「文化」と改元された。




この物語はフィクションであり、実在の地名・建物名・人物・団体とは一切関係がありません。


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