序
冬のある日、突如として江戸上空に黒いもやが発生した。その黒いもやはみるみるうちに濃くなり、渦をまき、しだいに黒い雲とはっきりわかる程の大きさにまで広がった。
雲の発生した場所は江戸城近く。とりわけ神田明神の上空であった。雲ひとつなかった青空にその場所にだけ黒雲が広がり、渦巻き、妖しい気配に包まれる。
上空の異変に気が付いた者は、「妖雲だ。改元の怪異だ」などと騒いでいたが、雲はしばらくするとすぐに消え、空を見上げていた人々は「あれは目の錯覚やもしれぬ」とさほど気にもしていなかった。翌日の井戸端会議の話題にも上がらなかった。
「元号が変わる時、不吉なことが起こるらしい」
なぜか享和四年(1804年)の改元の際、そんな噂が江戸の市中に駆け巡っていた。
有名な学者が言っていたとか、江戸城では国家の安寧を祈る為に全国から偉い坊主が呼ばれているらしいとか、日本橋の大店はそれを見越して商売を始めたらしいとか、とにかく江戸の人々は出所不明の噂話に華を咲かせていた。誰も自分の身に降り掛かる出来事だとは本気で思っていない為に気楽なものである。
元和から慶應までの265年間で改元は実に35回。その時を生きた人々にとって改元は今よりもずっと身近にあり、頻繁に行われていた。江戸時代の改元は新天皇の即位に限らず、天変地異だとか疫病が流行った時、大火、干支の周期に関してなど、様々な理由で改元が行われたからだ。
京では、上皇が御所に移動する際の行幸には行列見物ができ、人々は食べ物片手に見物をした。公家の中には行列見物の際の席を、より良く見える前方に金で口利きする者もいた。
江戸に限らず、人々にとって改元とは祭り事と同じで、平成から令和にかけての改元の折は「次の元号は一体何か」と各種報道で予想し合っていたのは記憶に新しい。日付が変わると共に、渋谷のスクランブル交差点では入り乱れて人々は騒ぎ、当時の官房長官が新しい元号を掲げた時には、カメラのフラッシュがきらめき、道行く人は街頭テレビを見上げ、スマホでネットに上がる新元号発表のライブ映像を眺め、そしてニュースを検索し、その時の一体感を味わった。
とにもかくにも改元とはそのようにどこか浮ついた気分でいたのは今も昔も変わらないらしい。
この物語はそんな改元の折の、不可思議で自由気ままな人々の話である。
この物語はフィクションであり、実在の地名・建物名・人物・団体とは一切関係がありません。
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