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つどいて巡る神田人情記  作者: 汐見かわ
つどいて巡る
14/16


 長屋から通りへと出ると人が大勢いた。藍玉を乗せた荷台が通りを行き、それぞれの店の中では染物職人が染料を作り、色のついた水に布を浸している。紫、紅、茶、藍と店によって染めている色が違うようであった。店先に吊るされた布が美しくはためき、青い空に映えていた。

 八重と公平はその町の様子をきょろきょろと物珍しそうに眺めながら神田明神を目指して行く。

 公平は文蔵のことが気になり、後ろを振り返るとずっと遠くに文蔵はいて「次の元号は決まったよ。四文、一枚四文だよっ」などと、節をつけて大袈裟に売り歩いていた。


「あんまり見ない方が良いわよ」


 八重が真っ直ぐに前を見ながら冷ややかに言った。


「たぶんあれ嘘よ。だって改元のお触れはまだ出てないもの。嘘の元号を、でたらめを言って売ってるんだわ」


 それでも文蔵の周りには人ができ、読売(よみうり)を買う人がぽつりぽつりといるようだった。大きな声で「毎度あり」と聞こえて来るからだ。


「あの人、良い人なんだか悪い人なんだかわからないわね。でもきっと人は黒も白も無いのよね。その間の人がたくさんいるんだわ。それで世の中成り立ってるのよ。でなかったらお奉行さまはいらないもの」


 八重は何だか大人びたことを言っていたが、公平にはよく分からなかった。人の行き交う騒めきの中で、少女は凛と真っ直ぐに前を向いていた。


「買う人も買う人よ。良く考えればわかることなのにね。大人は今までの改元がどうやって広く知ることになるのか経験してるはずじゃない。何であんな怪しい読売買うのかしら」

「怪しいと思ってても買うんだよ。よくわからないけど、白と黒じゃないってそういうことでしょう」


 八重はくりくりとした目を見開き、公平を見ると何か言いたげにしていたが再び前を向いた。


「そうね。そういうことよね」



 二人でしばらく歩いていると、広い土手が見えて来た。川には荷揚げをしている舟がいくつかあり、賑わいを見せている。土手に並んで立つ柳の枝がしなだれて風とともに揺らいでいた。


「ここが神田柳原の土手なんだけど」


 くるりと振り返った八重は言い、白い指を川に向かって指している。


「ここから川沿いにずうっと先に行ったところまで柳原なの。公平が昨日言ってた場所はたぶんここよ。探してるお父さんはここと関係あるんでしょう?」


 八重が反応を伺うように公平に丸い目を向けている。その瞳は好奇心で溢れ、川面に反射する光のようにきらきらとしていた。

 公平はふと考えた。この川沿いに立ち並ぶ柳は見覚えがあるような気がした。暖かくなるとしな垂れる枝先に花をつけ、爽やかな川音と共に春の訪れを感じることができた。親が店を開いている時、自分は他の子どもに混ざり河原で小石を川に投げて遊んでいた。父とはここに何度も来ている。公平はどきどきと鳴る心臓を抑えるようにぎゅっと着物をつかんだ。


「文蔵の金次郎店からこんなに近いし、私の家もすぐ近くだし。神田にいればきっと見つかるんじゃあないかしら。これから先のことはきっとどうにでもなるわよ。うちのお父さんの話によれば養子がほしいって言ってる知り合いもいるって言ってたし」


 公平は八重の言葉で辺りが明るくなったような気がした。きっとこの先は希望が持てる。やっと明日に希望を持つことが許されるのか。何かに魅入られたようにじっと川を見つめる横で「この川は神田川なのよ」八重はそう小さく伝えた。

 川面はきらきらと輝き、流れは緩やかだった。左から右へといくつもの煌めきを抱きながらゆっくりと流れている。荷を降ろす人の声が遠くから聞こえ、すぐ目の前の風景がやけに遠く、広く、雄大に見えた。品川宿から見える海よりも広大で美しい風景が広がっていると、そう感じた。


「探すのはまた今度にしましょ。神田明神は橋を渡ってすぐそこよ。今日はお祭りなんだから。かっぽれ。そうだ、思い出したわ。かっぽれが来るんですって」



 橋を渡ると、すでに人の流れが神田明神へと歩いているようだった。通りの店は今日が好機とばかりに店先に出した棚に商品を並べ商いをしている。二人は店先の声を聞きやり、神田明神へと続く通りを人の流れに合わせながら歩いている。次第に笛の音が小さく聞こえ、八重の家、天木屋では女将が店先で甘酒を振る舞っていた。


「お母さん、もうかっぽれは来てる?」

「お囃子の音が聞こえてるよ。今日は店に人は入れないから遊びに行っておいで」


 八重は文蔵から回収した木箱を母に渡すと、公平の手を取り小走りに駆けた。人の波を器用にすり抜け鳥居を潜り、さらに門をくぐると境内の中には大勢の人がいた。出店もいくつか来ており、社殿の前ではお囃子の演奏が始まっている。昨日設営していた木枠には提灯が端から端までずらりと飾られ、陽気な雰囲気が辺りに満ち、酒を飲み赤ら顔の人々は大声で笑っていた。いつもよりも断然、人の多い様子に八重は心を躍らせた。公平も祭りには久しく行っていないことを思い出し、わくわくと気持ちが弾むのを感じている。すると、お囃子の音が消えて人の騒めきがより一層大きくなった。先程のお囃子とは違う拍子が聞こえて来る。




この物語はフィクションであり、実在の地名・建物名・人物・団体とは一切関係がありません。


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