婚約破棄されたので「キスして」とお願いした結果
「ミシェル。君との婚約を破棄させてもらう」
私の目を見てはっきりと、ウォレス様は言った。
「……理由は?」
言葉を詰まらせた私の代わりに、隣にいた王太子、ロイ殿下が問う。
「アナベルと結婚することにしたからだ」
「……っ!!」
その答えを聞いたロイ殿下は、間髪を容れずにウォレス様の頰を思い切り殴った。
『きゃあ!』
『なんだ、なんの騒ぎだ!?』
『英雄ウォレス様がミシェル嬢に婚約破棄を告げたんだ! それも、ロイ王子の婚約者、聖女アナベル様と結婚すると言って……!』
『まぁ! アナベル様はミシェル様の妹じゃない……!』
遠目から私たちのことを見ていた貴族たちがざわつく。
「やはりあの討伐にアナベルを同行させたのは間違いだった!!」
「ロイ様……!」
それを見て、ウォレス様の隣にいた私の妹――アナベルは、ロイ殿下を制するように彼の名前を叫んだ。
「君もこの男のことをかばうのか!? この男と結婚するというのは本気か!?」
「……本気です」
殿下からの質問に目を逸らして小さく頷いたアナベルを見て、私は溜め息をひとつ。
二人は帰ってきたときから様子がおかしかった。
討伐に行っている間に、二人に何かがあったということはわかっていた。
それでも自分たちからはなかなか何も言ってこない二人は、騎士たちの帰還を祝う今日のパーティーにも婚約者である私とロイ殿下を置いて、ともに参加した。
これはあまりにも異常だ。
それでついに、パーティーの最中にロイ殿下が二人に声をかけたのだ。
私はウォレス様に婚約破棄を告げられるような気はしていた。
ロイ殿下もどこかで覚悟はあったようだけど、お怒りになるのはもっともだと思う。
――私の妹、アナベルは聖女。
昔から素直で可愛くて甘え上手で、誰からも愛されるような子だった。
「いいなぁ、お姉様。私も欲しいです」
一つしか歳の離れていない私も、アナベルにそう言われるとつい甘やかしてアクセサリーやドレスを貸していた。そのまま返ってこないということもあったけど。
アナベルと私は、どこにでもいるような普通の姉妹だったと思う。
だけど二年前――彼女が十六歳のとき、聖女としての力が目覚めて、王太子ロイ殿下との婚約が結ばれた。
〝すごいでしょう? いいでしょう?〟
そういう顔はしていたけれど、それからのアナベルはロイ殿下からたくさんのプレゼントをもらえるようになり、私から何かを持っていくことはなくなった。
だから私から大切なものを持っていこうとするのは、とても久しぶりだ。
三ヶ月ほど前、この国の辺境の地を魔の妖精、エビルフェアリーが襲った。
この数十年の間、人間と妖精が争うことはなかったというのに。
そこで王宮騎士団がエビルフェアリーの討伐に向かった。その中に私の婚約者であるウォレス様もいて、聖女であるアナベルもついていくことになった。
ロイ殿下はアナベルをとても心配し、同行することを最後まで反対していた。
私はウォレス様やアナベル、騎士団のみんなの無事を毎日祈った。
そして、エビルフェアリーにとどめを刺して無事帰還したウォレス様は、英雄として讃えられた。
国王陛下はたくさんの褒美を与えるとともに、ウォレス様の望みをなんでも叶えると約束した。
けれど討伐から戻ったウォレス様の隣には、いつもアナベルがいた――。
「つまりおまえは、ミシェルとの婚約を破棄して、友人である僕の婚約者と結婚するというのだな」
「……そうです」
「見損なったぞ!! おまえは僕から愛する人と友を奪うというのか!!」
相手が王太子の婚約者だとしても、ウォレス様が聖女との結婚を望めば、陛下は許すだろう。
彼は国を救った英雄なのだから。
「ミシェルからも、おまえは最愛の人と妹を、奪うのだぞ……!?」
怒りに震えながらそう口にしたロイ殿下の言葉に、ウォレス様は私を見つめた。
「……そうです」
はっきりと。目を見て頷かれて、私の心は震える。
私とウォレス様はうまくいっていると思っていた。私は彼に愛されていると思っていた。
でもそれは、私の勘違いだったのかしら……。
これまで見たことがないくらいに怒っているロイ殿下に、アナベルは泣きそうになっている。
泣きたいのは、私のほうだけど。
「ウォレス様」
「なんだ」
けれど、泣くのはまだ早いわ。
私は背筋を伸ばしてウォレス様を見据え、言った。
「私にキスしてください」
その言葉に、ロイ殿下とアナベルが目を見開いた。
「なななな……!? なにを言っているんだ……!!」
ウォレス様は顔を真っ赤にして動揺している。
「キスです。口づけです。私にしてください」
それでも私は堂々と、もう一度願い出る。
「す、するわけないだろう……!? 俺は君との婚約を破棄すると言っているんだぞ!? 意味をわかっているのか……!?」
「それで最後にしますので。これは最後のお願いです」
「…………」
そう言ったらなぜか、ウォレス様は切なそうに瞳を細めた。
「……無理だ」
「どうしてです?」
「……君とは結婚しないから」
「大丈夫です。本当に最後の思い出にしますから。私って、あなたが思っているより強いんですよ?」
「…………」
にこりと微笑んで言って見せたら、ウォレス様はとうとう泣きそうな顔をして。
アナベルは切なげに瞳を揺らして、静かに「してあげて」と呟いた。
「……無理だ」
新しい婚約者はいいって言っているのに。それでも拒むウォレス様。
「あなたって、度胸がないのですね」
「……なに?」
「貫くなら、ちゃんと貫いてください。私を拒みたいなら、そんな顔しないで」
「……」
「そんな顔をされたら、丸わかりです。今でも私のことが好きだって」
「……っ」
こちらは少し強気ではっきりと。
泣きそうな顔をしている英雄にそう言ってやったら、とうとう彼は諦めるように下を向いて拳を強く握りしめた。その拳は小さく震えている。
やっぱりこの人は、嘘がつけない優しい人ね。
「大丈夫ですよ。私は強いって言ったでしょう?」
「……っ、すまない……! 君を傷つけた!」
張り詰めていたものが切れたように大きな声でそう言って、深く頭を下げるウォレス様。
「わかっています。お顔を上げてください」
「本当にすまない……! 俺は今でも変わらず君のことを愛している!!」
そう言って力強く私を抱きしめるウォレス様の身体は、やっぱり震えていた。
「お姉様、ロイ様……ごめんなさい……! すべて私のせいなのです……!」
そんなウォレス様を見て、アナベルはわっと泣き崩れた。
「……どういうことか、説明してくれ」
アナベルに寄り添いながら、冷静さを取り戻したロイ殿下がウォレス様に視線を向ける。
「……今回の戦いで、俺は呪いを受けた」
そう言うとウォレス様は私から手を離し、上半身の服を脱ぎ始めた。
「……っこれは!?」
途端、辺りがひどく騒がしくなる。令嬢たちの悲鳴も聞こえてきたけれど、それは決してウォレス様のたくましい肉体が晒されたからではない。
ウォレス様の左上半身に浮かんだ黒い痣。
「アナベルが俺と一緒にいて呪いを抑えてくれているが、俺はもう長く持たない」
「ウォレス様は私をかばって呪いを受けてしまったのです……! ですから、この命に替えてもお助けしたいと……! でもあまりにも強くて、私にもその呪いを解くことはできなくて……」
ロイ殿下に身体を支えられながら、アナベルが涙ながらに言った。
「父上から、おまえが「エビルフェアリーを討伐した辺境の地をもらい受けたい」と言っている話を聞いた……まさか……!」
先ほどとは違う意味で動揺を浮べながらそう問うたロイ殿下に、ウォレス様は静かに頷く。
「この呪いが最後にどうなるかはわからない。俺はミシェルにそんな姿を見せたくはない。だから誰もいない静かな場所で最期を迎えようと決めたんだ」
「ごめんなさい……、お姉様、ロイ様……! 私たちの間にはもちろん何もありません……! ウォレス様は今でもお姉様のことを想っています! 悲しませたくなくて、嫌われようとしたのです……!」
「それは俺が提案したんだ。俺一人で辺境の地へ行くと言ったら、アナベルは殿下への気持ちを押し殺して、この呪いを最後まで抑え込むために一緒に行くと言ってくれたんだ」
「アナベル……」
その言葉に、ロイ殿下の瞳に光るものが浮かぶ。
「この呪い、私には解けるかもしれないです」
「え!?」
絶望的な空気が辺りを包んでいるけれど、私は深呼吸をして、その言葉を吐き出した。
ドクドクと、まるで別の生き物がそこで生きているかのように脈打っている、ウォレス様の痣。
「お姉様、気安めはおやめください、聖女である私にも解けない呪いです!」
「ええ、聖女には解けないかもね」
「え?」
「だって、これは本来あなたに向けられた呪いだったのでしょう? それをウォレス様がかばった」
「ええ……」
「それは、あなたには解けないわよ」
三人は不思議そうに顔を合わせているけれど、私にはわかる。
妹のアナベルが聖女の力に目覚めたその日から、私は甘ちゃんな妹の助けになれるよう、聖女についてたくさん勉強をしてきた。
今回の討伐も、聖女でも騎士でもない私は一緒に行くことはできなかったけど、待っている三ヶ月の間にたくさんの文献を読んでエビルフェアリーについて調べた。
そこには人を呪うことがあると、書かれていた。
そして聖女が自分で解けない呪いは、この世でひとつだけ。
「ミシェル……」
「ウォレス様、やっぱり私にキスしてください」
「それは……っ」
「でもこれは最後のキスじゃない。最初のキスです」
そう言って彼の目の前まで行くと、私はゆっくりまぶたをおろした。
「……」
ウォレス様の手が私の肩に乗り、ゆっくりと唇が重なり合う。
初めてのキス。とてもあたたかくて優しいキスだけど……彼の唇は震えていた。
「……」
「見てください! 痣が!」
「小さくなった……!?」
場内にいる人々のざわつく声と、アナベルとロイ殿下の言葉にウォレス様の身体に目を向ける。
ドクドクと脈打っていた黒い痣の動きが弱まり、色が薄く、範囲が小さくなっている。
「ね? 言ったでしょう? これは私にだけ解ける呪いなのです」
確かに聖女はどんな呪いも解けると言われているけれど、この呪いだけは解けない。
だってこの呪いを解くのは、呪われた者を心から愛する気持ちだから。
「私との婚約破棄は、聞かなかったことにしてあげます」
「ミシェル……」
だからこれからは、毎日一緒にいさせてくださいね?
◇◇◇
一年後。
「とても綺麗だよ、ミシェル」
「あなたも、とても素敵です」
「おめでとう、ウォレス、ミシェル」
「おめでとうございます、お姉様! ウォレス様!」
今日は私とウォレス様の結婚式。
あれから私たちは毎日一緒に過ごした。毎日キスをした。
おかげでウォレス様の呪いは完全に消えてなくなった。
呪いは手強かったから、式を挙げるのに一年かかってしまったけど。
私は今、とても幸せ。
「あのとき君がいてくれて本当によかった。君から離れようとした愚かな俺を許してくれ」
「それはもう三百回は聞きましたよ」
「はは、そうだな」
「でも本当に、お姉様はよくわかりましたね? 私たちの演技は完璧だったはずなんですけど」
ロイ様はすっかり騙されていたのに……。と呟くアナベルに、私はくすりと笑う。
もちろん私がエビルフェアリーのことを調べ上げ、呪いのことも知っていたというのはあるけれど、それだけではない。
「私が何年あなたと姉妹をしていると思ってるの?」
「え?」
私にはわかっていた。
この子が嘘をつくときに目を逸らすことは知っている。
ロイ殿下に「ウォレスと結婚するのか?」と聞かれて、アナベルは目を逸らして頷いた。
それから、ウォレス様が殴られたときも、彼のことではなく、ロイ殿下の名前を呼んだ。
アナベルが愛しているのは、ロイ殿下だった。
「アナベル、身体は大丈夫か?」
「ええ、平気です」
少し目立ってきたお腹を撫でながら答えたアナベルに、ロイ殿下は優しい視線を向けている。
アナベルのお腹には今、ロイ殿下の子供がいる。
二人もとても幸せそう。
「――ミシェル。俺と結婚してくれて本当にありがとう。一生君を大切にすると誓うよ」
二人を微笑ましい気持ちで見つめていたら、ウォレス様が改めて私に向き合い、とても愛おしそうに手を握ってそう言ってくれた。
「こちらこそ。――ねぇ、ウォレス様」
「なんだい?」
「キスしてください」
にこりと微笑んでそう言えば、ウォレス様は世界一優しい笑顔で応えてくれる。
「もちろん」
今はもう呪いを解くためのキスではないけれど。
彼の唇からはとてもあたたかくて、優しい温もりが伝わってくる。私への愛が、伝わってくる。
「愛してるよ、ミシェル」
だから私たちはこれからもたくさんたくさん、キスをする。
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