書き換えられた節分
二月の始め、節分の日。
鬼は外福は内、人々は煎った大豆を撒いて厄除けを願う。
一方、鬼たちにとっては、
悪者にされて豆を投げつけられる、愉快ではない日。
そんな節分の日が終わった、ある日のこと。
町のどこかの会議室に鬼たちが集まって、
来年の節分の日に向けて対策を立てるため、
話し合いが行われようとしていた。
狭くはない会議室が満席になっている。
ここに集まっているのは、鬼たち。
普段は人間社会に溶け込んで生活している。
そんな鬼たちが、節分の日の対策を立てるべく、
今日こうして集まっていた。
鬼たちは顔を合わせるなり、肩をすくめて溜息をついた。
「よう、久しぶり。
今年の節分の日はどうだった?」
「どうもこうも、いつもの節分の日と同じさ。
鬼は外福は内って、煎った豆を散々投げつけられたよ。」
「俺も。あれ、けっこう痛いんだよな。
匂いも苦手なんだよ。」
「人間に一方的に悪者にされるのは嫌だよなぁ。
俺たち鬼が何をしたっていうんだ。」
「そりゃ、確かに俺たち鬼は、人間を食い物にすることもあるぜ?
でも、病気や災害を全て鬼のせいにされちゃ、たまらないよ。」
「まったく、節分の日に豆を撒くなんて風習を作った、
昔の人たちが恨めしいよ。」
鬼たちは節分の日に恨み節。
しかし、それも無理もないこと。
人間にはあまり知られていないことだが、
実は、鬼たちは、節分の日の豆撒きに使われる大豆が大の苦手。
煎った大豆は特にその効用が強くなるようで、
鬼たちはそれを食べた人間の匂いすらも苦手なほどだった。
そんな嫌いなものだらけの節分の日をどうにかできないか。
最後に年長の鬼がやってきて、
いよいよ話し合いが始められようとしていた。
会議室に集まった鬼たち。
年長の鬼の挨拶で、話し合いが始まった。
「今年も節分の日をご苦労だった。
皆が節分の日に迷惑していることはわかっている。
そこで、来年の節分の日に向けて、対策を考えようと思う。
誰か、意見がある者はいるか?」
すると早速、若い鬼が声を上げた。
「節分の日に、鬼に豆を撒くという習慣自体を、
無くさせることはできないでしょうか?」
率直な意見は、すぐさま他の鬼たちから否定される。
「それは難しいだろうな。
節分の日を無くすことができれば手っ取り早いが、
一度定着した風習を無くすのは難しい。」
「できたとしても、長い年月が必要だろう。
若い鬼たちはそれでもいいかもしれないが、
我々年寄りには、それでは無意味だ。」
「うむ。短期間で実現できる対策も必要だろう。」
次は中年の鬼が言った。
「節分の日を無くすのが無理だとしても、
せめて煎った大豆を撒くのを止めさせられないか?
俺たち鬼は、大豆が苦手な者が多い。
特に、煎った大豆は最悪で、
それを口にした人間にも近寄りたくないほどだ。
人間たちが節分の日に撒く物を変えさせるのはどうだろう。」
すると集まった鬼たちは、顔をしかめて頷いた。
「確かに、私も大豆は苦手だよ。
煎った大豆を平気で口にできる人間たちが信じられないよ。」
「節分の日を無くすのではなく、豆を撒く風習を変えるというのは、
良い考え方かもしれない。」
「しかし、どうやってそれを実現する?
いっそ、大豆をこの世から無くしてしまうか?」
「それは無理だろう。
人間たちにとっては、大豆は重要な食料だ。
もしも、無理に大豆をこの世から無くせば、
人間たちは食べ物に困ることになる。
その結果として人間たちの頭数が減ってしまったら、意味がない。
俺たち鬼の食い物が減ってしまうのだからな。」
「では、大豆を無くすのではなく、他の物に置き換えるのはどうだろう。
例えば塩とか。
清めの塩と言って、人間たちは塩をお祓いにも使う。
塩は大豆よりも手に入りやすいだろう。」
「なるほど。それは良いかもしれないな。」
節分の日に、大豆の代わりに塩を撒くようにする。
そんな意見にもしかし、首を横に振って否定する者がいた。
「いや、それは止めた方が良いな。
塩害と言って、土壌に塩分が増えると、農作物が育ちにくくなるんだ。
建物やなんかの金属も錆びやすくなる。
環境破壊になるから、塩は無闇に撒かない方が良い。」
「そうなのか。それは知らなかった。」
「環境は大事だからな。」
「塩はともかく、撒く物を豆以外にするというのは、
良いやり方だと思う。
差し当たって来年の節分の日に向けて、
撒く物を大豆以外にする方向で検討しよう。」
「それは良いが、実際にどうやって実現する?
俺たち鬼が、大豆を買い占めるのか?」
「それも一つのやり方だろう。
我々鬼は、人間社会に深く溶け込んでいる。
動かせる人も物も金も、それなりにある。」
「とは言え、全ての大豆を買い占めるのには無理がある。
買い占めた大豆をどうする?
買って捨てるだけでは、金が無くなった我々鬼が飢えて死ぬ。」
「それに、集めきれなかった大豆も野放しになるしな。」
節分の日に豆を撒くのを止めさせる。
そのためには、大豆を買い占めるだけでは不十分。
大豆の買い占めに金を使った鬼の生活も立ち行かなくなるし、
集めきれなかった大豆には無力だから。
買い占めた大豆を捨てない。
買い占められなかった大豆も、節分の日の豆撒きには使わせない。
そんな二つの目的を、両方とも達成する方法があるだろうか。
腕組みをして思案する鬼たちに、おずおずと挙手をする鬼がいた。
生真面目そうな、眼鏡をかけた鬼だった。
「あのう、それについては、良い方法があるんですが。」
「何だ?言ってみろ。」
「はい。大豆に、他の使い道があれば良いと思うんです。」
その眼鏡の鬼の言葉は、思案していた鬼たちの耳目を引くものだった。
大豆が苦手な鬼たちは、節分の日に豆を撒くのを止めさせたい。
そのためには、大豆に他の使い道があれば良い。
良い方法がある。そう言ったのは、眼鏡の鬼。
すぐに鬼たちは飛びついた。
「君、大豆の他の使い道とは、何のことだ?」
「はい。大豆は、食べ物になるだけではないんです。
大豆は油を抽出することができます。
これを、大豆油と言います。
大豆油は食用にもなりますが、
油と言うだけあって実は燃料としても使えるんです。
大豆から油を絞って、燃料にするのはどうでしょう?」
大豆を食べ物にするのではなく燃料にする。
その使い道は、大豆の匂いすら嫌いな鬼たちに最適なように思われた。
大豆油と聞いただけで顔をしかめていた鬼たちが、目を輝かせて応えた。
「大豆を燃料にするのか。それは良い。
それなら、大豆を食べるわけじゃないから、
大豆が嫌いな我々鬼にも有用だ。」
「しかも燃料なら、人間たちに高く売れるだろう。」
「俺たち鬼は寒いのが嫌いだから、燃料が多いに越したことはない。
良いことばっかりじゃないか。」
「しかし待てよ。
大豆から油を絞るってことは、搾りカスが出るんだよな?
絞りカスの処分はどうするんだ。
大豆から油がどのくらい絞れるのかは知らないが、
ほとんどが油というわけではないだろう。
処分費用は膨大なものになるんじゃないのか。」
大豆から油を絞って大豆油を作る。
では、油を絞った後の絞りカスをどうするのか。
それこそが、大豆から油を作るという使い道の要となる部分。
眼鏡の鬼は、その質問をされるのを予期していたようだった。
「はい。それはもう考えてあります。
油を絞り終わった大豆の絞りカスは、まだ食べ物として使えるんです。
大豆から絞った油を燃料に、残ったカスを食べ物として売りましょう。
そうすれば、処分費用どころか、逆にお金になります。」
大豆の搾りカスを食べ物に、と聞いた鬼たちは渋い顔になった。
「大豆の絞りカスを食べ物にだって?
私はそんなものを食べたくはないよ。」
「はい。わかってます。
大豆が苦手な我々鬼には、搾りカスは食べ物にはならないでしょう。
でも、人間にはまだ食べ物として使えます。
もちろん、ただ大豆の搾りカスを食べろと言っても、
人間はほとんど食べないでしょう。
他に食べ物はあるのですから。
だから、売り方を変えるんです。
大豆の絞りカスは、加工次第では挽き肉に近い食感と言えなくもない。
だからこれを食肉の代わりとして売れば良い。」
「大豆の搾りカスを、食肉の代わりにするだって?
そんなこともできるのか。
しかし、よほど食肉より安くて美味しいものでもなければ、
わざわざ買う人間はいないだろう。」
すると、目を瞑って話を聞いていた年長の鬼が、
片目だけを開いて言った。
「必要なのは宣伝、だな?
人間たちに、食肉の代わりに大豆の搾りカスを食べるよう、
宣伝して仕向ければ良い。」
年長の鬼の指摘は当たっていたようで、眼鏡の鬼は頷いた。
「はい。その通りです。
大豆の絞りカスをただ売ろうとしても、人間は食べないかもしれない。
だったら、食べるように誘導すれば良い。
大豆の絞りカスを食べるのは健康に良い、格好が良い、環境に良い、
そういうことにすれば良い。」
言葉を年長の鬼が継いだ。
「大豆の搾りカスを食べると実際にどうなのかは、大きな問題にはなるまい。
人間は、多数に従うことを是とする。
多数を作るには、宣伝をすればいい。
実際に多数なのか、それを調べることは誰にもできない。
耳に入る言葉が多ければ、それが多数となる。
その程度なら、我々鬼に恭順する人間たちを使ってできなくもない。
上手く行けば、人間たちは我々鬼に従うことだろう。
大豆から油を絞って燃料とし、
大豆の絞りカスを食肉の代替品として人間に売って食べさせる。
そういうことで良いな?」
集まっていた鬼たちは満場一致。
そうして鬼たちは、
節分の日に人間たちに嫌いな大豆を撒くのを止めさせるため、
大豆から油を絞って燃料に、
残った大豆の搾りカスを食肉の代わりとして、
人間たちに売ることにした。
それから月日は過ぎて。
大豆を買い占めて他の使い道として人間たちに売るという、
そんな鬼たちの目論見は当たっていた。
人間たちの、特に新しいものに敏感な者たちに、
さらには、鬼の目論見に乗って自分も儲けようとする者たちに、
大豆の絞りカスは食肉の代わりとして受け入れられていった。
大豆から絞った油は燃料として重宝され、
本来はゴミとなる大豆の絞りカスも、食べ物として逆に金になった。
それもこれも、鬼たちが熱心な宣伝を続けた成果でもある。
人間は、自分の耳に入ることが多ければ、それを全体の多数と思い込む。
そんな鬼たちの目論見は、またしても当たっていた。
するとどうしたことか、
大豆の絞りカスを口にしている人間からは、
鬼が苦手とする大豆の匂いなどが少なく、
鬼の格好の獲物となったのだった。
今や大豆は、燃料と代替肉の二つの使い道で引っ張りだこ。
売れすぎて、節分の日の豆撒きに使う分が用意できないほど。
すると鬼たちは、かつては自ら否定した塩を、
節分の日に撒く大豆の代わりとして売り出すようになったのだった。
「やっぱり人間というのは、格別に美味しい獲物だ。」
今日もまた、どこかで鬼たちが嘲笑っている。
人間たちを全て喰らい尽くす、その日まで。
終わり。
節分と言えば大豆の炒り豆、大豆をテーマに話を作りました。
大豆と言えば昨今、大豆油を燃料としたり、
大豆油を絞った後の脱脂大豆を代替肉としたり、
新しい使い道も増えてきました。
決して安いとは言えないのに、
どうして大豆を燃料や代替肉にしなければいけないのか。
その可能性の一つを空想して物語にしました。
お読み頂きありがとうございました。