パフェの絆
僕たちが連れて帰ってきた冴さんを見て、おじいちゃんもおばあちゃんも目を丸くした。
「冴ちゃん? 本当に冴ちゃんなのか?」
「こんなに大きくなって……。会いたかったわ」
おじいちゃんとおばあちゃんの皺だらけの手が、冴さんの髪や頬を撫でる。少し緊張した様子で、けれど嬉しそうにはにかんで冴さんはそれを受け入れた。
おじいちゃんがリンゴを剥いてくれて、おばあちゃんが緑茶をいれてくれた。居間のちゃぶ台を囲み、フォークでリンゴをかじりながら、冴さんと僕らは会えなかった日々を言葉で埋めていく。
しばらくして、玄関の戸が勢いよく開く音がひびいた。きっとおじいちゃんかおばあちゃんから連絡があったのだろう、スーツを着たお母さんが慌ただしく居間に入ってくる。
「冴……!」
「お母さん!」
冴さんが立ちあがる。よかった。僕が胸を撫でおろしたときだった。二人の間にお姉ちゃんが立ちはだかった。両手で、さっきまでリンゴをつまんでいたフォークを握りしめて。そしてその切先は、真っ直ぐにお母さんに向けられていた。
「何勝手にハッピーエンドにしようとしてんの」
お姉ちゃんの声が震えていた。
「あたし、ママに散々ふりまわされてきたこと、忘れてないから」
僕はやっと気づいた。お姉ちゃんがやろうとしていたことは、怪盗ごっこでも、お姫様の奪還でもない。これは誘拐だ。お姉ちゃんは冴さんを誘拐して人質にとり、お母さんから身代金を奪おうとしていたのだ。身代金はきっと、どんな宝石よりも大金よりも価値があり、お姉ちゃんが一番ほしいもの。
「次から次へと男ばっかり。恋愛は悪いことじゃないって分かってるよ。でもあたしたちはどこにも行けないんだよ? ずっと我慢しなきゃいけないの?」
僕が好意と諦めによってお母さんを許したのと違って、お姉ちゃんは許してなどいなかったのだ。お姉ちゃんは覚えている。お母さんがお姉ちゃんのお父さんと別れたことも、その後僕のお父さんと結婚して別れたことも、その間や後に恋人をつくったり別れたりしていたことも全部。
お姉ちゃんは泣いていた。
「ママにとって、あたしたちは一番じゃないんでしょう。あたしたちで足りないから、男の人をとっかえひっかえするんでしょう。あたしもう耐えられないよ」
もうフォークの先はお母さんに向いていなかった。けれど、お母さんは見えない刃に串刺しにされたように、表情ひとつ動かさなかった。
僕もおじいちゃんもおばあちゃんも、誰も何も言えなかったし、動けなかった。ひりついた空気を破ったのは、人質にされた冴さんだった。
冴さんは、泣いているお姉ちゃんを後ろからそっと抱きしめた。
「辛かったね、凛ちゃん。私も分かるよ」
ささくれ立った感情を和らげる優しい声だった。
「お母さんとお父さんが離婚したとき、私じゃ駄目だったんだって思った。私では二人を繋ぎとめられなかったって」
「お姉ちゃん……」
「でも、お母さんのこと嫌いになれなかった。凜ちゃんは違う?」
「あ、あたしは……」
消え入るように、お姉ちゃんは口をつぐんだ。うろうろと視線をさまよわせる。
驚いた。こんなに気弱なお姉ちゃんを初めて見た。
お姉ちゃんはいつだって勝ち気で偉そうで、僕の前をしゃんと背筋を伸ばして歩いていた。そんなお姉ちゃんのことが少しうとましくて、けれど頼もしかったんだ。
お姉ちゃんと半分しかきょうだいじゃないんじゃないかと怯えた僕に、「そんなことない」と力強く言いきってくれたこと。揺らぎのない絆をくれたこと。それにどれだけ助けられたか分からない。今度は僕が、お姉ちゃんを支えたい。
僕は立ちあがり、フォークを握りしめたお姉ちゃんの手にふれた。固く冷たい手だった。
「お姉ちゃん。パフェの絆はお母さんがくれたんだ」
嬉しいことがあった日や、悲しいことがあった日に、ヨーグルトにカラースプレーをふりかけてパフェをつくってくれるのは、いつもお母さんだった。
「だからお母さんともパフェの絆でつながってる。一番強い絆だよ」
涙にぬれた両目が僕を見る。僕は自信をもってお姉ちゃんに笑いかけた。するとお姉ちゃんは顔をくしゃくしゃにして、僕の手を握る。
よりそいあった僕たちきょうだいを見て、お母さんがぽつりと言った。
「ごめんね、いいママでいられなくて」
いつも明るいお母さんに似あわない、か細い声だった。あんまり青白い顔をしているので、今にもお母さんがぐんにゃりと倒れてしまうのではないかと心配だった。けれど、そんなお母さんの背中をおばあちゃんがぴしゃりと叩いた。
「なんて情けない顔してるの、あんたは。母親なんだから、しゃんとしなさい」
おじいちゃんも、穏やかな声で話しかける。
「この子たちは、いい子だ。もっと我が子を信用して、正直にきちんと話してみろ」
お母さんは深く息を吸いこみ、おじいちゃんとおばあちゃんに向かってうなずいた。唇を引き結んだお母さんを見て、おじいちゃんとおばあちゃんは居間から出ていった。
戸の閉まる音を合図に、お母さんが口を開く。
「みんなじゃ足りないとかではないんよ。みんなはいい子なのに、わたしが悪いの。いいお母さんでいれてるか不安で、だから優しい言葉をかけてくれる男の人をすぐ好きになっちゃうの」
迷いながら、言葉を確かめながら、お母さんは言う。
「でもそうやってフラフラしてるから、いっつも大事なものを駄目にしちゃって、それでまた自信がなくなって、慰めてもらいたくなるの。言ってて、自分でも恥ずかしい」
お母さんも不安だったんだと、僕は思う。僕はお母さんが男の人を好きになって、僕らを置いて一人で手のとどかないところに行ってしまう気がして怖かった。でもお母さんも、僕らに言えない怖い気持ちを抱えていたんだ。
「わたしずっと怯えてたの。いいお母さんじゃないから嫌いって言われるのを。お母さんなんかいらないって言われるのを。馬鹿だよね。それが一番怖かったのに、そう言われても仕方ないようなことばかりしてきたんだから」
そんなことない、とは誰も言えなかった。だって僕らはずっと、お母さんが好きっていう気持ちと嫌いっていう気持ちの間で揺れ動いてきたんだから。
「でも冴に『お母さんを嫌いになれなかった』って言わせちゃって、わたし本当に自分のことしか考えてなかったんだって気づいた。嫌われるのが怖くて、みんなからも逃げてたの。だからこれからは、ちゃんとみんなを見て、話を聞いて、一緒に考えながら暮らしていきたいと思う。……駄目かな?」
僕たちきょうだいは顔を見あわせた。「どうする?」と耳をよせてささやきあう。
「お姉ちゃんはいいの?」と僕。
「いいわよ。言ったらすっきりしたし。お姉ちゃんはいいの?」とお姉ちゃん。
「そうねえ、今までのが帳消しになるわけじゃないけど、大事なのはこれからだし。凌くんはいいの?」と冴さん。
決まってる。僕は、自分の気持ちも僕らの気持ちも大切にするお母さんが好きなのだ。
僕はお母さんの方に向き直り、「いいよ」と言った。仲直りだ。
お母さんがくしゃくしゃの顔で僕らに近づいて、三人まとめて抱きしめた。
「みんな大好き。わたしの可愛い子どもたち」
冴さんとだけじゃなく、僕やお姉ちゃんとも感動の再会を果たしたかのようだった。大げさすぎると思ったけど、僕らはみんな、まんざらでもない気持ちだった。