囚われのお姫様
十五分くらい歩いただろうか。僕たちがたどり着いたのは立派な和風のお屋敷だった。僕たちの住むボロアパートと同じくらい大きいし、きっとすごくお金持ちの家だ。石に文字が彫られた表札には「久我山」とある。お屋敷の高い塀を見あげ、お姉ちゃんは顔をしかめた。
「鬼のような悪いおじいさんとおばあさんが、ここにお姫様を閉じ込めてるの。怒鳴り声や物が割れたり倒れたりする音が、近所によくひびいてるらしいわ」
強い夏の日差しに垂れてくる汗が、お姉ちゃんの目に入る。しかしお姉ちゃんは拭いもせずに続けた。
「お姫様はいつも痣だらけで、夏も肌を出せないそうよ。可哀想でしょう? こんなところから連れ出してあげなくちゃ」
「ここに忍び込むの?」
お姉ちゃんが残念そうに首をふる。
「セキュリティがしっかりしてるから駄目ね。お姫様が外出するときだって、いつも車で送り迎えしてるらしいわ」
考えがある、とお姉ちゃんは言った。
「ねえ、子どもが入ってもおかしくない場所ってどこだと思う?」
そんなの色々あるが、急に言われても絞りきれない。僕の答えを待たず、お姉ちゃんが正解を明かす。
「学校よ」
確かに、学校なら僕たちも入れるだろう。だけど、この辺の小学校もまだ夏休みじゃないのか。尋ねると、お姉ちゃんは「お姫様が通っているのは高校なのよ」と教えてくれる。高校は夏休みが短いらしい。
「高校なんて入れるの?」
「あたしにとっておきの秘策があるわ」
胸を張るお姉ちゃんに連れられて、十分ほど歩いて高校に着いた。校門の近くに、「私立白百合女子高等学校」と書いた木の看板が掲げられている。
「女子校じゃん。僕がいたら変だよ」
弱気になった僕に構わず、お姉ちゃんは「いいのよ」と門の近くのブザーを押した。
少しの間があって、大人の女の人の声で「ご要件は何ですか?」と問いかけられる。お姉ちゃんは堂々と声を出した。
「すみません。あたしたち、久我山冴のきょうだいです。姉に用があるのですが」
え?
状況を理解できない僕をよそに、インターフォンの声は「分かりました。鍵を開けますので入ってください」と言う。何がなんだか分かってないのは僕だけみたいだ。
すぐにガチャっと音がして門が開く。高校の敷地を歩きながら、お姉ちゃんに「くがやまさえって誰?」と聞く。
「お姫様の名前よ」
「でも、きょうだいって」
「来れば分かるわ」
正面玄関にたどり着く前に、インターフォンで対応してくれた職員さんが僕たちを見つけ、声をかけてくれる。
「二年の久我山さんのご家族なのよね? 案内するわ」
僕たちは玄関でスリッパに履きかえ、カポカポと音を立てながら廊下を歩く。ちょうど休み時間だったようで、ブレザーの制服を着たお姉さんたちに「可愛いー」なんて指を差され、僕は少し恥ずかしい思いをするが、お姉ちゃんは緊張した面持ちで真っ直ぐに進む。
案内されたのは、教室ではなく、保健室だった。くがやまさえさんは、体調が悪くてここで休んでいるらしい。
ドアをくぐると、保健室の先生はいなくて、カーテンで囲われたベッドがあった。職員さんが、ベッドに向かって声をかける。
「久我山さん、妹さんと弟さんが来ているわ」
「お姉ちゃん、迎えに来たよ」
お姉ちゃんが誰かをお姉ちゃんと呼ぶなんて変な感じだ。
「え?」
カーテンの向こうから、びっくりとした声がする。どうやら、くがやまさえさんも、僕と同じ気持ちのようだ。
シャッと音がしてカーテンが開くと、そこには制服にカーディガンをはおったお姉さんが立っていた。長い髪と、丸い瞳。寝起きのお母さんの顔に少し似ていた。
お姉ちゃんが一歩前に出た。
「朝河凜と朝河凌です。あの、あなたにとって、パフェって何ですか」
「パフェ?」
「答えてください、大事なことなんです」
くがやまさえさんも、職員の人も、困った様子だが、お姉ちゃんの真剣な雰囲気にのまれている。
頬をかきながら、くがやまさえさんが言う。
「えっと、ヨーグルトにカラースプレーをかけたやつ」
「あたしたちにとっても、そうなんです」
どういうことか、僕にも分かった。パフェは、きょうだいの証だ。血よりも濃い、パフェの絆。
そしてどうやら、くがやまさえさんにもお姉ちゃんの意図が伝わったようだ。くがやまさえさんの顔が、引きしまっていく。
「お姉ちゃん。ママに会いたくないですか?」
くがやまさえさんの顔が、泣きそうにゆがんだ。
「会いたいよ。……すごく」
「会いに行こう。ママも待ってる」
お姉ちゃんの言葉に、くがやまさえさんが顔をおおった。大きなお姉さんが泣くところを僕は初めて見た。けれどかっこ悪いなんて思わなくて、たまにお母さんに思うみたいに困ったなあという気持ちになった。